「SASUKE」をノベライズする
テキスト系妄想メディア「ワラパッパ (WARAPAPPA )」より
山の中腹に建つ自宅の縁側に腰を下ろし、山田勝己はその眼下に広がるSASUKEセットを一望した。
澄み渡る青空のもと、山林を切り拓いた広大な敷地には、鉄骨と木材によって組み立てられたさまざまなアトラクションが林立し、その景観はあたかも建設途中の巨大テーマパークを思わせる。
実際山田が数十年前、自宅のSASUKEセットを一般に開放して以来、全国のSASUKEファンが、そしていまやファミリー連れや海外からの団体客までが、このアトラクションとミスターSASUKEこと、山田勝己を目当てに訪れている。
アトラクションに挑む若者たちの気合いが、子供たちの無邪気な笑いが耳に届く。
緑吹き抜ける心地よい風を頬に受けながら、山田勝己は静かに目を閉じた。
遠い昔、まだ借家だった自宅の片隅に、手作りのSASUKEセットを作った記憶が、昨日のことのように思い出された……。
1997年、はじめて挑んだSASUKEが、山田の人生を一変させた。
初回のSASUKEセットは室内に設けられ、アトラクションの規模もいまでは考えられないほどチープであった。
しかし山田の目にはそのSASUKEが、数々の障害を乗り越え栄えあるゴールにたどり着くという過程全体が、挑むべき人生そのものに見えた。
完全制覇は逃したものの、第一回で好成績を収めた山田は続いての大会にも出場。このときは第二ステージで涙を飲んだ。
その後、失敗したアトラクションを再現したセットを自宅の庭に設置。これが山田の作った最初のSASUKEセットであった。
他の選手とは明らかに違う気合いと、鍛え上げられた肉体によって、常にトップクラスの成績を残す山田の存在は、次第に視聴者にも認知されるようになった。
いつしか山田は『ミスターSASUKE』の称号を手にしていた。
栄光ばかりではない。
否、山田のSASUKE人生はむしろ、挫折と屈辱の歴史であった。
初期こそ完全制覇に最も近い男と呼ばれた山田だが、その栄誉は他人の手に渡り、山田はスランプに喘いだ。
練習量では誰にも負けないはずなのに、結果がついてこない。
日夜トレーニングに没頭するあまり、ついに山田は当時務めていたボンベ配送業の仕事をリストラされてしまう。
男のロマンは、ついに愛する家族の幸福までをも奪おうとしていた。
職を失ってもなお夢を追い続ける山田を、妻は厳しく非難した。
思い悩んだ山田はこの時期何度も引退宣言をしている。だがその度に撤回し、緑山の聖地に舞い戻った。
彼に対する羨望の眼差しは、好奇と嘲笑のそれへと変わっていった。
だがそんな山田を変わらず励まし続ける者たちもいた。
SASUKEオールスターズの面々である。
共にSASUKEの歴史を築き、喜びも悔しさも分かち合った仲間の絆は固かった。
山田がどんな不甲斐ない結果を残そうと、彼らは決して山田を見捨てなかった。
途中リタイアする山田を我がことのように悔しがり、目を潤ませる。
彼らの友情を思い出すたび、山田はいまでも胸が熱くなる。
何度目の引退宣言の後、山田は大会を欠場した。
自らにけじめをつけるため、敢えて本番当日を選び、再就職の面接に臨んだ。
面接官の質問に答えるあいだ、いままさにSASUKEに挑むオールスターズの面々が脳裏をよぎった。
気がつけば面接会場を飛び出していた。
その足で山田は、近くのレンタルビデオ屋へ向かった。
なにを借りたいわけでもなかった。
ただ自分の決意を確かめたいだけだった。
山田は入会書の職業欄に、強い筆圧でこう書き付けた。
『職業・SASUKE』
もう、迷いはなかった。
山田はSASUKE道に邁進した。
すでに中年の域に達していた山田にとって、完全制覇は叶わぬ夢かもしれなかった。
しかし山田は、己の肉体を徹底的に苛め抜き、自身の限界の、さらにその先を目指した。
加齢という現実が、無情に身体能力を奪おうと、山田の信念は揺るがなかった。
若い世代が台頭し、第一ステージ脱落が常になろうと、愚直な姿勢は変わらなかった。
周囲の目など気にも留めず、あくなき挑戦を繰り返す彼の泥臭い生きざまは、いつしか目的を見失った現代人の心に、熱く深く、染み渡っていった。
山田を信奉する若者がひとり、またひとりと集まり、彼らの手によって自宅のSASUKEセットは徐々に拡大していった。
もはや山田を笑う者は、誰ひとりいなかった。
本家SASUKEの海外人気が高まるにつれ、山田の名は世界的にも知られていった。
本来人前は苦手な性格であったが、SASUKE普及のためならと、山田は海外へも積極的に出向き、各地で指導会、講演会を開いた。
山田の呼びかけによって、貧しい国の子供たちへ寄贈したSASUKEセットは優に百を超える。人々との出会いと得がたい経験は SASUKEからの贈り物であった。
地道な活動はやがて確かな実を結び、SASUKEはいまや、禅と並ぶひとつの思想として位置づけられている。
山田はその神格的存在として、世界中の門弟から畏敬の念を集めている。
ひとりの男の平凡な人生は、まさにSASUKEによって阻まれ、SASUKEによって拓かれたと言える。
いまも自宅の庭先で鈍色の光を放つ、はじめて作ったSASUKEセットを、山田は万感の思いで眺めた……。
「お師さん!」
弟子の声で、我に返った。
SASUKE塾の道着を着た幼い内弟子に、山田は優しく微笑み返した。
うやうやしく差し出された携帯電話を取ると、懐かしい声が返ってきた。
元SASUKEオールスターズの盟友、長野誠であった。
当時漁船「金比羅丸」の船長だった長野は、いまも一年の三百日以上を大海原で過ごしている。
明日の大会を前に、アフリカ大陸の南端喜望岬から届いた、激励の声であった。
携帯電話を置いた手元に、湯気を立てた湯飲みが差し出された。
振り返ると、和服姿の妻が立っていた。
熱いほうじ茶に口をつけながら、誰ともなしにつぶやく。
「もう儂も歳だし、次で引退かな…」
「聞き飽きましたよ、その台詞」
妻の呆れたような笑いが、肩の後ろから聞こえた。
頬をなでる涼風に、山田は再び、目を細めた。
挑戦は、終わらない。
山田勝己、九十六歳。
現役最年長の、SASUKEチャレンジャーである。
NOVELIZE OR DIE 第三十回
山の中腹に建つ自宅の縁側に腰を下ろし、山田勝己はその眼下に広がるSASUKEセットを一望した。
澄み渡る青空のもと、山林を切り拓いた広大な敷地には、鉄骨と木材によって組み立てられたさまざまなアトラクションが林立し、その景観はあたかも建設途中の巨大テーマパークを思わせる。
実際山田が数十年前、自宅のSASUKEセットを一般に開放して以来、全国のSASUKEファンが、そしていまやファミリー連れや海外からの団体客までが、このアトラクションとミスターSASUKEこと、山田勝己を目当てに訪れている。
緑吹き抜ける心地よい風を頬に受けながら、山田勝己は静かに目を閉じた。
遠い昔、まだ借家だった自宅の片隅に、手作りのSASUKEセットを作った記憶が、昨日のことのように思い出された……。
☆
1997年、はじめて挑んだSASUKEが、山田の人生を一変させた。
初回のSASUKEセットは室内に設けられ、アトラクションの規模もいまでは考えられないほどチープであった。
しかし山田の目にはそのSASUKEが、数々の障害を乗り越え栄えあるゴールにたどり着くという過程全体が、挑むべき人生そのものに見えた。
完全制覇は逃したものの、第一回で好成績を収めた山田は続いての大会にも出場。このときは第二ステージで涙を飲んだ。
その後、失敗したアトラクションを再現したセットを自宅の庭に設置。これが山田の作った最初のSASUKEセットであった。
他の選手とは明らかに違う気合いと、鍛え上げられた肉体によって、常にトップクラスの成績を残す山田の存在は、次第に視聴者にも認知されるようになった。
いつしか山田は『ミスターSASUKE』の称号を手にしていた。
栄光ばかりではない。
否、山田のSASUKE人生はむしろ、挫折と屈辱の歴史であった。
初期こそ完全制覇に最も近い男と呼ばれた山田だが、その栄誉は他人の手に渡り、山田はスランプに喘いだ。
練習量では誰にも負けないはずなのに、結果がついてこない。
日夜トレーニングに没頭するあまり、ついに山田は当時務めていたボンベ配送業の仕事をリストラされてしまう。
男のロマンは、ついに愛する家族の幸福までをも奪おうとしていた。
職を失ってもなお夢を追い続ける山田を、妻は厳しく非難した。
思い悩んだ山田はこの時期何度も引退宣言をしている。だがその度に撤回し、緑山の聖地に舞い戻った。
彼に対する羨望の眼差しは、好奇と嘲笑のそれへと変わっていった。
だがそんな山田を変わらず励まし続ける者たちもいた。
SASUKEオールスターズの面々である。
共にSASUKEの歴史を築き、喜びも悔しさも分かち合った仲間の絆は固かった。
山田がどんな不甲斐ない結果を残そうと、彼らは決して山田を見捨てなかった。
途中リタイアする山田を我がことのように悔しがり、目を潤ませる。
彼らの友情を思い出すたび、山田はいまでも胸が熱くなる。
何度目の引退宣言の後、山田は大会を欠場した。
自らにけじめをつけるため、敢えて本番当日を選び、再就職の面接に臨んだ。
面接官の質問に答えるあいだ、いままさにSASUKEに挑むオールスターズの面々が脳裏をよぎった。
気がつけば面接会場を飛び出していた。
その足で山田は、近くのレンタルビデオ屋へ向かった。
なにを借りたいわけでもなかった。
ただ自分の決意を確かめたいだけだった。
山田は入会書の職業欄に、強い筆圧でこう書き付けた。
『職業・SASUKE』
もう、迷いはなかった。
山田はSASUKE道に邁進した。
すでに中年の域に達していた山田にとって、完全制覇は叶わぬ夢かもしれなかった。
しかし山田は、己の肉体を徹底的に苛め抜き、自身の限界の、さらにその先を目指した。
加齢という現実が、無情に身体能力を奪おうと、山田の信念は揺るがなかった。
若い世代が台頭し、第一ステージ脱落が常になろうと、愚直な姿勢は変わらなかった。
周囲の目など気にも留めず、あくなき挑戦を繰り返す彼の泥臭い生きざまは、いつしか目的を見失った現代人の心に、熱く深く、染み渡っていった。
山田を信奉する若者がひとり、またひとりと集まり、彼らの手によって自宅のSASUKEセットは徐々に拡大していった。
もはや山田を笑う者は、誰ひとりいなかった。
本家SASUKEの海外人気が高まるにつれ、山田の名は世界的にも知られていった。
本来人前は苦手な性格であったが、SASUKE普及のためならと、山田は海外へも積極的に出向き、各地で指導会、講演会を開いた。
山田の呼びかけによって、貧しい国の子供たちへ寄贈したSASUKEセットは優に百を超える。人々との出会いと得がたい経験は SASUKEからの贈り物であった。
地道な活動はやがて確かな実を結び、SASUKEはいまや、禅と並ぶひとつの思想として位置づけられている。
山田はその神格的存在として、世界中の門弟から畏敬の念を集めている。
ひとりの男の平凡な人生は、まさにSASUKEによって阻まれ、SASUKEによって拓かれたと言える。
いまも自宅の庭先で鈍色の光を放つ、はじめて作ったSASUKEセットを、山田は万感の思いで眺めた……。
☆
「お師さん!」
弟子の声で、我に返った。
SASUKE塾の道着を着た幼い内弟子に、山田は優しく微笑み返した。
うやうやしく差し出された携帯電話を取ると、懐かしい声が返ってきた。
元SASUKEオールスターズの盟友、長野誠であった。
当時漁船「金比羅丸」の船長だった長野は、いまも一年の三百日以上を大海原で過ごしている。
明日の大会を前に、アフリカ大陸の南端喜望岬から届いた、激励の声であった。
携帯電話を置いた手元に、湯気を立てた湯飲みが差し出された。
振り返ると、和服姿の妻が立っていた。
熱いほうじ茶に口をつけながら、誰ともなしにつぶやく。
「もう儂も歳だし、次で引退かな…」
「聞き飽きましたよ、その台詞」
妻の呆れたような笑いが、肩の後ろから聞こえた。
頬をなでる涼風に、山田は再び、目を細めた。
挑戦は、終わらない。
山田勝己、九十六歳。
現役最年長の、SASUKEチャレンジャーである。
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