虚血性心疾患手術

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医師の「手術の技量」をもっとも知りうるのは、同業者である医師である。彼らでさえ「自らが患者なら診てほしい」と太鼓判を押す名医を紹介しよう。

“困ったときの神頼み”ではないが、患者にとっては“困りはてたときの名医頼み”がある。だが、患者にとって、医師の人間性はわかっても「手術の技量」はわからない。それを知りうるのは、専門家として同じ手術を行う医師たちである。

そんな医師の誰もが名医として推薦する3人に登場いただき、名医の名医たる技量と心構えを聞いた。

■たずさわった手術は6000例を超えた

今、最も有名な心臓外科医は? と質問すると、100人中100人が順天堂大学医学部附属順天堂医院(東京都文京区)心臓血管外科の天野篤教授を挙げるだろう。

それは心臓血管外科医も同じ意見である。「日本一確実で丁寧な手技、そして完璧な手術を行う」という高い評価でわかろうというもの。

「“たくさん手術をやっていて飽きませんか?”という質問を同じ医師から受けることがあります。手術は完璧を目指すと飽きるということはまったくありません。完璧な内容の手術ができたら満足度は極めて高い。そのときのスナップショットが数多く頭の中に入っています」

そのスナップショットが天野教授の頭の中で様々に再生が可能となる。

「中心部を拡大することもできるし、3D画像にすることもできます。頭の中に何枚持っているかが、心臓外科医の勝負です」

人間の体を手術するときには、緊急異常事態が起こることは少なくない。そのとき、スナップショットが多いと、手探りで対処するのではなく、“確信のもとに”突き進めるのである。

「手術数が5000例を超えた頃から、引き出しが確実なものになってきました」

天野教授が執刀医としてたずさわった心臓手術は6000例を超えて、手術の成功率は緊急手術も含めて98%と、驚異的な成績である。

心臓外科医が優秀と認められるのは年間100例のライン。ところが、天野教授は今も年間約400例の手術を行っている。

「かつて年間450例以上の手術を行っていた時期がありました。そのときは、ひたすら手術を行っているだけ――。今はその頃と比べると無駄がなくなり手術が速くなりました。手術が速くなったことで、さらに貢献できる患者層が出てきました。80歳以上とか臓器機能の悪い人などの手術です。全身全霊を傾けなければ、手術日が命日になりかねません」

今日の狭心症・心筋梗塞に対する治療は、大きく3種類が行われている。内科的治療として「薬物療法」と「冠動脈カテーテル治療」が行われ、外科的治療として「冠動脈バイパス手術」が行われている。

冠動脈バイパス手術は冠動脈の閉塞した部分にバイパスを作って対応する手術。人工心肺を使った手術が主流だったが、2005年頃からは心臓を動かしたまま手術を行う「心拍動下バイパス手術(オフ・ポンプ)」が主流。天皇陛下もこの手術を受けられたのである。

天野教授は日本における心拍動下バイパス手術のパイオニアで、1990年代後半から取り組んできた。80歳以上、臓器機能の悪い人には有利な手術である。

「ここまで私に手術をさせてくれたのは“私と患者さんとの関係”です。患者さんに信頼してもらう努力です。私は一貫して患者さんのよりよい予後を求めてきました。手術で“この程度でいい”と思ったことは1度たりともありません。それが今日に至ったのでしょう」

患者の信頼を得るには確実な手術をする。そのためには、院内の自室に納得するまで泊まり込んで準備をする。

「家に帰って寝る時間が削られ、次の日の患者さんの手術に対してマイナスなら家に帰らないほうがいいでしょう。どこでもよく眠れる取り柄があるので、ベストコンデションで手術に臨みたいのです」“手術で人を救うために生まれてきた”天野教授が、医師を志したのは、父親のおじが天野少年を診てくれた小児科医だったことが影響している。

83年、日本大学医学部卒。迷うことなく心臓外科を選んだ。天野教授の父親は天野教授が大学2年のときに心臓弁膜症で手術を受け、将来再手術が必要といわれていたからである。2回目の手術が行われ、天野教授は助手として手術場に入った。しかし、縫いつけた人工弁の糸が1本緩み、結果、3回目の手術後に父親は帰らぬ人となった。

「父は自分の生命と引きかえではないですが、私に価値がはかれない遺産をくれました」“確実に、手を抜かない、完璧を目指す”天野教授の厳しい道はここから生まれたのかもしれない。

自分自身で行った手術では98%の成功率(待機手術では99.6%)とはいえ、2%(待機手術では0.4%)は亡くなる人もいる。

「そういう人のことばかり覚えています」

とりわけ強い記憶として残っているのが、21年前の手術。当時20歳だったS子さんは心臓の悪性腫瘍だった。

「心臓の悪性腫瘍を調べると“すべて取り切る。取り切れば次の化学療法、放射線療法での延命ケースもある”とありました」“腫瘍を取り切ればS子さんを自宅に帰せる”との思いで全神経を集中してメスを握り、執刀した。

「切っていくと両心房はなくなり心室だけが残りました。先天性疾患用のパッチで右心房、左心房を作り動かしましたが、そこで大出血。自衛隊に輸血をお願いして何とか出血がとまり、無事、彼女を帰すことができました」

が、半年後に再発。元気な彼女の姿を見ていて両親は「本当に助からないのですか……」とポツリともらした。

「“一緒に手術を乗り越え頑張ったご褒美で与えられた時間です”と、私は言いました。あのときは心臓の手術経験が100例を超えたくらいでした。今、同じ手術をやれ! と言われてもできないかもしれません。私の体に、何か違う力が乗り移ったようで、今だとあれだけ切り込めないかもしれません」

“天狗になったこともあった”とはいうものの、真摯に歩んできたからこそ、今がある。

「とにかく、今は手術の完璧性を追求しています。若いときは手術の完成度が高くありませんから、患者さんとの距離感を縮めて、まずは患者さんとの相互信頼ありき、でした。今は、相互信頼は手術で勝ち取る! というふうに変わってきました」

手術に自信があり、結果を出せるから言える言葉である。そして、「手術にまだ新しい発見がある」と話した天野教授は若々しさで輝いていた。

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順天堂大学医学部附属順天堂医院 天野 篤
1955年生まれ。日本大学医学部卒業。関東逓信病院(現NTT東日本病院)・亀田総合病院・新東京病院心臓血管外科部長・昭和大学横浜市北部病院循環器センター長兼教授。2002年より順天堂大学医学部心臓血管外科教授。映画「チーム・バチスタの栄光」やテレビドラマ「医龍-Team Meaical Dragon」の医療監修も手がけた。著書に『心臓病名医の言葉で病気を治す』など。

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(医学ジャーナリスト 松井宏夫=文 的野弘路=撮影)