大阪の独裁者・橋下徹の実像とは 【文春vs新潮 vol.25】

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今週は、週刊文春と週刊新潮が共に大阪市の橋下徹市長に関する記事を大きめに取りあげている。前者は同志社大学の浜矩子教授によるもので、後者は京都大学の佐伯啓思教授によるもの。立場が異なるこの2人が、橋下さんに対しては口を揃えてネガティブな印象を述べている。

[文春]文春の記事は、「橋下徹はリーダー失格 『子ども市長』か?」。きっかけは、12月28日に放送された「キャスト」(朝日放送)という番組であった。浜さんはスタジオ出演し、橋下さんは市役所からの中継で出演した。番組では橋下市長による大阪都構想などが議論されたが、その場では何も起きなかった。

年が明けた1月3日、橋下さんがツイッターで「あんたは何様なんだよ」「文系・無責任教授」「紫頭おばはん」などと浜さんを罵りだした。この橋下さんの振る舞いを、浜さんはオバマ大統領の就任演説から引用して「子どもじみた振る舞い」と批判。そして、橋下さんの問題点を次々と指摘している。

まず、浜さんは「こうした発言を繰り返す人物が為政者、改革者として脚光を浴びる“橋下現象”は、日本の閉塞状況を考える上で何かを示唆している」と述べる。そして、「橋下さんは、自分は幸せなんでしょうけど、あまり人の幸せを考えるという雰囲気が出てくる感じの人じゃない」と続ける。

その理由は、「橋下さんの府知事時代からのやり方、福祉や文化予算の切り捨てや『敵』とみなした人々への言動を見ていると、自分と違う立場、意見の人間に対する想像力に乏しい、という印象を持った」からであり、ようは橋下さんには「人の痛みが分からない」と感じたからだという。

さらに、「あまりにも打ち負かすこと、潰すこと、支配することへの執着が激しくみえ」、そのわりには「中身は何もなかった」という点で橋下さんと共通している人物として、小泉純一郎さんと小沢一郎さんをあげる。だが、橋下現象や小泉現象、小沢現象を見る際に注意すべきは、その人柄ではなく、「彼らが熱狂や依存心の対象になるのは、社会がとのような状況に直面している時なのか」と浜さんは言う。


「現在のように社会が閉塞感に満ちている時代には、必ずこうした単純・極端・切り捨てタイプの政治家が頭角を現す」として、アメリカのティーパーティー運動や欧州の極右極小政党の台頭を、浜さんはその事例として取りあげる。最後に、彼らの主張に「真実も含まれていることもある」ものの、「全体としてはバランスを欠き、社会を危うくする」と警鐘を鳴らす。

[新潮]他方、新潮の記事は「日本の『民主主義』の疲労骨折」。佐伯さんは著名な経済学者であり、かつては保守サイドから革新勢力や左翼を批判してきた人物である。最近は、「右翼×左翼」「保守×革新」といった二項対立の図式は終わったとして、党派性に関わらないかたちでの社会批評を展開している。

佐伯さんは、まず民主主義と独裁というものが、けっして「対立するものではない」と述べる。18世紀のルソーという思想家から「民意が政治を動かす」という民主主義の「幻想」がはじまった。だが、「民意なんてものは本当はな」く、「あるのは個別の利害だけで、これをどう調整するのかが政治」だと解く。

そのフィクションである民意を「妄信した政治」の代表例が、選挙で選ばれ「民意の体現者」となったヒトラーだと佐伯さんは言う。「ドイツの栄光を取り戻」し、「ドイツの惨状を、ヒトラーならば全部変えてくれるだろう」、そして「よくわからないけれど、彼ならこの閉塞状況を打破してくれるだろう」という期待感から、ヒトラーは生まれた。

では、橋下さんはどうか。佐伯さんは、「独裁を掲げた橋下さんが一体何をやりたいのか、民をどこに導こうとしているのか」「今のところそれが見えてこない」と指摘する。大阪市民は、「彼のキャラクターを面白がっ」て橋下さんに投票した。したがって、橋下さんは「大衆に迎合するポピュリストではなく、大衆を自らに引き付けたデマゴーグ(扇動的指導者)に近いと佐伯さんは分析する。

さらに、小泉純一郎さんもデマゴーグであり、2人の共通点は「破壊」。仮想敵を作り、それを破壊すること。それが2人が人気を集めている理由で、その仮想敵として「日本でもっとも『ポピュラー』」なのが「官僚」だと佐伯さんは述べる。本来、「民と官は敵対関係にあるのではなく、協調して国を良くしていく関係にあるべきもの」なのに、小泉さんは郵政民営化では「民意と直接結び付き、反論を許さない政治を行った」。そして、同じことが「より過激なかたちで橋下さんの下でも繰り返されようとして」いる。

浜さんと同様に、佐伯さんも橋下さんと小泉さん、そして小沢さんの共通性を述べ、彼らの共通したモチベーションがルサンチマン(怨根感情)であることを指摘する。「小泉さんは旧田中派に」「小沢さんも派閥での主導権争いや検察に」「橋下さんは東京やエスタブリッシュメントに」対して、それぞれルサンチマンを抱えている。

「ルサンチマンの政治」では、「『敵』を叩くことばかりが脚光を浴び」「直接民主制に近付いて、独裁者が生み出されていく」。この状況こそが、「民意こそすべてと勘違いした、『疲労骨折した民主主義』の現状」だと佐伯さんは言う。

記事の最後で、独裁者を生み出すような政治環境を変えるための手段として、佐伯さんはこう述べる。「民主主義というものは一歩間違えば非常に危険であると我々が認識する、民意なるものが政治であるとの浅薄な民主主義理解は間違っている、と自覚することに尽き」る。

[感想]注目すべきは、橋下さんと小泉さん、そして小沢さんが共通していると述べている点であろう。佐伯さんが言うように、敵を破壊することによって生まれた政治家は、自らの権力を維持するために絶えず敵を作り出すようになる。そして、政治が敵を作るための手段となり、敵を破壊するという目的のために利用される。

浜さんの言うとおり、橋下さんの人柄がどうこうではなく、なぜ橋下さんが大阪市長に当選してしまうのか、が重要なポイントだと筆者も思う。また、橋下さんが当選した理由を考えていくと、佐伯さんが述べた民主主義の危険性に行き着くような気もする。

ただし、佐伯さんは、それこそ民主主義に対してルサンチマンを抱いているようにも思える。いろいろ問題を抱えながらも、日本で民主主義が根付いてきたことにはそれなりの理由がある。それこそ佐伯さんが指摘するような問題点に気をつけてさえいれば、やはり現状で考えられる最良の政治体制は民主主義なのではないか、と筆者は考えている。

いずれにせよ、2人の論考を読み進めるにつれ、橋下さんという「独裁者」の一挙手一投足には注目していく必要があるとつくづく感じた。

今週の軍配は、引き分け。

【これまでの取り組み結果】

 文春:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 新潮:☆☆☆☆☆

(谷川 茂)