「個別化ファージ療法を実際の治療につなげるためには、感染菌に合うファージをいかに早く見つけるかが重要です」と語る早川佳代子医長

写真拡大

 抗菌薬が効きにくい「薬剤耐性菌」が世界的な問題となるなか、新たな治療法として注目されているのが、細菌に感染するウイルスを利用した「ファージ療法」だ。海外では、多剤耐性菌による重篤な感染症から患者を救った症例が報告され、日本でも患者ごとの感染菌に合ったファージを選ぶ「個別化ファージ療法」の臨床応用に向けた研究が進む。抗菌薬が効かない感染症の新たな治療選択肢となるのか──。シリーズ「医心伝身プラス 名医からのアドバイス」、薬剤耐性菌感染症の診療・研究や個別化ファージ療法の臨床導入に取り組む国立健康危機管理研究機構(JIHS)国立国際医療センターの早川佳代子医長が、その可能性と臨床応用の現在地を解説する。

抗菌薬の限界を補う「ファージ療法」に世界が注目

 ペニシリンは1928年に発見され1940年代に実用化されました。この抗菌薬の登場によって感染症治療は大きく進歩しました。ところが、細菌は抗菌薬に対する耐性を身につけるようになり、製薬会社がそれに対抗する新たな抗菌薬を開発するという「いたちごっこ」が今も続いています。

 そうした状況のなか、私は薬剤耐性菌治療について、研究と臨床を続けてきました。現在、薬剤耐性菌に対する治療の一つとして注目しているのが、バクテリオファージです。バクテリオファージ(以下ファージ)は、細菌に感染するウイルスで、治療には菌体内で増殖して宿主菌を溶菌する「溶菌性ファージ」を用います。

 自然界には膨大な数の細菌が生息していますが、それを上回るファージが存在すると推測されています。海水1ml中には約1000万個のウイルス粒子が、ヒトの糞便1g中にも10億個程度以上のファージが存在するとされています。ヒトの腸内にも多くのファージが存在し、腸内細菌と共存しています。ファージは細菌にだけ感染するウイルスであり、ヒトの細胞を宿主として増殖することはありません。こうしたファージをヒトの細菌感染症の治療に利用する可能性が、世界的に注目されるきっかけとなったのが「パターソン症例」です。

多剤耐性菌に感染した患者を救った「パターソン症例」

 2015年、パターソン夫妻がエジプト旅行中、夫のトム氏が激しい腹痛や吐き気、嘔吐を発症し、現地で急性膵炎と診断されました。夫妻はエジプトナイル川クルーズ中でしたが、すぐに下船し、ルクソールの病院に入院し治療を受けました。しかし、症状が改善しなかったためドイツの病院に移送され、そこで「多剤耐性アシネトバクター・バウマニ」による感染が確認されました。何種類もの抗菌薬が次々と投与されましたが、症状は改善しないまま米国に帰国。その後も治療が続けられましたが、症状は悪化の一途をたどり、ついには肝機能や腎機能も低下し全身状態が悪化していきました。

 この時、科学者でもあるパターソン夫人が「ファージ療法」を知り、担当医に相談しました。医療チームは米国の複数の研究機関や企業に協力を依頼し、FDA(米国食品医薬品局)から緊急使用(eIND)の許可を得て、2016年3月、テキサスA&M大学や米海軍の研究機関などが準備したファージによる治療を開始しました。

 ファージ投与開始から1か月半後の5月初旬には、併用していた抗菌薬の投与を終了。さらに6月6日以降の検査でアシネトバクター・バウマニが検出されなくなり、8月12日にはパターソン氏は無事退院することができました。この症例が報告されたことで、多剤耐性菌に対するファージ治療の可能性に注目が集まりました。

個別化とは異なる「固定型ファージ」の可能性

 ファージ療法は、ジョージアやロシアなどで現在も利用されています。また、欧米をはじめとする各国でも、近年、臨床研究や人道的使用が活発化しています。現在、研究が進められているファージ療法には、大きく分けて「固定型ファージ」と「個別化ファージ」の2つの方法があります。固定型ファージとは、あらかじめ選定した複数のファージを組み合わせ、対象となる一定範囲の菌株に使用できる製剤を事前に準備しておく方法です。医薬品として使用するためには、安全性や有効性が確認され、誰に対しても一定の品質を保って使用できることが求められます。

 さらにファージは、感染できる細菌の範囲(宿主域)が狭いため、一種類のファージだけでは幅広い菌株に対応することが難しいという課題があります。そこで、複数のファージを組み合わせることで、より多くの菌株に対応できるようにした「カクテル製剤」が考えられています。

 例えば、糖尿病による足の感染症に対するファージカクテル製剤や、嚢(のう)胞性線維症に対するファージカクテル製剤のように、原因となる細菌がある程度絞られている感染症に対する医薬品の開発が進められています。黄色ブドウ球菌を対象としたファージ製剤についても臨床試験が進められているほか、緑膿菌や大腸菌などを標的としたファージ医薬品に対する臨床試験が世界各国で進められ、安全性と有効性が検討されています。

 国内でも、2024年から大阪公立大学で、ニキビ治療にファージを用いる臨床研究が開始されました。これは、アクネ菌に感染するファージを含む市販の美容液を用いて、ニキビ治療の効果と安全性を医学的に検証するものです。

患者さんごとに最適なファージを選ぶ

 一方、個別化ファージ療法は、患者さんから採取した細菌に合わせて、それに感染するファージを探し、培養・精製して投与する方法です。パターソン症例も、個別化ファージ療法の一つといえます。ファージは、感染できる細菌の範囲(宿主域)が非常に狭く、特定の細菌株だけに効果を発揮します。そこで、まず患者さんから感染細菌を採取して、その細菌に感染するファージを見つけることができれば、ファージによって細菌を溶菌できる可能性があります。

 個別化ファージ療法の大きな課題は、治療に必要なファージを見つけ、治療に使用できる状態に準備するまでに時間がかかることです。ファージは、既存のファージライブラリーから探すほか、下水などの環境試料から新たに分離することもあります。そのため、原因菌が特定された後、いかに適切なファージを迅速に見つけ、治療用に準備できるかが重要になります。

 また、同じ「大腸菌」という名前の細菌でも、患者さんごとに性質が異なるため、効果のあるファージが違います。そのため、患者さんの感染細菌に適したファージを個別に選ぶ必要があります。現在は国立健康危機管理研究機構(JIHS)国立感染症研究所のほか、いくつかの施設でファージライブラリーの整備が進められており、原因菌が特定された際に、それに感染するファージを迅速に探せる体制が整いつつあります。

■後編記事につづく:【多剤耐性菌治療の最前線】抗菌薬が効きにくい「人工関節感染症」に希望 30株中26株で治療候補のファージを確保できた驚きの結果【前後編の後編】

【プロフィール】早川佳代子(はやかわ・かよこ)/国立健康危機管理研究機構(JIHS)国立国際医療センター・国際感染症センター総合感染症科医長。総合内科専門医、感染症専門医・指導医。臨床感染症学、薬剤耐性、医療疫学を主な研究領域とし、薬剤耐性菌感染症の診療・研究に携わるほか、個別化ファージ療法の臨床導入を進めている。

取材・文/岩城レイ子