小学生のときに生き別れた母、24歳で急逝した兄…武井壮が53歳で”ファミリーヒストリー”にたどり着くまで
「百獣の王を目指す男」こと武井壮さん(53)。元・陸上十種競技日本チャンピオンで、39歳の時に芸能界でブレイク。近年は俳優としても活躍中だ。そんな武井さんが芸能の道を志した背景には、24歳の若さで亡くなった兄・情さんの存在がある。少年時代に両親が離婚。兄弟2人で困難な時期を乗り越えた。
武井さんはアスリート、情さんは俳優と目指す道を見つけるなか、がんで急逝した情さん。兄の夢を背負い奮闘してきた武井さんのルーツに、NHKの番組「ファミリーヒストリー」が迫った。8月の放送延期で問い合わせが殺到。明日9月22日の夜7時30分から72分に拡大して放送される。放送を前に、武井さんが少年時代を振り返り、自らの家族について語った。
ファミリーヒストリー「武井壮 ~生き別れた母の行方」
9月22日(火・休) 午後7:30~午後8:42 NHK総合
NHK ONEで同時・見逃し配信
孤独な少年時代に生まれた「もう一人の自分」
武井さんは東京・葛飾区に生まれ、父と母、2歳上の兄と幼少期を過ごした。しかし9歳の時に両親が不仲になり、母が家を出ることになった。東京駅のホームで、母は「1週間だけ実家に帰る」と泣きながら新幹線に乗り込んだ。
「1週間で帰ると言っていたのに、2週間、3週間経っても帰ってこなくて、1カ月くらい経った頃、『ママ、いつ帰ってくるのかな?』と兄貴に聞いたんです。そしたら、『お前、知らないの?』と言われて。『離婚したから、もう帰ってこないんだよ。お父さんに聞いてごらん』って。僕は怖くて聞けなくて。数カ月経った頃、本当に離婚したんだなと理解しました。」
以来、武井さんは母に会っていない。「ファミリーヒストリー」の取材班は母親の行方を追い、ある真実にたどり着く。その内容が、番組で明らかにされる。
母と生き別れたあとの武井さんの半生は、苦難の連続だった。寂しさを埋め合わせるため、強くなって自力で生きようとした。
「『自分の能力でなんとかする』と決めた日があったんです。僕は甘えん坊だったんですけど、その日を境に父親に甘えなくなった。『パパ』と呼んでいたのを『父さん』に変えて。父親もいきなり『父さん』と呼ばれて、びっくりした顔をしてたけど。精神的に距離をとりたかったんでしょうね。そうすることでしか、寂しさが埋まらなかったんだと思う。その頃から、自分がもう一人いる感覚があるんです。寂しい時に、『大丈夫だよ』『がんばろうよ』と話しかけてくる自分がいる。分裂みたいなことなのかもしれないけど、もう一人の自分が生まれたのを自覚していました。」
「誰にも負けない」自分を鍛え、下町の人情に支えられて
もう一人の自分に鼓舞されて、勉強も運動も誰にも負けない「武井壮」が形づくられていく。
「新しい教科書をもらったら、もう一人の自分が『誰にも負けないように先に準備しよう』と言うから、最初に全部読み切った。走っている途中で息切れすると、『もうそこまででいいの?』と彼が聞いてくる。どうやったら、もっと疲れずに速く走れるのか?真剣に考えるようになりました。そういう体に関する疑問を解決するために、大学の教科書を読むようになりました。同じマンションに体育大に通うお兄さんが住んでいて、その人に聞いたら、筋肉や血液の仕組み、”何故疲れて走るのをやめたくなるのか?”を詳しく教えてくれたんです。さらに、運動生理学や解剖学など前年に使った教科書を一式くれて。魔法の本だと思いましたね。勝つためには読むしかない、これさえあれば、貧乏な生活から抜け出せるかも、と。」
あちこちで下町の人情に助けられ、「グレずに一生懸命がんばろう」と思った。
「お弁当屋さんも、唐揚げをパンパンに詰めてくれて。『並盛りの料金の範囲内で、ギリギリ大盛りにしてください』とか頼んでいたから、不憫に思ったんだと思う。お店の裏から鰻の串を渡してくれるおじさんもいた。なかには変な人もいましたけどね。公園にいつも、トレンチコートに帆立の干し貝柱をいっぱいつけている『貝柱おじさん』がいて。周りの子は気持ち悪がっていたけど、僕はよくしゃべっていました。『お前、親いねえんだろ。じゃあ特別に5個やるからな、うひひ』とかおじさんが言って。貝柱はおいしかった。今なら通報されそうな感じもしますけど、町の人たちがみんな家族みたいに見守ってくれて、本当にハートフルな町でしたね。」
「兄貴がやりたかったことを僕がやる」
今回の「ファミリーヒストリー」で描かれる家族の物語の1つが、武井さんと兄・情さんの深い絆だ。武井さんが中学1年生の時、情さんは「芸能人になる」と宣言する。
「兄貴が『高校行かない』と言い出して、大喧嘩になった。『親がいなくてこんな暮らしなのに、勉強もしないで芸能人になるとか、馬鹿なこと言ってんじゃねえよ!』と僕は責めて。掴み合いにもなりました。それ以来、僕が勉強している時に兄貴が音楽を流すと『邪魔すんじゃねえ』と怒ったり、兄貴が発声練習をすると『そんなの公園でやれよ』と言ったり。『誰にも負けてはならぬ』と気を張っていたから、兄貴のことが怠惰に見えて苛立って。僕が高校を卒業するくらいまで、まともに口を聞いた記憶がないんです。」
しかし、張り詰めた心がほどけていくタイミングが訪れる。神戸学院大学に進学して陸上競技で大躍進し、希望が見えてきたのだ。同じ頃、兄もテレビドラマやVシネマに出演するようになった。
「僕にとって、それは衝撃的でした。芸能界なんてとても無理だと思ったのに、本当に夢を叶えているんだ、と。兄貴も自分と同じような気持ちでがんばっていたんだとようやく気づいたんです。神戸と東京で離れていたけど、僕から連絡するようになって。兄貴は兄貴で、芸能人の知り合いと野球する時に呼んでくれたり。もう一回、兄弟に戻れた。久しぶりに会った時の兄貴の嬉しそうな顔をよく覚えています。」
ところが、兄弟の穏やかな時間は長く続かなかった。情さんが末期がんで余命3カ月と診断されたのだ。がんの進行は早く、24歳の若さで情さんは急逝する。
夢をつかみかけて亡くなった兄。武井さんは人生の目標を決めた。
「よし、二人分やってやろうと思って。兄貴がやりたかったことを僕がやる。それまでの人生、自分で考えて確実に結果を出してきたから、僕が本気でやろうと思ったことは絶対に叶えられると思いました。」
50代 “武井壮の人生を歩もう”と思ったとき、家族の歴史を知りたくなった
アスリートとして成功を収めると、次は兄の夢を継いで芸能界へ挑戦した。
「芸能人とおしゃべりして、録音してしゃべり方を真似した。そのうち、同じことをしゃべっても自分の声だと誰も笑わないだろうな、とか気づくんです。喋りの間、声色、ワードが合致しないと、笑いにつながらないと知り、話し方を変えることからスタート。もっと興味を持ってもらえるように、身体能力的にボケてみようと。『ジュースを買ってきて』と言われたら全速力で走ってコンビニへ行き、高速で買って帰ってきて、『早いなお前!』みたいな。39歳まで、そうやって誰かが楽しんでくれる何か、を増やしていきました。」
デビューを果たすと、「百獣の王」のキャラクターで人気を集める。40代はバラエティーの世界で勝負した。
「10年間で、バラエティーでやりたいと思っていたことは完遂できました。じゃあ50代はお芝居をがんばろう、と。これまでの芸能生活で、兄貴が口にしていた夢は、もう全部叶えたと思う。今、『武井壮の人生をどうしたいのか』に立ち返る時だと思います。兄貴のことも家族のことも含めて、今までの人生を振り返って、折り返し地点でどうするか。自分はいったい、どういう人生を歩みたいんだ?と。」
そんな折、ふと目に留まったのが、「ファミリーヒストリー」だった。思えば自分のルーツを何も知らない。それを尋ねられる人もいない。これからの人生を歩むうえで、知りたいと思った。そうして番組は、武井家のルーツをたどり、やがて9歳で生き別れた母の真実まで明らかになる-。
(後編へ続く)
ファミリーヒストリー「武井壮 ~生き別れた母の行方」
9月22日(火・休) 午後7:30~午後8:42 NHK総合
NHK ONEで同時・見逃し配信
放送1週間後からはNHKオンデマンドで配信します
