マンデラ氏が身をもって教えてくれたこと/三宅 信一郎
元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラ氏が、12月5日、95歳でお亡くなりになりました。 2010年2月7日の投稿記事でも触れましたが、マンデラ氏がなぜこれほどまでにその功績を世界から讃えられているのでしょうか?
それは、当時の盟友との厚い信頼関係をベースに、真のリーダーシップを人種問わずに発揮したからであったと思います。
以前の記事を編集して改めてお伝えしようと思います。
1994年、南アフリカ初の黒人大統領となったマンデラは、アパルトヘイト(人種隔離制度)による人種差別など3世紀半続いた白人支配に終止符を打ち、新生南アをスタートさせました。
筆者は、ちょうど1993年から5年間に渡り、商社の駐在員として南アフリカに駐在し、白人政権から黒人政権に移行していく激動の南アでの生活を体験しました。
マンデラ氏の他に、もう一人、アパルトヘイトを廃止し、それまで参政権すらなかった黒人を含む全人種参加の議会選挙を断行し、自分が泥をかぶってでも黒人初の大統領を迎え、南アを国際社会へ見事復帰させたもう一人の立役者がいたのです。
その名は、デクラーク。
3世紀半続いた南アの白人政権最後の大統領です。
このデクラークとマンデラには厚い真の信頼関係が築かれていたと言われています。
当時駐在中に筆者がある要人から聞いた象徴的なエピソードを紹介しましょう。
南アのアパルトヘイトに対する国際的な制裁活動や非難が日増しに高まるなか、27年間もの気の遠くなるような間、ケープタウン沖合の小島にある牢獄で、投獄生活を余儀なくさせられていたマンデラに、時の大統領であったデクラークは、牢獄でマンデラと極秘に面談しました。
「マンデラさん。
私は、南アをアパルトヘイトから永遠に決別させ、国際社会に
復帰させたいと思っています。
そこで、あなたに新生南アを任せることを約束します。
一方、あなたが権力を握っても、白人に対して仕返しだけはしない
と約束してほしいのです」
と言いました。
マンデラは
「分かりました。 約束します」
と言い、結果として1990年2月、ついに白人の目の敵であったマンデラは、釈放されたのでした。
マンデラもデクラークも相手を信頼することが唯一の拠り所でした。
それ以外何があったでしょうか?
当時の彼らを取り巻く周りの環境の厳しさを考えると、歴史的偉業を進めるためには、お互い相手を信じること以外に、恐らく何も手段はなかったと思います。
筆者のような凡人から察すると、当時のマンデラの思いとしては、
「30年ちかくも自分を独房に閉じ込め続けた憎っくき白人政権が
今更何を言うか!
そんな連中の言うことなど到底信用できない。
釈放とは名ばかりで、出獄した途端に殺されるかもしれない」
と思っても不思議ではないと思ってしまいます。
一方、デクラークも、
「永年白人と徹底的な武装闘争を続けてきた黒人解放のカリスマで
あるマンデラに権力を渡した途端どうなるか?
今までの永年の白人に対するうらみつらみを果たすべく、白人に
対して徹底的な仕返しを開始するかもしれない。
結果、南アから白人を追放されてしまうかもしれない」
と思っても不思議ではありません。
現に、周辺のモザンビークやジンバブエなどの多くの国家が、
白人から黒人に政権が移行するや否や、独裁国家となって、
結果として白人が追い出されるという結果を迎えています。
しかし、彼ら二人は違いました。
色々な思いはあるにしても、それを封じ込め、何より相手を深く
信頼することにより、牢獄で取り交わした人間同士の約束を守るべく
それぞれの立場上とてつもなく困難な弊害に直面しながらも着実に
お互いの約束を実行したのです。
まず、デクラークは、マンデラが議長を務めるアフリカ民族会議(ANC)という非合法政党を合法化し、アパルトヘイトの根幹を支えていた「集団地域法」など主要な法律を次々に撤廃し、民主的な選挙を実行し、
マンデラ大統領誕生の基盤を構築したのでした。
デクラークが受けた保守系白人社会や右翼団体・保守政党からの非難や
浴びせられた誹謗中傷や汚名は、想像を絶するものだった
と思います。
彼はそれらをすべて甘んじて受けることを全て覚悟し、マンデラとの約束を守ったのでした。
一方マンデラは、釈放されて大統領になってからも、同朋の多数の命を奪い、30年近い自分の貴重な青春を奪った白人側や白人政党である国民党の責任を問う言葉や、うらみ中傷を何一つこぼさないで活動をしていました。
以前、「インビクタス」という映画にも取り上げられたのですが、新しい黒人政権下、国家スポーツ評議会が、アパルトヘイトの象徴である南アのラグビー代表チームであるスプリングボックというチーム名と、ユニフォームやエンブレムのデザインを全て廃止する決議案を可決しようという際、マンデラがそれを阻止する演説を黒人の前で行い、説得するというシーンがありました。
その時にマンデラが放った言葉です。
「今は卑屈な復讐を果たす時ではない」
白人も黒人もない。 敵も味方もない。 皆同じ南アフリカ人として
新しい国づくりに励もうという強い意志が感じ取れます。
それから、マンデラは、自国で開催されたラグビーワールドカッップの決勝戦で、白人スポーツの象徴である、南アラグビー代表チームを真剣に応援し、奇跡の優勝劇を演出し、スプリングボックのユニフォームを着てグラウンドに立ち、選手一人ひとりの名前を呼び、感謝の気持ちを述べたのでした。
筆者は幸いにもこの決勝戦を観客席から見る機会がありました。
これを観客席から観た白人は、こう思ったに違いありません。
「マンデラは、我々白人の敵ではないのだ。
我々白人に仕返しを企てるような人物ではないのだ。
真のこの国のリーダーなんだ。
我々白人も、生まれ育ったこの国に残って頑張って生活し続ける
希望を持ってもいいのかもしれない」
この決勝戦でのシーンこそ、マンデラが暗い獄中でデクラークと取り交わした人間同士としての信頼の絆を、公の場で明確な形で証明してみせた、象徴的なシーンだったと思います。
彼はデクラークとの信頼を元に約束を守ったのでありました、
当時あの観客席で一緒に隣で観戦した南ア国営大手製鉄会社の顧客で
ある白人の幹部が後日筆者に言ったことを今でも覚えています。
「ミスター ミヤケ。
正直、来月には、荷物をまとめて祖父母の故郷であるオランダ
に逃げ帰ろうかと思っていた。
あの決勝戦の試合を観るまではね。
だけど、あの日を境に考えが変わった。
これから色々あるかもしれないが、ともかくこれからも 俺は
南アフリカで頑張ろうと思う。
南アフリカ人としてね」
マンデラとデクラークは、結局二人揃ってノーベル平和賞を受賞
しました。
相手を信頼し、希望と夢を持って人種を超えた新しい国家を建設した二人には当然かもしれません。
一方、身近には、政治と金、賄賂などという極めて低レベルな問題で、お互い延々と非難中傷や幼稚な弁明ばかりしている我が国の国会の政治家先生方を連日見ていると、情けなくなります。
あの南アのマンデラ、デクラークのお二人の全てとは言いません。
例え、何百分の一でもいいから、もうちょっと日本国の発展のために
ピュアな意思と志をもって頂き、信頼を築いて、国民が納得できるように活動して欲しいなと切に思ってしまいます。
南ア駐在時代に、本当の真の政治家・リーダーに触れ、その指導者の下で、その国家が国民と共に変革していく姿を目の当たりにできたことは、一番の人生の収穫だと思っています。
ビジネスの現場でも同じでしょう。
真に信頼できる相手を見つけましょう。
そのためには、自分を信頼してもらいたいという受け身の思いは
捨て去りましょう。
まず自分が相手をひたすら信頼することができるかどうかが大事な出発点ではなないでしょうか?
それは、当時の盟友との厚い信頼関係をベースに、真のリーダーシップを人種問わずに発揮したからであったと思います。
以前の記事を編集して改めてお伝えしようと思います。
筆者は、ちょうど1993年から5年間に渡り、商社の駐在員として南アフリカに駐在し、白人政権から黒人政権に移行していく激動の南アでの生活を体験しました。
マンデラ氏の他に、もう一人、アパルトヘイトを廃止し、それまで参政権すらなかった黒人を含む全人種参加の議会選挙を断行し、自分が泥をかぶってでも黒人初の大統領を迎え、南アを国際社会へ見事復帰させたもう一人の立役者がいたのです。
その名は、デクラーク。
3世紀半続いた南アの白人政権最後の大統領です。
このデクラークとマンデラには厚い真の信頼関係が築かれていたと言われています。
当時駐在中に筆者がある要人から聞いた象徴的なエピソードを紹介しましょう。
南アのアパルトヘイトに対する国際的な制裁活動や非難が日増しに高まるなか、27年間もの気の遠くなるような間、ケープタウン沖合の小島にある牢獄で、投獄生活を余儀なくさせられていたマンデラに、時の大統領であったデクラークは、牢獄でマンデラと極秘に面談しました。
「マンデラさん。
私は、南アをアパルトヘイトから永遠に決別させ、国際社会に
復帰させたいと思っています。
そこで、あなたに新生南アを任せることを約束します。
一方、あなたが権力を握っても、白人に対して仕返しだけはしない
と約束してほしいのです」
と言いました。
マンデラは
「分かりました。 約束します」
と言い、結果として1990年2月、ついに白人の目の敵であったマンデラは、釈放されたのでした。
マンデラもデクラークも相手を信頼することが唯一の拠り所でした。
それ以外何があったでしょうか?
当時の彼らを取り巻く周りの環境の厳しさを考えると、歴史的偉業を進めるためには、お互い相手を信じること以外に、恐らく何も手段はなかったと思います。
筆者のような凡人から察すると、当時のマンデラの思いとしては、
「30年ちかくも自分を独房に閉じ込め続けた憎っくき白人政権が
今更何を言うか!
そんな連中の言うことなど到底信用できない。
釈放とは名ばかりで、出獄した途端に殺されるかもしれない」
と思っても不思議ではないと思ってしまいます。
一方、デクラークも、
「永年白人と徹底的な武装闘争を続けてきた黒人解放のカリスマで
あるマンデラに権力を渡した途端どうなるか?
今までの永年の白人に対するうらみつらみを果たすべく、白人に
対して徹底的な仕返しを開始するかもしれない。
結果、南アから白人を追放されてしまうかもしれない」
と思っても不思議ではありません。
現に、周辺のモザンビークやジンバブエなどの多くの国家が、
白人から黒人に政権が移行するや否や、独裁国家となって、
結果として白人が追い出されるという結果を迎えています。
しかし、彼ら二人は違いました。
色々な思いはあるにしても、それを封じ込め、何より相手を深く
信頼することにより、牢獄で取り交わした人間同士の約束を守るべく
それぞれの立場上とてつもなく困難な弊害に直面しながらも着実に
お互いの約束を実行したのです。
まず、デクラークは、マンデラが議長を務めるアフリカ民族会議(ANC)という非合法政党を合法化し、アパルトヘイトの根幹を支えていた「集団地域法」など主要な法律を次々に撤廃し、民主的な選挙を実行し、
マンデラ大統領誕生の基盤を構築したのでした。
デクラークが受けた保守系白人社会や右翼団体・保守政党からの非難や
浴びせられた誹謗中傷や汚名は、想像を絶するものだった
と思います。
彼はそれらをすべて甘んじて受けることを全て覚悟し、マンデラとの約束を守ったのでした。
一方マンデラは、釈放されて大統領になってからも、同朋の多数の命を奪い、30年近い自分の貴重な青春を奪った白人側や白人政党である国民党の責任を問う言葉や、うらみ中傷を何一つこぼさないで活動をしていました。
以前、「インビクタス」という映画にも取り上げられたのですが、新しい黒人政権下、国家スポーツ評議会が、アパルトヘイトの象徴である南アのラグビー代表チームであるスプリングボックというチーム名と、ユニフォームやエンブレムのデザインを全て廃止する決議案を可決しようという際、マンデラがそれを阻止する演説を黒人の前で行い、説得するというシーンがありました。
その時にマンデラが放った言葉です。
「今は卑屈な復讐を果たす時ではない」
白人も黒人もない。 敵も味方もない。 皆同じ南アフリカ人として
新しい国づくりに励もうという強い意志が感じ取れます。
それから、マンデラは、自国で開催されたラグビーワールドカッップの決勝戦で、白人スポーツの象徴である、南アラグビー代表チームを真剣に応援し、奇跡の優勝劇を演出し、スプリングボックのユニフォームを着てグラウンドに立ち、選手一人ひとりの名前を呼び、感謝の気持ちを述べたのでした。
筆者は幸いにもこの決勝戦を観客席から見る機会がありました。
これを観客席から観た白人は、こう思ったに違いありません。
「マンデラは、我々白人の敵ではないのだ。
我々白人に仕返しを企てるような人物ではないのだ。
真のこの国のリーダーなんだ。
我々白人も、生まれ育ったこの国に残って頑張って生活し続ける
希望を持ってもいいのかもしれない」
この決勝戦でのシーンこそ、マンデラが暗い獄中でデクラークと取り交わした人間同士としての信頼の絆を、公の場で明確な形で証明してみせた、象徴的なシーンだったと思います。
彼はデクラークとの信頼を元に約束を守ったのでありました、
当時あの観客席で一緒に隣で観戦した南ア国営大手製鉄会社の顧客で
ある白人の幹部が後日筆者に言ったことを今でも覚えています。
「ミスター ミヤケ。
正直、来月には、荷物をまとめて祖父母の故郷であるオランダ
に逃げ帰ろうかと思っていた。
あの決勝戦の試合を観るまではね。
だけど、あの日を境に考えが変わった。
これから色々あるかもしれないが、ともかくこれからも 俺は
南アフリカで頑張ろうと思う。
南アフリカ人としてね」
マンデラとデクラークは、結局二人揃ってノーベル平和賞を受賞
しました。
相手を信頼し、希望と夢を持って人種を超えた新しい国家を建設した二人には当然かもしれません。
一方、身近には、政治と金、賄賂などという極めて低レベルな問題で、お互い延々と非難中傷や幼稚な弁明ばかりしている我が国の国会の政治家先生方を連日見ていると、情けなくなります。
あの南アのマンデラ、デクラークのお二人の全てとは言いません。
例え、何百分の一でもいいから、もうちょっと日本国の発展のために
ピュアな意思と志をもって頂き、信頼を築いて、国民が納得できるように活動して欲しいなと切に思ってしまいます。
南ア駐在時代に、本当の真の政治家・リーダーに触れ、その指導者の下で、その国家が国民と共に変革していく姿を目の当たりにできたことは、一番の人生の収穫だと思っています。
ビジネスの現場でも同じでしょう。
真に信頼できる相手を見つけましょう。
そのためには、自分を信頼してもらいたいという受け身の思いは
捨て去りましょう。
まず自分が相手をひたすら信頼することができるかどうかが大事な出発点ではなないでしょうか?