ジーコがJ開幕20周年を祝福「サッカー史で前例のない進化」

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 Jリーグ20周年記念パーティーが17日に行われ、初代チェアマンの川淵三郎氏をはじめ、2代目の鈴木昌氏、3代目の鬼武健二氏、現在の大東和美チェアマンらが出席した。

 パーティーには、鹿島アントラーズでプレーした経験のある元日本代表監督のジーコ氏も出席。20年を振り返り、以下のように語った。

「感激の一言に尽きる。みんなで力を合わせて始めたものが、20年間でこれだけ異例のスピードで進化した。その土台を自分も築けた。サッカー史で前例のないほどの進化だった」

「当時は、リトバルスキーやラモン・ディアスらのメンバーがいて華やかに開幕したが、これからは日本人のスターを作らないといけないと言った。いくら外国人が活躍しても一過性のもの。日本人をどう育成するか。それが20年目で、今のヨーロッパでどれだけの日本人がレギュラーとしてビッグクラブで活躍しているか。それは、嬉しい限り。心の底から自分がやってきたことに誇りを持てる結果だと思う」

「今は、非常に良い状況で正しい道を辿っていると思う。考えないといけないのは、育成の問題で子供達の底辺を広げる。どの強豪国でも次から次へと若手が出て来て、それが途切れることがない。そこに並ぶようなシステム作り。若手を育てるには、モチベーションを持たせることが凄く大切で、モチベーションがあれば若手は凄く伸びていく。それを如何にみんなの力でやっていくか」

「当時来ていた選手は、リラックスしてサッカーができた。自分たちの持っているものを伝達できる余裕があった時期だった。今はJリーグが確立されて、来たら活躍しないといけない。その余裕が欠けている部分かもしれない。その部分をどのようにして機能するかが課題ではないか。今は結果を出さないといけないという時代だから、当時のような余裕のあった指導や伝達が難しくなっている」

「当時、どれくらい余裕があったかというと、帰ってギネス記録を見てみたいことがある。公式戦で40歳の一度引退した選手が、素晴らしいリーグの開幕戦でハットトリックを決めたことがあるのかと。それができたというほど余裕があった。もう1人のジーコが存在したのかと、みなさんにも調べていただきたい」

「この場をお借りして、深く感謝したい。来日してから20年経ったが、来るたびにみなさんには良くして頂いた。みなさんと共同の作業をしてきた自負があり、この素晴らしい日を迎えることができた。私はブラジル人でありながら、日本は自分の家で対外的には自分は日本人だと言っている。これからも、胸を張って日本人だと言う。コンフェデレーションズカップとワールドカップがブラジルであるが、日本は絶対出てくれると思い、その時も自分は日本人だと言いたいと思う」