――じわりじわりと感動が込み上げる作品となりました。

正直なところ、私は本当に泣き虫なので、ひとりで見ていて無茶苦茶泣きました。こんなところで涙するなよと思うくらい、自分を客観的に見ながらも、嗚咽してしまいました。モーガンたちはもちろん、終わりの方に出てくる子供たちにもずいぶん泣かされました。見ていて久しぶりに目が霞み、画面が見えなくなるほどでしたから。テレビカメラもないのに、よくこんなに泣けるなあと自分でも感心しました(笑)。

――イーストウッド監督の大ファンだそうですが、どういう点に惹かれますか?

僕より10歳も年上のイーストウッドが、80歳を超えた今でも良い役者であると同時に、監督としてさらにいろんな作品に取り組んでいるという姿勢には、ただただ頭が下がります。役者が監督をされるケースはよくありますが、イーストウッドは両方の分野で超一流ですから。映画を見る度に、一度でいいから彼に会ってみたいと思います。彼は、カリフォルニア(カーメル市)の市長になったこともあるけど、こういう政治家が日本にいたら日本も変わるでしょうね。

――イーストウッドの監督作で特に好きな映画を教えてください。

特に『グラン・トリノ』(2008年)が好きですが、イーストウッドは人類がすべて平等であることを常に訴えています。本作では、白人と黄色人種の間にボーダーがあり、イーストウッド扮する白人は、中国人(モン族)の少年に対して最初はいじわるじいさんのように接していました。でも、次第に少年に惹かれていき、最後は彼のために体を張るんです。イーストウッドの作品からは、いつも計り知れない平等感、公平感を感じますし、その意識にぶれがないところは、侍のようですよね。これがクリント・イーストウッドという人の考え方の座標軸なんでしょう。湾岸戦争の頃、僕はニュースを担当していましたが、シュワルツェネッガーやイーストウッドは非常に平和的な考え方の持ち主だという印象を受けました。特にイーストウッドは、アメリカ軍のイラクへの進出やベトナムへの侵攻などに対して、非常にはっきりと反対意見を示した人です。そういう意味でも『インビクタス/負けざる者たち』は、イーストウッドにしか撮れない映画だったのかもしれません。

――イーストウッドの作品は、いつ頃からご覧になっていますか?

一番最初に見たのは『許されざる者』(1992年)です。彼にとっては最後の西部劇になったんですよね。実は、本作を見た後で初めて、イーストウッドが主演だけではなく監督もしていたことを知りました。それ以前も監督をされていましたが、僕が知ったのはあの映画です。また『マディソン郡の橋』(1995年)を見て、イーストウッドはこういう映画も作るのかとびっくりしました。彼は、ハリウッド史上に残る名監督だと思います。年齢を超越しているというか、そういう意味では、ネルソン・マンデラやモーガン・フリーマンもそうで、3人共すごいと思います。

――本作では人生を変えるような運命的な出会いが描かれていますが、徳光さんから若い人たちに向けて、出会いについてのメッセージをお願いします。

僕は若い人たちに、メール社会から早く脱却してもらいたいですね。人は実際に顔と顔を合わせ、そこで初めて相手が肯定的なのか、否定的なのかがわかると思うんです。実際に会わないと、コミュニケーションなんて生まれてこないですから。数多くの出会いの中で、生涯良い距離でおつきあいをしたいと思える人が何人か出てくるんですよ。僕は若い頃、長嶋茂雄さんのホームランを見て、長嶋さんの後輩になりたいと思い、一生懸命勉強して立教大学に入ったわけだから。長嶋さんとの出会いがあったからこそ、なんとかアナウンサーになれたんです。また、直接会話を交わして大いに影響を受けたのは、ジャイアント馬場さんです。実はプロレス中継の仕事に回された時、これでもう長嶋さんの一挙手一投足を追えないと思って、相当ショックを受けました。でも、その後、馬場さんとしょっちゅう会っていく内に、彼からいろんなことを教わったのです。まさに馬場さんは、一生の友であり、一生の師でした。だから、若い人たちにも、人と会う時は、ある緊張感をもっていてほしいし、もっと積極的にいろんな人に会ってほしいです。今はどんどんみんなが直接会うことを避けて通ろうとしていますが、そこは臆病になっちゃいけない。自分の灯台になってくれるような人というか、自分の人生に影響を与えてくれる人との出会いを、見逃さないでほしい。その出会いによって勇気を培えるし、それは確実に自分自身の栄養にもなると思うから。