昨日の理由と明日の理由/純丘曜彰 教授博士
/過去が理由なら、それはリアクション。永遠に過去から逃れられず、仕方ない一生から脱しえない。だが、きみは未来を理由にすることもできる。自分の未来を取り戻したければ、きみはけっして過去を理由にしてはならない。/

 けさ起きたら雪が降っていて、電車が遅れました。ああ、それじゃ仕方ないね。ええ、そうなんです。だって、こうなんだから仕方ない。それで、ああしたら、こうなっちゃったんだから、仕方ない。そして、仕方ない、仕方ない、で、そういうやつは、その後もずっと仕方ない一生を送る。人生のすべてが、過去の状況に対するリアクション。なにか聞かれても、すべてが言いわけ。

 なぜそうするのか、と聞かれて、理由が過去なら、それはきみが選んでいる行動ではない。仕方なく状況にそうさせられているだけ。過去を理由にしているかぎり、きみは永遠に未来にはたどり着けない。過去が次から次に追いかけてきて、けっして過去から逃れることはできない。家が貧しかったから、才能が無かったから、ひどい上司だったから。

 だが、世の中には、もっと別の生き方もしている人もいる。雪が降るそうなので、遅刻しないように、今夜は早く寝て、明朝は早く起きます。つまり、理由は、過去ではなく、未来に求めることもできるのだ。留学したいので、英会話の学校に通っています。家を買いたいので、節約して貯金をしています。その理由は、きみが自分で立てたもの。理由を立てることそのものが、未来の状況に対する、きみの側のアクションだ。

 嫌な過去から逃れたいのなら、きみはもう二度と過去を理由にしてはならない。過去など、現実にはもう、どこにも実在しない。あるとすれば、せいぜいきみの嫌な思い出の中だけだ。だから、きみがそれを今の理由としたりしなければ、その瞬間に、きれいに消える。つまり、きみの方こそが、嫌な過去にへばり付いて、その嫌な過去を何度も何度もこの世に引っ張り出し直している元凶。その悪癖をきみが止めれば、過去は消える。ほんとうにいまあるのは、さまざまな未来の可能性に満ちた、まさにいまここだけだ。

 昨日までのことは、いまこの状況として、もはやすべて精算済み。いまこの状況そのもの以外には、なんの負債も、なんの負い目も、きみには無い。いままでにきみが故もなく支払わされてきたつらい痛みも、悲しい思いも、なにももう、いまこの状況には無い。積もりに積もった積年の恨み辛みも、犬のようなやつらへの憎しみとともに、まとめて捨ててしまえ。そんな連中を、きみの大切な未来にまで、きみがいっしょに連れて行ってやる必要などあるまい。重要なのは、きみに、いまこの状況が十分に与えられているということ。そして、いまこの状況から、どんな未来の理由でも、きみは自由に立てることができるということ。

 過去といまを理由で繫ぐのではなく、いまと未来を理由で繫ごう。過去に生きるのではなく、未来に生きよう。他人の昨日を断ち切り、自分の未来を取り戻そう。風邪気味だから、寝不足だから、まだ寒いから、もうすこし寝ている、そして寝坊したから、ドタバタとあわてて出て行く、というのではなく、風邪を早く治すようにうがいをし、明日のために夜は早く寝て、寒くないようにガウンでもなんでもはおれば、きみはもっと余裕をもって起きられる。あわてて出て行くこともない。状況そのものが、きみのものになる。

 すべてはきみの決断だ。決断とは、過去の理由を切り捨て、未来の理由を切り拓くこと。状況にきみがつつき回されるリアクションから、きみが状況の方を駆り立てるアクションへ。後向きから前向きへ、守勢から攻勢へ、180度の転換。そして、未来の理由に向けて、きみは橋をかける。その橋を渡っていけば、きみは、きみの未来へ近づく。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。