カネと時間を生かす/純丘曜彰 教授博士
/同じカネと時間を使っても、生きるのがうまい人は、それを費やさず、資産に換え、自分を豊かにし、その資産とともに生きる。人生の中で経歴資産を積み上げ、そこに次々とレヴァレッジをかけていってこそ、人間は自分自身を作ることができる。/
誰でも簿記は最初に習っておくべきだ。重要なのは、フローとストックの概念。同じ使ったカネでも、費用支出と資産購入では、意味がまったく異なる。たとえば投資物件の購入は、カネを使ったとはいえ、相応の資産として保持され、必要に応じてふたたび換金でき、それも元の額より多くなる。一方、見栄を張っただけの過剰な広告宣伝のようなものは、まったくの消費支出で、後にはなにも残らない。
同じことが個人についても言える。生きるのがうまい人とダメな人の違いは、カネの使い方、時間の使い方にある。生きるのがうまい人は、カネと時間を生かす。つまり、資産に換え、自分を豊かにし、その資産とともに生きる。たとえば車の免許。自動車学校は費用のように見えるが、きちんと免許を取得すれば、それは一生使える。学歴や語学なども同じ。逆に、ダメな人は、カネや時間をドブに捨てる。ゲームだの、ブランド品だの、そのときは楽しいのだろうが、しょせん遊びで、結局、なにも残らない。もっとダメな人は、まさに小人閑居して不善を為すの言葉どおり、せっかくのカネや時間を、酒や悪事に費やす。飲んだくれて体を壊し、やるべきではないことをやって、自分の人生を棒に振る。
カネや時間は無限にあるわけではない。とくに時間は生ものだ。後に取っておけるわけではない。その場で使わないわけにはいかない。だからこそ、それぞれの年齢、年代に、それぞれの年齢、年代に応じた最善の資産化によって、ずっと生かすことが求められる。まだまだ先が長い、若いうちは、どうせろくにカネも無いだろうから、その長い先にずっと役立つな基礎的な勉強に時間を使うのがいいだろう。それによって仕事とカネを得、あわてず、あせらず、良い伴侶を見つけ、心安らげる家庭を持つことが、生活の安定をもたらす。そしてさらに、家庭を足場に、ある程度の経験と自信がついたところで、自分にしかできない仕事に取り組み、自分自身を仕上げることが求められる。
ありきたりな話だが、これがありきたりなのは、このやり方が人間の道理にかなっているからだ。最初から一発狙いで無理をすれば、若いうちに心得ておくべき常識が抜け落ち、ずっとツケとなって、その後の長い人生に足を引っ張り続ける。また、いい年をして色に狂えば、地位も肩書も失い、家族からも見放された不幸な晩年を送る。これらは、自分の資産を壊すために、それどころか自分自身を殺すためにカネと時間を使ったようなもの。
だが、簿記で難しいのは、資産評価がかならずしも会計規則通りにはならないということ。投資のつもりで買い、帳簿上は購入価格で記載されていても、毀損してしまったり、時代が変ったりで、現実にはそれだけの価値が無かったりする。時代に踊らされて、手間ばかりかかる難しい資格を取ったところで、また、巨大化して自重で潰れるような会社の中で権謀術数を駆使して出世したところで、これらには資産価値は無い。転職市場でも、まったく評価されない。逆に、一見ムダに見えるような芸事や趣味でも、一事専心で打ち込み、その道で知られるようになれば、人脈も広がり、身を助けることもある。
目先の価値、目先の損得に目を奪われると、資産評価を間違える。カネと時間を使って自分がやった物事は、その後、それをやった自分として、自分とともにずっと生きていくべき物事だ。先々になりたい自分を考えて、それに向けて、どのように人生の資産を積み上げていくか、どのような順で経歴レヴァレッジを効かせて、より大きな人生の資産形成に手が届くようにするか。人間は、自分自身を自分自身で作っていくものだ。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)
誰でも簿記は最初に習っておくべきだ。重要なのは、フローとストックの概念。同じ使ったカネでも、費用支出と資産購入では、意味がまったく異なる。たとえば投資物件の購入は、カネを使ったとはいえ、相応の資産として保持され、必要に応じてふたたび換金でき、それも元の額より多くなる。一方、見栄を張っただけの過剰な広告宣伝のようなものは、まったくの消費支出で、後にはなにも残らない。
カネや時間は無限にあるわけではない。とくに時間は生ものだ。後に取っておけるわけではない。その場で使わないわけにはいかない。だからこそ、それぞれの年齢、年代に、それぞれの年齢、年代に応じた最善の資産化によって、ずっと生かすことが求められる。まだまだ先が長い、若いうちは、どうせろくにカネも無いだろうから、その長い先にずっと役立つな基礎的な勉強に時間を使うのがいいだろう。それによって仕事とカネを得、あわてず、あせらず、良い伴侶を見つけ、心安らげる家庭を持つことが、生活の安定をもたらす。そしてさらに、家庭を足場に、ある程度の経験と自信がついたところで、自分にしかできない仕事に取り組み、自分自身を仕上げることが求められる。
ありきたりな話だが、これがありきたりなのは、このやり方が人間の道理にかなっているからだ。最初から一発狙いで無理をすれば、若いうちに心得ておくべき常識が抜け落ち、ずっとツケとなって、その後の長い人生に足を引っ張り続ける。また、いい年をして色に狂えば、地位も肩書も失い、家族からも見放された不幸な晩年を送る。これらは、自分の資産を壊すために、それどころか自分自身を殺すためにカネと時間を使ったようなもの。
だが、簿記で難しいのは、資産評価がかならずしも会計規則通りにはならないということ。投資のつもりで買い、帳簿上は購入価格で記載されていても、毀損してしまったり、時代が変ったりで、現実にはそれだけの価値が無かったりする。時代に踊らされて、手間ばかりかかる難しい資格を取ったところで、また、巨大化して自重で潰れるような会社の中で権謀術数を駆使して出世したところで、これらには資産価値は無い。転職市場でも、まったく評価されない。逆に、一見ムダに見えるような芸事や趣味でも、一事専心で打ち込み、その道で知られるようになれば、人脈も広がり、身を助けることもある。
目先の価値、目先の損得に目を奪われると、資産評価を間違える。カネと時間を使って自分がやった物事は、その後、それをやった自分として、自分とともにずっと生きていくべき物事だ。先々になりたい自分を考えて、それに向けて、どのように人生の資産を積み上げていくか、どのような順で経歴レヴァレッジを効かせて、より大きな人生の資産形成に手が届くようにするか。人間は、自分自身を自分自身で作っていくものだ。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)