1999年、当時25歳でフリーターだったライターの白央篤司氏は、アルバイト先のカフェで女優の小川真由美さんと出会い、その場で付き人を依頼された。当時、間近で接していた白央氏が見た「小川真由美の素顔」とは--。

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昭和の名女優・小川真由美、45歳の頃。小川さんは3月26日、86歳で死去していたことが月刊「文藝春秋」の取材でわかった。 ©共同通信社

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「小川真由美の付き人」という仕事

 訃報を聞いて、あの頃のことが一気に思い出されてきた。人生で最も濃密で、異様だった半年間。非難や暴露をしたいわけでもない。私は一時期、ずいぶんと変わった「仕事」に就いていた。

 朝に来てやることはまず、鳥小屋にいる2羽のチャボの世話から。フンの始末をしてエサをやる。ミルワームという虫の幼虫--つまりは生き餌の、指の間でうごめく感触に最初は抵抗もあったがすぐに慣れてしまった。それから犬にエサをあげて、散歩に連れ出す。一連の行動はなるたけ静かにやらなくてはならない。家の中で寝ている人を起こさないように。

 ゴールドに塗られた特注ベンツの横を通って裏庭から出ていこうとしたとき、後から声が掛かる。鼻濁音がまろやかで、よく通るあの声。腹式呼吸の声。劇場の3階の一番後ろまでしっかりと届く、あの声。

「あっちゃん、おはよう。きょうはチャボたち、卵産んでた……?」

 声の主は女優の、小川真由美だ。家の持ち主にしてチャボとツネコの飼い主、そして私の雇い主。いつもこの人は突如として現れる。

「すみません。静かにしてたつもりでしたが、起こしちゃいましたか」

「聞いたことに、答えて」

「すいません。2個、産んでましたよ」

「そう。じゃあいつものように、ツネちゃんの散歩から戻ってきたら目玉焼きにしてね。他はトースト……きょうは1枚ね。それとルッコラのサラダでいいわ」

 かしげていた小首を元にもどしながら艶然とほほ笑んで、寝室がある2階に戻っていく。小川さんはいつも芝居がかっていた。仕事の開始は毎朝9時から。ペットの世話、朝食作り、掃除や庭の手入れ、小川さんの買いものなどをして午前中が終わり、昼は1時間休憩。小川さんの昼食は近所の世話人が用意する。小川さんを慕う後援者のような人たちが数名、身の回りのことをされていた。午後は台本読みをつきあったり、スタジオ収録や舞台の稽古に行ったり。19時には基本解放……というのが、大体の流れ。

出会いは1999年、バイト先のカフェで

 1999年の一時期、私は小川真由美の付き人をしていたのだった。

 きっかけは、こうだ。

 当時私は25歳、大学を出て就職もせずアルバイトをしていた。バイト先は渋谷のとあるカフェで、そこは自家製パンが人気だった。ランチタイムはパンを買い求める客で行列が絶えず、私らバイトは注文を聞いて、パンやスコーンを包み、そして会計という流れをひたすらに繰り返す。はい、次の方どうぞと目をやれば、小川真由美が立っている。目が合った瞬間、体が固まった。なんで……大女優がこんなところに? 

 映画好きの私は、『復讐するは我にあり』も『八つ墓村』もレンタルビデオで見ていた。あのすさまじい演技を残した役者が目の前にいる! 頭が混乱して茫然としてしまう。そして小川さんは私に向かって、よく通る声でひと言「早くしてよ」と不機嫌そうに言ったのだった。

 我に返った私は注文を聞いて包み、会計を伝える。お釣りを返したら行ってしまうんだなと思ったら、「あの」と声が口をついて出てしまう。

「何よ」

「あの……あ、ファンです」

「……あら。はは、そう……。ふふん。じゃあ、また来るわよ」

 冷たい表情から一転、にんまりとほほ笑んで小川さんは去っていった。そして本当に夕方、また突然にやって来たのだった!

「あたしね、ここ数年飼っているペットの世話やらが大変で仕事を受けていなかったのよ。だけどこれはやりたいな、やってもいいなと思える仕事が来たから、付き人やってくれる人を探していてね。それであなた……やってみない? さっき見た瞬間、あなたならできると思ったの。あたし、ひらめいたのよ」

 冗談と思われるかもしれないが、まだバイト中の私をつかまえて小川真由美は本当にこう言ったのだった。気が動転してなんだかよく分からなかったが、結局日を改めて会うことになる。

大女優から「付き人に」と口説かれて

「あなた、俳優さんなんでしょう? その若さであたしを知ってるってことは芝居をやってるとか演技に興味があるってことよね。そうなはず。だったらやってみない? あたしを通して芸能界につながりを持てるのよ。今度受ける仕事ってね、大河ドラマなの。付き人になれば現場を見ることができるわよ。現場でコネクションもできるかもしれないわ。もし今後あたしが主演の作品でもあれば脇役に推すことだってできるのよ。ねえ、さあ、どうだ!」

 学芸大学にあった小川さんの邸宅で向かい合い、一気に彼女は述べた。なんで私は今、大女優と二人きりで相対しているんだろう。ドラマや映画で聞いてきた「あの声」を肉声で聞いていることが不思議だった。そして最後に「どうだッ」と啖呵売みたいな口調になったのがおかしくて、ちょっと笑ってしまった。

「何がおかしいのよ、あたしは真面目に話しているのよ」

「すみません、あまりに突拍子もないことが起きていて、受け止められなくて」

「そりゃあそうよね。でも自信を持ちなさい、あたしが見込んだ子はね、必ず出世するの。きっとあなた、大きな存在になるわよ……。バイト代今いくら月にもらっているの? そのぐらいのお金をあたしが払えば、なんの問題もないでしょう」

あちこちに映画が、演劇が転がっていた

 結局、引き受けてしまった。確かに私は当時小さな劇団に属していたが、サークル活動的に楽しんでいるだけで、芸能界での出世などまるで目指していなかった。いや、目指すほどの野心もガッツも根性もなかった、というほうが正確だろう。だからこそ、小川さんは私に目を付けたのかもしれない。

 はじめのうちは楽しかった。何しろ家のあちこちに映画が、演劇が転がっている。書棚には出演作の脚本や商品化されたソフトなどが並んで、興味深いスナップもいっぱいだ。用のないときは脚本やらを読むことも許されたし、当時の思い出話もしてくれた。

「『八つ墓村』のときはね、ロケ地に小さな楔があったのよ。それを撮影の邪魔だっていうんで引っこ抜いてから、なんだか不思議なことが起こるようになったのよね」

「え、『鬼畜』が好きなの。野村芳太郎監督のね。でもあれ、あたし出番ほとんどないじゃない。どんなふうに役作りしたかって? 大した準備しないわよ、あのぐらいじゃ」

「これね、寺山修司さんがあたしにくれた詩なの。ふふふっ、いわば寺山さんなりのラブレターね。ねえ、これ、コピーしてきてちょうだい。これ以上黄ばむのを見たくないから……」

「あっちゃん、役ってね、こうやって獲るのよ」

 年若の子が自分の仕事に対して熱心に訊いてくれれば、そりゃうれしかったろうと自分も年齢を重ねて思う。あるとき私は、演技的に深い感銘を受けた『復讐するは我にあり』に関して、共演の緒形拳さん含め、本当に凄かったですね……なんて乏しい語彙で思いを伝えた。

「あれね、あの作品はね、あっちゃん」

 焦点の合わない目になって、ゆっくりと語り出す。小川さんはいつも急にトランス状態になる。自分で自分を降ろして語り出す、みたいなときがよくあった。

「あたし、本当は緒形さんの本妻役だったのよ。でも台本が届いて読んでいたらどうしても女将のハルさんが演じたくなった……。覚えたわよ、それからすぐ何度も台本読んでね、ハルさんのセリフ全部。そのぐらい役に惚れ込んだ。そんな気持ちになることって滅多にないのよ。方言を知ってる人も探して、習って、自分なりのハルさんを作り上げて行ったのよ。どこへって? 監督のもとに決まってるでしょうよ。

 とにかくあたし、聞いてもらった。ふふふ、正妻役と言ってるのに、いきなりハルさんを演り出すんだから驚いたでしょうねえ……。ねえ、監督。このハルさんってすごく魅力的ね、読んでるうちにどんどん入って来るの、ハルさんがあたしに。このセリフなんか絶対こう言ったと思うのよ……みたいなこと言いながらハルさんを演じたわ、彼の前で。演り終えて聞いたの。ところで監督、あたしの役ってなあに、って」

「……それで、監督はなんて言ったんですか」

「そりゃあ勿論小川君、君はハルだよ、って。ははは……あっちゃん、役ってね、こうやって獲るのよ」

いつも誰かを演じていた

 聞きながら私は自分の全身が粟立つような思いになっていた。すべてが事実とは思わない。盛っているところも虚構もあったろう。ただこのときはその語りの迫力と内容に気圧され、私は小川真由美という人にすっかり吞み込まれてしまっていた。

 小川さんはいつも誰かを演じていたように思う。付き人スタートからの2か月間は「芝居好きの青年と過ごす悠々自適のマダム」みたいなキャラクターを。そして大河ドラマの撮影が始まったときから、あのひとは常に「大女優」を演じていた。ジェンダー問題の観点から「女優」という言葉も使われないようになっているが、この文章ではあえて小川真由美という人のことを「女優」と書かせてほしい。

「岩下志麻をほぼ無視」「普通の女優に、なんの価値があるのよ!」昭和の大女優・小川真由美(享年86)の元付き人が明かす、凄絶な素顔〉へ続く

(白央 篤司)