いつまで経っても、社員を認められない社長がいる。
「うちの社員はまだまだで」
「うちの社員はできが悪くて」
自分と同じように仕事をしてくれないと気が済まず、イライラする自分がいる。

だから、何でも自分でやってしまいたくなる。
そんな時は「弟子は師の半芸に至らず」という言葉を思い出す。

弟子というのはいくら修行を積んでも、師匠の芸の半分の域にまでしか至ることができない、という諺。

これは師匠が「それぐらいに思って弟子を盛り立ててやれ」という意味にとるべし。

師匠の方だって、ひとところに立ち止まっていることはなく、進化し続ける。
死ぬまで、弟子というものは物足りなく感じて当たり前なのかもしれない。

一方で、弟子の側は「出藍の誉れ」を目指して精進すべし。
これは「しゅつらんのほまれ」と読む。

荀子(じゅんし)が学問の重要性を説明するために使った言葉からできた。

学問は奥深く終わりがない。
勉強をおこたらず、はげむことが大切だ。

青は藍(あい)よりとりて藍(あい)よりも青く、氷は水よりつくりて水よりも冷たし。

青色の染料(せんりょう)は藍(あい)という草から作られるが、その色は藍(あい)という草の色よりもさらに青い。

氷は水から作られるが、その水よりも冷たい。
つまり、もとになった物よりも、それからできた物の方が優れている。

このように学問も積み重ねよって、さらに発展するということ。

師匠は「弟子は、師の半芸に到らず」と思って、盛り立て、弟子のほうは「出藍の誉れ」と思って修行に励む。

それが師弟の有り方かもしれない。