ジャパニーズ・ビストロの店内

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仏版グーグルで何気なく「Japon」という単語で検索していたら「Japanese Bistro(ジャパニーズ・ビストロ)」という、パリのレストランが引っかかった。ホームページを見てみたら、日本の伝統文化やアニメなどが一緒くたにされた「外国人がイメージする日本」というサイトへ行き着いた。メイドカフェのようなピンクで統一された店内で、メイドの格好をした店員が接客してくれるらしい。一体、ジャパニーズ・ビストロとはどのような場所なのか。気になったので行ってきた。

同レストランはパリ市内のオペラ地区にある。オペラ地区とは日本食品店や日本食レストランが集積する地域だ。このお店、まず外観からして怪しい。夜に訪れたせいもあるが、建物を彩るパリらしくないきらびやかなネオンが、歌舞伎町を連想させる。店頭でしばらく様子を見ていても、入っていく人は誰もいない。店は階段を下った地階にあり、一緒に訪れた知人のフランス人は「パリは色々な店があるけど、ここは1人で入りたくないな……ぼったくられそう」と怖じ気づいてしまった。もしぼったくられたとしても、それを記事のネタにしようと考えつつ、渋るフランス人を無理矢理店内に押し込んだ。

ゴスロリ服を着せられたマネキンが不気味に立つ階段を抜けて中へ入ると、写真そのままのピンクで統一されたポップな雰囲気の店内へ出た。至る所にアニメ風美少女たちの絵が飾られ、等間隔で壁にはめ込まれたモニターでは仏ケーブルテレビ局の漫画・アニメチェンネルが流され続けていた。一方でギリシャ彫刻のような装飾も店内各所にあり、カオスな雰囲気……。まるで日本の温泉街などにある珍スポットだ! 昭和の香りがプンプンする日本と、まさかパリで出合ってしまった。

入店時、店内にはメイド服を来た2名の女性店員が従事していた。1人は太めの20代くらいの東南アジア系の人で、調理場兼任なのか私たちを席に案内した後、オープンキッチンで焼きそばを作っていた。もう1人は50代くらいのアフリカ系の人で、彼女はカウンターに待機しつつ、コップなどを片付けていた。すでに3組の先客もいた。

メニューはすしから麺類、焼鳥など、外国人がイメージする日本食は一通りそろう。価格も表示され、ぼったくりではなさそうだ。とりあえず鉄火とイクラの巻きずし12個セット12.5ユーロ(約1700円)と、しょうゆラーメン9.5ユーロ(約1300円)を注文し、加えてナガサキヤキ(長崎焼き? )12ユーロ(約1700円)という麺料理もたのんでみた。

さて、巻きずしだが、酢飯は水分が多めで、お粥気味になっている。以前、フランス人家庭で夕食をごちそうしてもらった時に、日本人だからという理由でご飯を炊いてくれたことがあったが、その時の食感を思い出した。水分のお陰で鉄火とイクラは口の中で必要以上に溶けた。

しょうゆラーメンは、鳥肉で出汁を取った西洋風スープにしょうゆが加わった品だった。麺は中華街で購入できる、中華料理やベトナム料理に用いられる腰がない米麺だ。ナガサキヤキはラーメンと同じ米麺を、野菜とウスターソースで炒めた焼きそば風料理だった。ソースの味が強いのでラーメンよりは日本人の口に合う。ただし日本の日本食ではない。

麺メニューは1皿の量が多めなので、すべてを平らげるのに苦労したものの、隣に座っていた白人グループはおいしそうに食べていた。一緒に行った友人のフランス人は、日本について一般的なフランス人よりは詳しい人なので、今回のメニューに対し好評はもらえなかった。しかし隣のテーブルの表情を見ている限りでは、先入観無しに日本食とはこういうものだと思って食べれば、案外新たな良さを見つけられたのかもしれない。

結局ジャパニーズ・ビストロとは何だったのか。じつはこれ、観光客向けのコンセプト・レストランの一種らしい。店員にたずねたところジャパニーズ・ビストロは3年前にできたそうだ。ジャパニーズ・ビストロの上階には同系列のアメリカをイメージした「アメリカン・ドリーム」というレストランがあり、ジャパニーズ・ビストロとは店内でつながっている。内装にギリシャ彫刻みたいなものが残っているのは、「日本」にコンセプトを変える前の名残なのかもしれない。

日本のコンセプト・レストランにも言えるが、この種類の店は何よりも雰囲気で勝負しているので、「本場の味と違う」と料理の細かな点に文句を付けるのは野暮である。武道と忍者に代表される伝統文化とハイテク社会、お色気アリのロリ系少女が登場するアニメに囲まれながらメイド服を着た店員に接客されるという、西洋人が持つ日本のステレオタイプを具現化した店内で、日本食を食べられるということに意味がある。

例えば日本にある欧州風レストランやアラビア風レストランが、日本を訪れた外国人たちに奇妙に映ることもあるだろう。そんな彼らの気持ちを体験するには、ぴったりの場所だった。
(加藤亨延)