幅広い年代の誰もが知る存在ではない。映画の最初から最後まで出ずっぱりのタイプでもない。それでも、洞口依子は鮮烈な印象を残し、熱烈な信奉者を持つ稀有な女優である。魅入られたのは劇場に集う観客だけでなく、幾多の監督や名優もまた然りだった。
1人でポルノ館に入って鑑賞
〈女は男の性のはけ口じゃないのよ!〉

 鈴木保奈美演じる貴子は、人気ドラマとは思えないほど苛烈な言葉を吐いた。洞口依子(47)が扮した則子の中絶手術に付き添い、無責任な純(石橋保)への怒りをあらわにした「ドラマ史に残る名セリフ」である。

 92年に大ヒットした「愛という名のもとに」(フジテレビ)は、大学の同窓生だった男女7人の愛憎と青春を描き、一石を投じた。ここで洞口が演じた則子は、デパガとして満たされぬ日々を過ごすうち、同僚にヤリ逃げされる弱い女の役。いわゆる「都合のいい女」がハマり役と思えるほど、その顔立ちや肢体はエロティックだった。

「普通のありきたりな女の子の中に、やりきれないギラギラした部分を持っている。それは、ぜひ演じてみたい役でしたね。私だけでなく、観ている人は7人のいずれかに自分を投影していたんじゃないかと思いました」

 32.6%を記録した最終回では、則子は純からのプロポーズを断り、未婚の母という選択を「答え」とする。ドラマの人気とともに、芸能界にデビューして初めて「電車に乗れない」ほどの知名度を獲得。また演出・脚本ともに、脇役の1人1人まで丁寧に描いてくれたことは、女優として大きな成果となった。

 そのまま“茶の間の人気者”を進むことも可能だったが、洞口いわく「好きなシャンパンを飲んでいたい」と、作品選びにはこだわりを辞さない。そんな作品リストの「目覚めの1杯」となったのが、デビュー作「ドレミファ娘の血は騒ぐ」(85年/EPICソニー)である。

 すでに篠山紀信による「激写」でヌード経験があったとはいえ、当初はロマンポルノの一篇として作られた。撮影時には19歳の少女が、抵抗はなかったのだろうか。

「私は映画少女だったから、ロマンポルノに名作がたくさんあることも知っていました。1度だけ1人で、ポルノ館に入って鑑賞したこともあります。それに制作はディレクターズ・カンパニーという錚々たる顔ぶれの会社で、これは出会いなんだなあと思いました」

 ただし、結果的にはロマンポルノにはならなかった。黒沢清監督による前衛的な映像は「理解不能!」とされ、配給を拒否されたのである。デビュー作がいきなりお蔵入りになる危機を救ったのは、洞口が所属したEPICソニーと制作のディレクターズ・カンパニーだった。

「双方が資金を出し合い、一部を追加撮影して一般作にすることで公開にこぎつけたんです。無事にパルコ劇場で上映された日は、すごくうれしかったですね」

 低予算の映画ではあったが、初めての撮影現場は新鮮な刺激に満ちていた。ここが自分の居場所だと心から思えた。

 多くが無名の役者ばかりだが、唯一、大物として参加したのが大学教授役の伊丹十三である。洞口は伊丹の名前も知らなかったが、初めて会った日にこう言われた。

「ずっと女優をやりたいのなら、映画には“必須科目”があるんだ。ゴダール、ヒッチコック、小津安二郎‥‥こうした監督の映画は観ておきなさい」

 伊丹との出会いは、洞口の駆け出し時代に大きな意味をもたらした──。

「ヌードになることは抵抗がありました。グラビアならカメラマンと助手、それにメイクやスタイリストくらいですが、映画なら10人以上はいます。そもそも、お芝居をすることだって恥ずかしいのに‥‥」

 デビュー作「ドレミファ娘──」のクライマックスで、洞口は伊丹扮する教授の“実験台”となり、寝そべって一糸まとわぬ姿を見せる。純白の肌が教授によってライトアップされ、細身だが官能的なふくらみが映し出される。

 決して濡れ場ではなく、洞口のボディを丹念に見せつけるための描写だった。洞口の撮影前のささやかな抵抗は、スクリーンを観た瞬間に消えたと言う。

「私の顔、私の体がいっぱいに映し出されて、劇場を制覇した! そんな制圧感がありましたよ」

 伊丹は本作の公開より早く「お葬式」(84年)で初の監督業に進出している。そして第2作の「タンポポ」(85年/東宝)には、伊丹みずから洞口に出演を要請した。

「今、思い出しても涙が出そうになります。短いシーンだけど美しい映像で、マーラーの美しい音楽がかぶさって‥‥。本当に多くの人に、あの場面が印象的と言われますね」

 本邦初の“ラーメン・ウエスタン”と銘打たれた同作は、宮本信子演じるタンポポが一人前のラーメン屋となるまでを本筋に、異なるいくつもの短いエピソードを絡めていく手法である。エピソード集は「食とエロス」を主題としており、洞口は幼い海女に扮している。

 海女たちがカキを獲っているところへ近づく白い服の男(役所広司)。洞口に獲ったばかりのカキを譲ってほしいと申し入れ、洞口は快く応じる。ただし、不慣れな男はカキの殻で唇の端を切ってしまう。ポトポトと鮮血がこぼれると、あどけない表情のまま洞口が近づき、その血を唇で舐め上げる。

 やがて2人は、多くの海女たちが見つめる中、熱く唇をむさぼり合う‥‥。露出も時間も控え目ながら、胸が高鳴るような珠玉のエロスを見せている。

「伊丹監督は私の頭に巻いた手ぬぐいや水中メガネの位置まで、何回も直すほど見せ方にこだわっていました。それに、あそこまでクローズアップされた撮影が初めてだったので、演じながらドキドキしましたね。お相手の役所さんも、目が合えば私が視線をそらしてしまうほど、男としての色っぽさに驚きました」

 コケティッシュな洞口の魅力は、邦画界の大物たちを次々と虜にしていく。カンヌ映画祭で2度も最高賞に輝いた今村昌平は、プロデュースを務めた「君は裸足の神を見たか」(86年/ATG)のヒロインに洞口を抜擢。一時は助監督を買って出る熱意で、新人女優を指導する。

「私と石橋保さんのベッドシーンがあるんですけど、ここで初めて『濡れ場の演技指導』というものを今村さんに受けましたね。お互いが遠慮し合っていると、今村さんから『押し倒せ、ガーッといけ!』の声が飛んできましたから(笑)」