刃物の町・岐阜県関市に、1本4万9500円の包丁をつくる老舗メーカーがある。明治29年創業の福田刃物工業。紙幣や雑誌を切断する工業用刃物を主力としてきたメーカーが、なぜ包丁で大ヒットを出せたのか。ライターの天白あきえさんが取材した--。

■日本で初めての「超硬合金」の包丁

「これは本当に奇跡の包丁だね」

日本初の超硬合金の包丁「KISEKI:」が世に出る前のこと。モニターを依頼した料理人が、あまりの切れ味に驚いて口にした言葉だ。

ダイヤモンドに次ぐ硬さを持つ超硬合金は、その硬さゆえに加工が難しく、国内でその包丁は存在しなかった。日本で初めて超硬合金の包丁を生み出したのが、岐阜県関市の工業用刃物メーカーで、1896年(明治29年)創業の福田刃物工業。2022年11月にクラウドファンディングを始めると、それこそ「奇跡」のような快進撃が起きた。

わずか5日間で4000万円が集まり、1450本が完売。3カ月間の予定だったが、早々に受付終了した。この売り上げは、クラファンサイトMakuakeの包丁部門歴代1位を樹立した。

1本3万4650円(2026年6月1日に、原材料高騰のため4万9500円に値上げを発表)と高価格帯の包丁にもかかわらず、最大1年8カ月待ち。2年間で10億円以上売れる大ヒット商品となった。

撮影=天白あきえ
日本初の超硬合金の包丁「KISEKI:」 - 撮影=天白あきえ

■100年ぶりのBtoC商品の開発

人気の理由は「圧倒的な切れ味」だ。一般的な包丁より薄い1.2ミリの刀身で、摩擦が少ない独自の形状により、食材の組織を極力壊すことなく滑らかに切り込める。

それはデータでも証明され、第三者機関の調査で、にんじんは甘く、ローストビーフは旨味が強く、たまねぎは苦味が抑えられるという結果が出た。普段野菜を食べない子どもが、KISEKI:で切った野菜なら食べられるという声も聞かれる。

画像提供=福田刃物工業
第三者機関による調査結果 - 画像提供=福田刃物工業

KISEKI:の開発は、福田刃物工業にとって100年ぶりのBtoCへの挑戦だった。その内容は、商品開発はもちろん、営業や販売もすべて自らの手で行うというもの。BtoCの販売のノウハウは一切持っていなかったにもかかわらず、「自分たちで売る」決断をし、成功を収められたのはなぜか? 「刃物のまち」として知られる岐阜県関市を訪れた。

■無気力なダメ人間だった

緑豊かな山々に囲まれた福田刃物工業を訪ねると、KISEKI:ブランドマネージャーの福田恵介さんがニコニコ顔で出迎えてくれた。エンジニアとしてKISEKI:を生み出しただけではなく、独自のマーケティング戦略でヒット商品にまで押し上げた人物だ。

撮影=天白あきえ
KISEKI:ブランドマネージャーの福田恵介さん - 撮影=天白あきえ

関市で生まれ育ち、川で泳いだり、釣りをしたりして、自然のなかで外遊びばかりして元気に育った恵介さんは、高校に進むと様子が一変。中学までは勉強しなくてもそれなりにできていたのに、高校に入ると自分より頭のいい人がたくさんいる環境になり、「無気力になってしまった」という。

都会への憧れから埼玉県の大学に進学して数学を専攻したものの、やる気のなさは相変わらずだった。就職活動の時期にバブルが弾け、運良く採用された富山県にある工作機械メーカー不二越に入社。ところが、ここから心機一転、仕事に打ち込むようになる。恵介さんはもともと負けん気の強い性格だったこともあり、学校とは違って同期と比較される環境になったことがいい刺激になったようだ。

「全然一生懸命やってこなかったんで、このままいったら自分は本当にダメ人間だなと思いました。それで、就職してからむちゃくちゃ仕事し始めたんです」

■出向先で叩き込まれた“トヨタ方式”

最初は「興味がなかった」機械設計も、やっていくうちに楽しくなっていった。夜中まで図面を書き、難しい設計もできるようになっていく。その姿勢が評価され、取引先のトヨタへの出向が決まる。当時の上司も「どうせやるなら楽しくやったらいいぞ」と温かく送り出してくれた。

初代プリウスのトランスミッションギアなどの開発に関わるなかで、恵介さんは「トヨタ方式」を学んでいった。そのひとつが、「先に商品の発売日を決めて開発する」というもの。締め切りを最初に定めることで、なにがなんでもそれまでに開発を間に合わせるというやり方だ。

「トヨタでの3年間は自分にとって転機でした。上司もすごくいい人で、この人のためならと、ますます仕事に打ち込みました。それまでダメダメだった自分が、『やればできるかもしれない』という自信がつきましたね」

■リーマンショックで赤字転落

トヨタで充実した時間を過ごしたあと、当時、福田刃物工業の4代目だった父親に呼び戻され1999年に入社した。

1896年(明治29年)創業の同社は、日本で初めてポケットナイフの量産をした刃物メーカーだ。

写真提供=福田刃物工業
創業初期の福田刃物工業 - 写真提供=福田刃物工業

その後、工業用刃物に転換し、日本初の紙断裁包丁の製造に成功した。現在は、紙幣や雑誌、ペットボトル、ゴムなどさまざまな素材を切るための大型の工業用刃物を生産している。完全受注生産で、オーダーメイドのものづくりを得意としている会社だ。

しかし、2008年にリーマンショックが同社を襲った。季節は秋。第3工場が完成し、これからという時期だった。当時、見積りを担当していた恵介さんは、それまで次々と送られてきたファクスの注文がグッと減っていることに気づいた。

■ピンチを切り抜けるために営業を3倍に

翌年の年商は9億7000万円から6億2000万円に減少、経常利益はマイナス1400万円まで落ち込んだ。これを乗り越えるために、さまざまなことに取り組んだ。それまで代理店に任せていた営業を自分たちで行おうと、営業職の人数を10人から30人に増やした。それまで経験のなかったプラスチック用の刃物や工作機械部品などの分野にも挑戦していった。

売り上げを伸ばすために恵介さんが活用したのが、3年間で身につけた「トヨタ方式」だ。先に発売日を決めて、そこに向かって開発をする。恵介さんは今も「先に受注を取って、あとから機械を導入する」という方法を続けている。このやり方を「絶対にリスクのないもの」だと自信を持って話す。

「たとえば1億円の仕事を受注したら、1週間後に中古の機械を導入します。中途採用もします。先に1億円の仕事が決まってるので、1000万円の機械を買っても余裕じゃないですか。確実に受注がわかっていれば、機械を入れるリスクはないんですよね」

■文系の兄と理系の弟

借金をして先行投資で機械を導入するというやり方ではなく、受注ありきで、そこからスピード勝負で機械と人を導入する。恵介さんは技術職でありながら、見積りをつくり、営業と組んで戦略を練って売り上げを伸ばしてきた。来た仕事は断らず、機械と人を導入することでやり切る。

撮影=天白あきえ
岐阜県関市にある福田刃物工業の外観 - 撮影=天白あきえ

こうして、当初60人だった従業員は現在175人に、2つだった工場は5つまで拡大している。工場拡大の判断は、土地の売買も含めてすべて恵介さんが担う。

「毎日仕事が楽しくてしょうがない」と声を弾ませる恵介さん。それは、「すべての判断が自分でできるから」だと言う。

これだけ伸び伸びと仕事ができるのは、兄であり社長の克則さんが「自由にやらせてくれるから」。文系の克則さんは、社員の環境づくりなど会社全体のことや広告塔としての役目、理系の恵介さんは、開発や機械を導入する判断、売り上げを伸ばすことなど、兄弟で役割分担してきた。

「工場の拡大も土地の売買も、全部自由にやらせてくれるので、兄は器が大きいと思います。親、特に母親は『兄弟仲よくね』とずっと言ってくれていたので、親にも兄にも感謝ですね」

撮影=天白あきえ
右が社長の福田克則さん。今も「ほぼ毎日一緒にランチを取る」という非常に仲のよい兄弟だ - 撮影=天白あきえ

福田刃物工業ではBtoBの工業製品は、代理店に任せず自分たちで営業をするなどの方法で、常に利益率10%以上を維持している。これは中小の黒字企業の約2倍にのぼり、「業界的にすごい利益率」だと胸を張る。利益をしっかり残してきたことで、機械の導入や人の採用を行い、規模を拡大してこられたのだ。

これらの地道な努力によって、リーマンショックで6億2000万円まで落ち込んだ年商はV字回復し、約20億円まで伸びた。しかし、そこにコロナが襲いかかる。

■誰もやっていないことへの挑戦

これまで右肩上がりだった売り上げがコロナで横ばいになった。恵介さんは当時、「マイナスではなく横ばいで持ち堪えたこと」を冷静に評価しつつも、「従来のやり方では世の中の不景気に左右される。なにか核になるものをつくらないと」と強く感じた。

思いついたのがBtoC商品だ。ずっと法人向けに製品をつくってきたが、どれだけいいものができても世間には知られない。世の中にあるヒット商品に目がいった。

キャンプ好きの恵介さんが最初に試したのが、焚き火台だ。設計に自信を持っていたので「簡単にできる」と思っていた。しかし、実際に使ってみると一部がボロボロになり、地面も燃えてしまった。その様子を見た時に「専門性が必要だ」と実感した。

「僕は刃物や物を切る構造に関して、エンジニアとしてプロだから、やっぱり刃物だなって思ったんです」

こうして、家庭用の包丁をつくる決意をした。

撮影=天白あきえ
エンジニアとして「刃物のプロ」だと自覚した恵介さん - 撮影=天白あきえ

■真っ直ぐ狂いなく紙幣を断裁する刃物

福田刃物工業はさまざまな素材を使って、年間1万点、累計9万点の工業用製品をつくっている。そのなかで、紙幣を切る機械に使用していた超硬合金に注目した。お札を切る時には特に切れ味が重要で、真っ直ぐ狂いなく断裁する必要がある。それを実現できるのが超硬合金だ。

しかし、超硬合金の難点は、硬すぎて加工が難しいことと価格が高いこと。この素材で家庭用の三徳包丁をつくると3万円を超えることは当初からわかっていた。一般家庭向けのステンレス製包丁に比べると、かなり高額になる。

そこで、恵介さんが参考にしたのはアウトドア製品のスノーピークだ。これまでキャンプをしていなかった層を新たに取り込んだのを見て、「新しいマーケットをつくり出そう」と考えた。

もともと受注生産で商品を製造していたため、「初めての商品をつくることは大得意」という自負もあった。

エンジニアのメンバー2人に相談すると、「誰もやっていないことのほうがおもしろい」と好意的な反応だった。3人で超硬合金の包丁に挑戦することを決めた瞬間だった。

■2年で100枚以上の超硬合金が無駄に

普段、法人向けの大型刃物を機械で加工している福田刃物工業にとっては、創業初期にペティナイフを製造して以来の試み。約100年ぶりの一般向け商品の開発に当たり、まずは手作業から始めた。

全国から約20種類の包丁を取り寄せて、構造を解析。刃の長さや角度を測定し、どの数値が一番切れるのかを分析した。

そのデータを参照して、超硬合金で角度や形状を変えて試作していった。このテストに1年以上かかり、計2年におよぶ開発では100枚以上の超硬合金300万円以上を費やした。

ある日いつものように、にんじんを切ってテストした。すると、スッと抵抗なく刃物が入っていく。

その手の感覚に、思わず「なんじゃこりゃ」と声が漏れた。それまでに感じたことのなかった驚くほどの切れ味だった。

写真提供=福田刃物工業
玉ねぎも力を入れず、スッと切れる - 写真提供=福田刃物工業

膨大なテストを経て、一番切れる長さや角度がわかった。「絶対にいいものができる」と確信した恵介さんは、機械を導入する決断をした。

■硬すぎて1分間に0.5ミリしか進まない

超硬合金はその硬さゆえに、プレス機でもレーザーでも加工できない。福田刃物工業では、これまでも「ワイヤーカット」を使用していたため、包丁にもこの方法を採用した。ワイヤーカットとは、超硬合金の板を水の中に入れ、0.25ミリの超極細のワイヤーに電流を流して、熱で溶かしながら切断するという方法だ。1分間にわずか0.5ミリしか進まないという遅さで、形を切り出すのに約10時間かかる。

撮影=天白あきえ
(写真左)ワイヤーカットで切り出されたあと。40枚を重ねて、一度にカットする(写真右)真鍮の極細ワイヤーに電流を加えてカットする - 撮影=天白あきえ

形が切り出せたら、次は「刃付け」だ。これも超硬合金が硬すぎるため、ダイヤモンドを取り付けた特殊な研磨機を開発した。約30分かけて両面を研いでいく。

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研磨している様子。超硬合金は磁性がなく、くっつかないため、独自の方法で固定して研磨していく - 撮影=天白あきえ

■最初から最後まで自分たちでつくる

さらに、包丁の柄の部分の木工加工も自分たちの手で行う。福田刃物工業は金属加工が専門なので、木を扱うのは初めてのことだった。

最初は柄の部分だけ外注することも考えた。しかし、あとで改良したいと思った時、外に頼むと融通がきかないリスクも考え、自分たちで行うことにした。初挑戦の素材で、難しくはなかったのだろうか。

「実を言うと3日でできました。僕らはもともと図面を書いて、その通りに機械を動かすということには慣れていたんですよ。当社は、設計やそれを実行するオペレーター、それぞれの能力が高いなと改めて思いましたね」

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機械で柄の部分を加工する。専用機械、24時間稼働のためのロボットも新たに導入した - 撮影=天白あきえ
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柄の部分に使うのは、岐阜県産の天然木ヤマザクラ、ブナ、ミズナラの3種類 - 撮影=天白あきえ

刃物の業界では、切断、熱処理、刃付けなどは分業制が一般的だ。しかし、福田刃物工業は受注生産を長年続けてきたため、「最初から最後までつくるのは当たり前」のことだった。これまでに培ったノウハウをすべて詰め込んだのがKISEKI:なのかもしれない。

この「すべて自分たちでやる」という姿勢は、のちに販売にも反映されることになる。

■「本当に奇跡の包丁だね」

2022年2月、KISEKI:の形が出来上がり、モニタリングする時期に入った。福田刃物工業から車で約5分のところにある創作和料理店「葉菜」に、モニターを依頼した。恵介さんが以前からプライベートで通い、料理の腕や人柄に信頼を置いている店だ。

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古民家を改装した店舗「葉菜」。行列ができる人気店で、この日もランチ時は多くのお客さんで賑わっていた - 撮影=天白あきえ

葉菜の料理人、水谷千佳さんは日々の作業で腕の腱鞘炎に悩まされており、毎週注射を打っていたほどだった。それまでもいい包丁を探していたものの、理想のものに出合えていなかった。

モニターをお願いして預けていたのは、感想を書いてもらうためのA4のアンケート用紙一枚。しかし、恵介さんがエンジニア2人と一緒に結果を聞きに行くと、ノートにびっしりと感想が書き込まれていた。ノートを開きながら、水谷さんは言った。

「ずっと自分に合った包丁がなくて、探していて。これはよく切れるし、ものすごく使いやすくて、本当に奇跡の包丁だね」

水谷さんの言葉とノートから興奮が伝わってきた。そして、帰りの車中では、「ものすごいことが起きたぞ」と、3人が高揚感に包まれていた。

撮影=天白あきえ
葉菜の料理人、水谷千佳さん - 撮影=天白あきえ

■一番大事なのは“熱”

恵介さんは、この時のことを振り返る。

「なにかする時に一番大事なのは熱だと思います。モニターの結果を聞きに行くのは別に僕ひとりでもできます。でも、ひとりで行って、あとから『すごいことが起きたぞ』って報告しても、熱が揃わないんですよ。そのあとの影響を考えたら、一緒に高揚感を味わって熱が揃うことは、その人を拘束する時間の何百倍もの効果があるんです」

水谷さんは、KISEKI:を愛用し始めてから注射を打たなくなったそうだ。そして、日本初の超硬合金包丁の名前は「KISEKI:」に決まった。

撮影=天白あきえ
野菜をふんだんに使った葉菜の料理。KISEKI:で切った野菜の断面はみずみずしい - 撮影=天白あきえ

■業界の常識から外れた売り方

商品が完成し、いよいよ販売の段階に来た。ここでも「すべて自分たちでやる」道を選ぶ。

「スタートアップが大きな成功を収める確率は極めて低いと言われています。だったら、人任せにせず自分たちでやろうと思いました。僕らは、2年かけて100個以上の超硬合金を無駄にして苦労してきて、絶対に売りたいっていう気持ちは強かったので」

関市の刃物メーカーの8割は商社に卸すことが当たり前という環境のなか、恵介さんは「オンラインのみで販売する」ことを提案した。業界の常識から外れていたため社内から反対の声が上がったが、恵介さんは譲らなかった。

店舗でほかの商品のなかに埋もれてしまうのを避けたかったのと、直接販売することで利益を確保したかったからだ。これまで、BtoB製品で10%以上の利益率を維持してきたからこその選択だった。

■PR活動も“昭和”のやり方で

2022年11月からクラウドファンディングサイト「Makuake(マクアケ)」で販売開始することに決まる。マクアケは資金集めよりも、まだ世の中にない新商品やサービスを先行販売する場としての特色が強いプラットフォームだ。

企業が新商品を発表する際、プレスリリースや広告を出すのが一般的だろう。しかし、恵介さんはそれらの手法は一切取らなかった。代わりに、「新聞記者に直接アプローチする」という方法を取った。

クラファン開始の半年前、直接販売の経験がなく、PRの方法もわからなかった恵介さんは、新聞社に直接電話をかけた。門前払いされることもあったが、話を聞いてくれた記者のなかには「では一度来てください」と対面の機会をくれる人もいた。直接会いに行って、KISEKI:の素晴らしさについて熱く語ると興味を持ってくれた。

恵介さんは「全部昭和のやり方ですよ」と笑う。この手法が功を奏し、発売3日前に中日新聞や中部経済新聞などで大きく掲載された。

■包丁部門歴代1位に

当日の朝7時。会社にメンバーが集まって見守るなか、恵介さんは販売開始のボタンを押した。すると、わずか1分で何十本もの注文が続々と入ってくる。チームメンバーは、3台並べたパソコンに届く注文を、固唾をのんで見ていた。予想以上の反応に、誰かから「なに、これ」というつぶやきが漏れる。

結果、1日で1200本の注文が入った。その場にいたみんなが、シャンパンファイトのような歓喜に湧いた。

5日目には4000万円を集め、急遽追加した本数も含めて1450本に達したため販売終了。この記録は、マクアケの包丁部門歴代1位を達成し、Makuake Award 2023 GOLD賞を受賞した。

撮影=天白あきえ
これまでに受賞したトロフィーの数々。右手前がMakuake Award 2023 GOLD賞 - 撮影=天白あきえ

購入者は、現在の購買層と同様の富裕層の主婦もいたが、6割が男性だった。「日本初の超硬合金の包丁」が、新しいもの好きが多いマクアケユーザーに響いたのかもしれない。

■3カ月先まで予約が埋まる「KISEKI:ツアー」

恵介さんはクラウドファンディングが終わったあとも「自分たちで売る」ことを考え続けてきた。それは2024年から始めた「KISEKI:ツアー」にも反映される。これは工場見学と包丁の体験がセットになったもので、現在は3カ月先まで予約が埋まる人気ツアーだ。

写真提供=福田刃物工業
KISEKI:ツアーの様子 - 写真提供=福田刃物工業

またしても恵介さんの「昭和的アプローチ」により、ツアー初日は新聞社5紙に加えて、市役所の観光課、商工会議所など約10人が集まった。ツアー定員5人のお客さんより、マスコミ関係者の方が多いという状況だ。

「これもトヨタ方式と同じです。先に『すごいことになってますよ』と見せると、そうなっていくというか、そうせざるを得ない。(自分たちに)プレッシャーがかかりますから」

「なにがなんでも発売日に間に合わせる」トヨタ方式が骨身に沁みている恵介さんは、大風呂敷を広げているように見せて、実は自分自身を追い込んでいるのだ。

■「PDCAのDOだけでいい」

取り組みが評価され、恵介さんは日経クロストレンドのマーケター・オブ・ザ・イヤー2023「地方編」大賞を受賞した。授賞式には全国からマーケターが集まり、成功の秘訣を尋ねられた時に「仲良くなることですかね」と答えたという。

「PDCAってありますけど、僕はもうDOだけでいいと思っています。最初から『こうすればうまくいく』なんて正解はありません。だから、まずはやってみようと。幸いにも、それに賛同してくれる社員が多いんですよ。暴走する僕についてきて、支えてくれます」

そう語る恵介さんの話を聞いていた広報の藤田さんは「一緒に働いていてすごく楽しい」と笑顔で言った。

■一度だけした「失敗」

恵介さん流のアプローチにより、福田刃物工業は3年間で100回以上メディアに取り上げられている。プレスリリースも打っていないので、広告には一切お金をかけていない。

撮影=天白あきえ
工場に並ぶ超硬合金の包丁「KISEKI:」 - 撮影=天白あきえ

独自の戦略がことごとく当たっているように見えるが、恵介さんは「一度だけ失敗したことがある」と言う。福田刃物工業で年1、2回行うファンミーティングでは1日で100万円を売り上げるのに、以前に半年間、東京渋谷で展示会を行った時にはまったく売れなかったのだ。

「そうか、人に任せるとこうなるんだなって思いました。だから、常に意識しているのは『自分たちでやろう』です」

マクアケで販売開始してから約4年が経った今も、KISEKI:は9カ月待ちの状態だ。BtoCのヒット商品誕生のおかげで知名度も上がり、中日産業技術賞などを受賞して技術面も高く評価された。

しかし、KISEKI:の売り上げは社内ではまだ8%程度で、依然としてBtoBの比重が高い。今後は、「KISEKI:の比重を上げていきたい」と恵介さんは意気込んでいる。

■原材料の値段が約10倍に急騰

リーマンショック、コロナ禍という危機を乗り越えてきた福田刃物工業だが、今度は「原材料の高騰」という問題が襲った。

中国の輸出規制によって、2025年1月から2026年4月にかけて、超硬合金の原料のひとつであるタングステンの値段が約10倍に急騰したのだ。1年間は、価格を変えずに耐えた。しかし、職人に頼らないKISEKI:は人件費の割合が低く、原材料の値上げは製品の値段に大きく影響する。1本3万4650円から4万9500円に値上げせざるを得なかった。

これにより、国内の売り上げは鈍化すると予想。海外展開に向けて、英語版のブランドサイトの立ち上げなど急ピッチで準備を進めている。

海外展開のひとつとして、インバウンド向けの強化も進めている。KISEKI:ツアーはインバウンド向けも開始し、すでに南米から30人規模の団体が5回訪れた。海外でも「関の刃物」の認知度は高まりつつあり、団体客が呼べるKISEKI:ツアーに地元の観光協会も期待を寄せる。

なお、インバウンドツアーを開始した時も、複数社の新聞で報じられている。

写真提供=福田刃物工業
インバウンドツアーの様子 - 写真提供=福田刃物工業

■職人に頼らず機械とエンジニアがつくる刃物

関市には約300社の刃物関連企業があり、「刃物のまち」として全国的にも有名な地域だ。しかし、その実態は、深刻な職人不足という問題を抱えている。

一方、福田刃物工業に職人はいない。機械やエンジニアの力で、新人でも1000本中1000本が同じ品質になる精度を誇っている。関で生まれ育った恵介さんは「機械の力で社会問題を解決したい」と語る。

無気力だった青年は今、「毎日会社に行くのが楽しくてしょうがない」と仕事に邁進している。

「前職でも、今の社員やKISEKI:チームのメンバーもみんないい人たちに恵まれました。仕事が楽しいのは、たぶん周りの仲間のおかげですね」

かつての上司がくれた言葉「どうせやるなら楽しくやったらいいぞ」が、ずっと恵介さんのなかに生き続けているようだ。

撮影=天白あきえ
パッケージには、幼い頃に遊んだ関の山や川を描いた - 撮影=天白あきえ

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天白 あきえ(てんぱく・あきえ)
インタビューライター
名古屋市在住。インドでの就業や事務職などを経て、2021年よりライターとして活動。経営者インタビューや地方創生、地域企業の挑戦をテーマに取材を重ねている。熱意を持って行動する人々の物語を発信し、社会をよりよくするヒントを届けることを目指す。インドダンスのパフォーマーとしても活動中。
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(インタビューライター 天白 あきえ)