使い捨てを見直そう!/純丘曜彰 教授博士
/使い捨てはムダと言うが、鉄骨とコンクリで固めて、時代の変化に対応できなくなり、撤去廃棄している方がよほどムダ。再生産可能な資源を前提にした日本の使い捨て文化の美徳を見直そう。/
使い捨てはもったいない、などと言うが、インフルエンザでも、ノロウィルスでも、使い捨てこそ、予防と対策のかなめ。政治でも、建設でも、寒冷で断絶的な欧米の内陸都市の猿マネをしても、結局、日本の風土には合わない、それどころか、そういう風土に合わない欧米かぶれこそが、この国に多くの問題を引き起こし、大きな危険をもたらしているのではないだろうか。
昨年は伊勢も出雲も式年だったが、神道の根本はミゾキとハライ。建物でもなんでも、使い捨てて一新する。いや、宗教だけでない。障子でも、畳でも、年ごと、事ごとに、ぜんぶ捨て去って、取り換える。首都でも、政権でも、使い捨てが肝心。そうでないと、ケガレにやられてしまう。高温多湿で、紫外線も強く、害虫や雑菌も発生しやすい。人間関係も義理人情もやたら濃厚で、ほっておくと縁故情実ですぐに腐敗する。だから、使い捨て、定期的な遷都改幕は、この国を清浄に保つための、古来からの日本の知恵だった。
ところが、明治になって欧米の猿マネをして、制度も、国土も、がんじがらめに固めまくった。しかし、四方を海に囲まれ、世界の影響を受けやすい国で、未来永遠完全固定の制度など維持できるわけがない。潮風を受ける海沿いに多くの都市があり、端から端まで火山と地震だらけの国で、鉄骨やコンクリがもつわけがない。
たしかに内陸都市のローマでは、二千年も前のコンクリ建造物が健在だ。我が国も、明治以降、とくに戦後の高度成長期、あちこちに鉄骨とコンクリで橋やトンネル、ビルや地下街を作った。当時、鉄骨やコンクリは、百年、いや数百年は持つ、と言われた。しかし、旧都庁舎や丸ビルは、時代が変わって使いものにならず、建て直しを余儀なくされた。戦後のシンボルだった東京タワーですら、時代に合わなくなり、別のスカイツリーを作るハメに陥った。それ以外のほとんどすべての建造物にしても、2020年のオリンピックを前に、どれもこれも老朽化、規格ズレが著しい。関東で大地震が無くても、このままではそこら中で崩落や事故が起こり、東京は自滅する。
その一方、古くさく、ぼろっちい奈良だの、馬籠だのの街は、しぶとく生き残っている。木造建物や砂利道なんて、ぶっ壊れるのが前提だから、定期的に手入れして、その都度に時代に合わせて適当に形を変え、なんとなくやり過ごしている。気がついてみれば、周回遅れで、時代の先端なのかもしれない。
どんな人間にも寿命があるように、都市や建物にも、制度や政権にも、寿命がある。むしろ欧米の石の街、石の制度の方が、世界の中では異常な鬼子だ。実際、あれだけ街を立派に作ったギリシアはローマは、時代の変化に身動きが取れず、結局、その自重で滅び去ったではないか。永遠に繁栄する世界支配の帝国都市を造ろう、などというのは、人間と自然と歴史の摂理に逆らう愚昧で無謀な野望ではないのか。
使い捨て=ムダ、というのは、根拠の無い盲信だ。とくになんでもすぐに腐る日本では、固定固着は危険な上に、むしろ、結局、大きなムダになる。物事の寿命と安全のための使い捨てを前提にし、再生産できる分だけを消費して暮らす、鎖国江戸時代のような持続可能な閉鎖循環型社会の方が、ムダが無く、その部分部分の絶えざる更新のために人間もその中にそれぞれの仕事を得て、みんなが幸せになれるのではないか。もう一度、使い捨ての正しさを見直し、日本的な使い捨て文化の美しさの方を世界に広めてはどうか。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。
使い捨てはもったいない、などと言うが、インフルエンザでも、ノロウィルスでも、使い捨てこそ、予防と対策のかなめ。政治でも、建設でも、寒冷で断絶的な欧米の内陸都市の猿マネをしても、結局、日本の風土には合わない、それどころか、そういう風土に合わない欧米かぶれこそが、この国に多くの問題を引き起こし、大きな危険をもたらしているのではないだろうか。
ところが、明治になって欧米の猿マネをして、制度も、国土も、がんじがらめに固めまくった。しかし、四方を海に囲まれ、世界の影響を受けやすい国で、未来永遠完全固定の制度など維持できるわけがない。潮風を受ける海沿いに多くの都市があり、端から端まで火山と地震だらけの国で、鉄骨やコンクリがもつわけがない。
たしかに内陸都市のローマでは、二千年も前のコンクリ建造物が健在だ。我が国も、明治以降、とくに戦後の高度成長期、あちこちに鉄骨とコンクリで橋やトンネル、ビルや地下街を作った。当時、鉄骨やコンクリは、百年、いや数百年は持つ、と言われた。しかし、旧都庁舎や丸ビルは、時代が変わって使いものにならず、建て直しを余儀なくされた。戦後のシンボルだった東京タワーですら、時代に合わなくなり、別のスカイツリーを作るハメに陥った。それ以外のほとんどすべての建造物にしても、2020年のオリンピックを前に、どれもこれも老朽化、規格ズレが著しい。関東で大地震が無くても、このままではそこら中で崩落や事故が起こり、東京は自滅する。
その一方、古くさく、ぼろっちい奈良だの、馬籠だのの街は、しぶとく生き残っている。木造建物や砂利道なんて、ぶっ壊れるのが前提だから、定期的に手入れして、その都度に時代に合わせて適当に形を変え、なんとなくやり過ごしている。気がついてみれば、周回遅れで、時代の先端なのかもしれない。
どんな人間にも寿命があるように、都市や建物にも、制度や政権にも、寿命がある。むしろ欧米の石の街、石の制度の方が、世界の中では異常な鬼子だ。実際、あれだけ街を立派に作ったギリシアはローマは、時代の変化に身動きが取れず、結局、その自重で滅び去ったではないか。永遠に繁栄する世界支配の帝国都市を造ろう、などというのは、人間と自然と歴史の摂理に逆らう愚昧で無謀な野望ではないのか。
使い捨て=ムダ、というのは、根拠の無い盲信だ。とくになんでもすぐに腐る日本では、固定固着は危険な上に、むしろ、結局、大きなムダになる。物事の寿命と安全のための使い捨てを前提にし、再生産できる分だけを消費して暮らす、鎖国江戸時代のような持続可能な閉鎖循環型社会の方が、ムダが無く、その部分部分の絶えざる更新のために人間もその中にそれぞれの仕事を得て、みんなが幸せになれるのではないか。もう一度、使い捨ての正しさを見直し、日本的な使い捨て文化の美しさの方を世界に広めてはどうか。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。