「あのコ、イケるの?」客引きが溢れるほど栄えていた”売春島”の実態「タクシー運転手が客を口説いて1日10万円の”小遣い”」「女の子を居酒屋に1人で座らせて“売る”」
三重県志摩市、的矢湾に浮かぶ離島・渡鹿野島。人口200人ほどのこの島は、かつて"売春島"と呼ばれた。スナックやパブを隠れ蓑にした「置屋」と呼ばれる売春斡旋所が立ち並び、島民の生活は売春で成り立っていたのだ。
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2017年に刊行されたノンフィクションライター・高木瑞穂氏(Xアカウント:@takagimizuho2)の著書『売春島「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』(彩図社、2019年に文庫化)でにわかに脚光を浴び、アングラ界隈の外側へとその名が知られることとなった。2024年からは、高木氏原作のコミック『売春島1981』(大洋図書)も配信されている。
その島で置屋を営んでいた男がいる。寒川総一郎さん(仮名)。元暴力団組員で、1990年代初頭から2016年まで、断続的に4回にわたって置屋を経営してきた。これまで表に出ることのなかった、島の内側を知る人物である。同書より、一部抜粋して紹介する。【全3回の1回目】
「置屋商売のキモは、やっぱり女です」
男が売春島に来た1990年代初頭、置屋はホテルの依頼のみで宴会に派遣する無店舗型が2軒。他は店舗型で、スナックと併用している場合と、そうでない場合とがあるが、『ラブ』、『ミマセ』、『ソノ』、『アサコ』、『青い鳥』、『S』、『M』などなど、合わせて13軒ほどが営業していた。
各置屋にはそれぞれ売春婦が所属し、一番多かった『青い鳥』で15人強、『S』と『ミマセ』に7~8人、他は3~5人。居抜きで始めた男の置屋は、A組(男と同じ組織に属する暴力団。島にポーカー屋や置屋の直営店を持っていた)から引き継いだ3人の、30代のフィリピン人だ。
1回目は別件で捕まり約2年で閉店。出所した7年後、今度は独自のルートでタイ人の売春婦を見繕い2回目を始めるが、逃げたり国に帰ったりの紆余曲折があり、これも、2年ほどで閉店。黒字だが、新たに女を入れるなど本腰を入れるほどは儲からなかった。
「置屋商売のキモは、やっぱり女です。儲けた3回目は日本人だけで運営していました。外国人もいいけど日本人には負ける。特に若い客は日本人と遊びたがるから。
3回目と4回目の最初の時期は20代後半のコを使ったんですが、このコは稼いでくれました。見た目はもちろん、ちょっとした策が当たりました」
居酒屋に女の子を1人で座らせる
3回目までと違い、単に店を構えて女を並べるだけではなかったという。
「4回目は店舗を持たず、女をスナックで働かせながら客を取ったんです。私は居酒屋で飲みながら客が来るのを待っていて、暇な時はそのコを居酒屋に呼んで1人で座らせたりもしました。すると他の飲んでいる客から『あのコ、イケるの?』と言われてね。
それに味をしめて、この手法でずいぶん稼がせてもらいましたね。だから宴会に派遣したり、置屋で客を待っているだけじゃなく、いろんな売り方があるんです。
他にも私がポン引きとなり直接、客に声をかけるときもあれば、渡し船の船長からの紹介ルートもある。3回目は置屋が7~8軒、4回目は3~4軒にまで置屋が減るなど景気は悪かった。でも、そうしたアイデア次第で、まだまだ稼げる島だったのです」
それほど美味しいシノギだったが、2年後、別件で収監されて閉店を余儀なくされる。男の逮捕は「島とは関係ない」そうだが、報道によればこの時期、置屋経営者のS、京都の暴力団組員・Mと、多くの置屋関係者が逮捕されている。
「ああ、知っているよ。Sさんは『トモ』という大きな置屋のオーナーだった。またヤクザのMは多分、フリーの客引きじゃないかな。渡船場の駐車場で張っていて、客が来たら『女のコを紹介しますよ』と斡旋するヤツが1人いて、その男もパクられていたから」
なんと島外にまで客引きが溢れ出していたのだ。少しでも島の利権のおこぼれをもらおうと、有象無象の人間たちが集まっていた。
それはタクシー業界にまで及び、運転手は渡船場に運ぶ最中に客を口説き、客をホテルや置屋に紹介、その謝礼として数千円を手にする小遣い稼ぎをしていた。そのアルバイトだけで、日に10万ほど稼ぐ運転手もいたというから驚きだ。
外国人の方が人間味があった
こうして我が世の春を謳歌した男は2016年、置屋稼業から足を洗った。きっかけは2016年5月のサミットだった。
「警察の取り締まりが厳しくなると分かっていましたから。もっと言えば、最後に雇っていたのはビザのないタイ人たちでした。検挙されるのは目に見えていますよね」
では、どうしてリスクを承知でビザなしの外国人を使ったのか。男はその理由について、「日本人を雇う術がなかった」ことに加え、もちろん「メリットもある」と続けた。
「1つは安く使えるから。またもう1つには、昔の日本人が持っていた優しさ、気遣いというのかな、そういう人間味を持っていたからです。
中高年がフィリピンパブにハマるのと同じ原理で、ただセックスするだけじゃなく、手をつなぎ、寄り添い、多少のセクハラでもノリ良く受け入れる……商売オンリーじゃなく、ね。そうした恋人接客ができる部分で客に喜ばれるんです。
彼女らは温泉地など、渡鹿野と他の売春地帯とを転々としながら働いています。繁忙期は住み込みで働くが、暇になると、島を出てスナックで働いたり、他の地域の売春街に行ったり」
島の利権に、有象無象の人間たちが群がっていた。では、置屋で働く女たちは、どこからやって来たのか──。第2回では、外国人女性が島にたどり着くまでのルートと、島と警察との距離を紹介する。「昔は警察が慰安旅行で来ていた」など、衝撃的なエピソードも飛び出した。
(第2回を読む)
