​忙しいのは人のせい?
/純丘曜彰 教授博士
/他人の思いつきの用事のせいで、永遠に自分の仕事にたどり着かない。同様に、簡単な仕事から先にしていると、難しい仕事には取りかかれない。予定は、自分の人生の難しい課題に取り組むためにこそ立てるもの。他人に媚び、安直に甘んじるのを止めることから始めよう。/

 予定表にto doを書き込む。だが、それが一日にいくつもあるとき、あなたはそれを[今すぐ/後で]に分け、とりあえず[今すぐ]を片付けてしまおうとする。だが、これはまずい。それが片付いたころには、次の[今すぐ]がまた大量に入ってきて、[後で]は、もっと先送りになる。それで、いまだに[後で]は[後で]のまま。

 他人の仕事/自分の仕事と言い換えてみると、本質がよくわかる。なぜ[今すぐ]なのか? 自分自身の予定であれば、自分自身で前もって心の準備をしている。ところが、他人は、自分の思いつきで、突然に言い出し、周囲を振り回す。それで、あなたが他人の[今すぐ]をなんとかしなければならないハメに陥る。たとえば、電話。出ないわけにもいくまい。それで、あれどうなってた? と聞かれれば、折り返しかけ直します、と言って、すぐに調べることになる。だが、よく考えてみよう。それを優先すれば、本来の仕事が遅れる。すぐに返事をしないと、相手はむくれるかもしれないが、本来の仕事を遅れさせて、むくれる連中だっている。どっちが大切なのか。どっちが自分の本来の責任なのか。両方にいい顔をすることはできない。

 また、人は、とりあえず簡単な仕事から片付けようとする。楽勝だから、その先の予定も立てやすい、などと言う。しかし、これまた同じ。簡単な仕事が片付いたころには、次の簡単な仕事が山ほど入り込んでいる。それで、難しい仕事は永遠に先送り。とはいえ、楽勝なら、そんなのは、もうあなたの仕事ではない。後輩かなにかにやらせて、自分は自分しかできないもうひとつ上のレベルの難しい仕事にチャレンジすることこそ、自分の責任じゃないのか。もちろん、チャレンジは失敗するかもしれない。だから、やっぱり簡単な仕事のルーティンワークの方がいい、って、それではハムスターが回し車を漕いでようなもの。そこでどんなに努力しても、どんなに早く回しても、永遠にそれは前には進まない。前に行くには、[後で]の自分の難しい仕事に自分が乗り出してこそ。[後で]のことに手を掛けてこそ、自分自身が前に、外に進み出る。

 人生は、だれでも1日24時間、1年365日、せいぜい80年しか無い。どうでもいい他人の思いつきの暇潰しに、自分の人生を食い潰されてたくないなら、義理ごとは、まさに義理程度の最低限に絞り込んで、自分の人生の次の難しい課題に取り組んでいかないといけない。義理ごとに必要以上の最善を尽くして相手を喜ばそうとしたところで、相手は当然としか思わない。それどころか、あなたは、よほど暇で、いつでも安く便利に使えるやつ、として、さらに搾取されるだけ。いくら簡単な仕事を要領よくこなせるようになっても、それは、人間として夢を失い、ただ堕落していっているだけ。

 忙しいのは誰が悪いのか。他人に媚びへつらい、安直な毎日に甘んじて、一度限りの自分の人生を大切にしていないあなた自身だ。自分の予定は、自分の人生に沿って立てるもの。自分の人生を生きること、これこそ、すべてに最優先されるべきto do。そして、自分が立てた予定であれば、段取もわかっているだろうから、べつに慌て急ぐこともなく、一歩一歩、着実にこなしていけばいい。24時間、365日、80年。この限りある時間の中で、自分自身の本来の仕事をやり遂げるためには、他人の用事、楽勝な雑事は、大胆に切り捨て、余裕を捻出しないといけない。電話に出ない決断、テレビやネットを切る覚悟。用事を断る勇気、他人に媚びない信念。まず自分の時間を大切にすることから始めよう。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。