高学歴ほど貧乏になる/純丘曜彰 教授博士
/高学歴の者は、一般に高収入だが、上昇志向ゆえに無理な生活拡大をして、可処分所得や資産蓄積が少なくなる傾向がある。人のサルマネなど止めて、身の程をわきまえ、自分の生活水準での豊かさを求めた方が幸せなのではないか。/
ジュリエットBショア博士(ボストン大学社会学教授)は、リーマンショック前の米国東南部テレコム従業員の調査などを元に、高学歴ほど貧乏になる、と指摘した。彼女によれば、高学歴者は、高収入であっても消費過剰で、可処分所得や資産蓄積が少ない。
地方から大学に進む者の多くは、都会で就職し、いわゆる中流階級(サラリーマン)となる。彼らは、良くも悪くも、社会的な上昇志向が強い。このため、彼らは、もともとの出自の社会階層を切り捨て、上の「将来」の社会階層に生活を準拠させようとする。くわえて、安定した仕事という社会的信用が、ローンやクレジットによって収入の先取りを実際に可能にしてしまう。たとえば、車や家はもちろん、時計やスーツでさえ、「将来」まで使えるような1ランク上の良いものを買おうとする。ところが、しょせんは雇われ人。たとえどんなに順調に収入が増えていったとしても、複利的に急上昇し続ける上流や成金の収入との乖離は広がり続ける。このために、いつかどこかでレファレンシャルクラスへのフォローが破断する。後に残るのは、高金利の借金の山と、意味の無いムダな贅沢品のゴミ。この破断が、まさにその後の2008年のリーマンショックで露呈した。
もちろん都会へ行って、大学を出て、知らない人々の生活を見て、世界の視野を広げるのは、大切な人生勉強だ。だが、わかってもいないくせに、人のサルマネをして、ブランド品を買いあさり、高級レストランを食べ歩き、美術館だ、音楽会だ、と、毎日、見栄をブログで自慢。やればやるほど、コンプレックス(強烈な劣等感ゆえの優越感の切望)が痛ましい。かつて有名お嬢様私立大学において一群の女子学生たちが売春クラブとして摘発されたが、その動機は、大学で本物の金持ちのお嬢様たちと同じようなブランド品を持っていないと恥ずかしいから、というものだった。だが、売春で逮捕され、退学になることを、人間として恥ずかしいとは思わなかったのだろうか。
小学校ですらそうだ。世の中にはケタ外れの金持ちはいくらでもいる。また、何世代も前から趣味やセンスが身についている家の人は、長年の人脈や縁故もあり、さほどカネをかけずとも、いろいろな事をさりげなけなくやってのける。だから、他の子と同じように、などと、出自の違う家庭がマネをしようとしても無理なのだ。無理をすれば、家計も、家族仲も、破綻する。そんなことを、当の子が望んでいるとでも思うのか。
十九世紀末、ヴェブレンは見せびらかし消費に注目したが、上流はもはやとっくにそんな遊びには飽き、遅れてきたIT成金と中流階級が、いまさらそれにどっぷり浸り込んでいる。しかし、ディデュロ効果として知られるように、たった1つでも身の程を越えるものを生活に入れてしまったら、それが連鎖的にギアアップを起こして、他のものも上のランクへの買い換えを促し、爆発循環的に生活を拡大していってしまう。たとえば、車を買った、家を買った、それどころか、時計一個、スーツ一着を買っただけで、それに合うように、新たなものを次々と買い揃えていかなければならなくなる。
いくら上昇したところで、あなたとは別人の仮面なら、いったいだれが立派になったのか。ビートルズの『ゲットバック』ではないが、自分の出自、自分の水準に帰ろう。あなたにはあなたの生活があり、それが本来のあなたであり、世間がどう言おうと、それはべつに人に恥じるようなものではない。むしろ、その本来のあなたの生活を、豊かに、心安らかにくつろげるものにしていってこそ、あなたのほんとうの幸せなのではないか。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。
ジュリエットBショア博士(ボストン大学社会学教授)は、リーマンショック前の米国東南部テレコム従業員の調査などを元に、高学歴ほど貧乏になる、と指摘した。彼女によれば、高学歴者は、高収入であっても消費過剰で、可処分所得や資産蓄積が少ない。
もちろん都会へ行って、大学を出て、知らない人々の生活を見て、世界の視野を広げるのは、大切な人生勉強だ。だが、わかってもいないくせに、人のサルマネをして、ブランド品を買いあさり、高級レストランを食べ歩き、美術館だ、音楽会だ、と、毎日、見栄をブログで自慢。やればやるほど、コンプレックス(強烈な劣等感ゆえの優越感の切望)が痛ましい。かつて有名お嬢様私立大学において一群の女子学生たちが売春クラブとして摘発されたが、その動機は、大学で本物の金持ちのお嬢様たちと同じようなブランド品を持っていないと恥ずかしいから、というものだった。だが、売春で逮捕され、退学になることを、人間として恥ずかしいとは思わなかったのだろうか。
小学校ですらそうだ。世の中にはケタ外れの金持ちはいくらでもいる。また、何世代も前から趣味やセンスが身についている家の人は、長年の人脈や縁故もあり、さほどカネをかけずとも、いろいろな事をさりげなけなくやってのける。だから、他の子と同じように、などと、出自の違う家庭がマネをしようとしても無理なのだ。無理をすれば、家計も、家族仲も、破綻する。そんなことを、当の子が望んでいるとでも思うのか。
十九世紀末、ヴェブレンは見せびらかし消費に注目したが、上流はもはやとっくにそんな遊びには飽き、遅れてきたIT成金と中流階級が、いまさらそれにどっぷり浸り込んでいる。しかし、ディデュロ効果として知られるように、たった1つでも身の程を越えるものを生活に入れてしまったら、それが連鎖的にギアアップを起こして、他のものも上のランクへの買い換えを促し、爆発循環的に生活を拡大していってしまう。たとえば、車を買った、家を買った、それどころか、時計一個、スーツ一着を買っただけで、それに合うように、新たなものを次々と買い揃えていかなければならなくなる。
いくら上昇したところで、あなたとは別人の仮面なら、いったいだれが立派になったのか。ビートルズの『ゲットバック』ではないが、自分の出自、自分の水準に帰ろう。あなたにはあなたの生活があり、それが本来のあなたであり、世間がどう言おうと、それはべつに人に恥じるようなものではない。むしろ、その本来のあなたの生活を、豊かに、心安らかにくつろげるものにしていってこそ、あなたのほんとうの幸せなのではないか。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。