第2セット、イランを相手にスパイクを決める高橋藍(カメラ・岩田 大補)

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◆バレーボール▽男子アジア選手権最終日 決勝 日本3-0イラン(13日、北九州市立総合体育館)

 2大会連続11度目の優勝を飾り、日本の団体球技では第1号となる28年ロサンゼルス五輪切符をつかんだバレー日本代表。大会MVPにも輝いたエース・高橋藍(25)=ルブリン=が、スポーツ報知に独占手記を寄せた。日本の大同生命SVリーグに初挑戦した理由や、肉体改造の成果を明かした。24年パリ五輪では7位。表彰台に届かなかった悔しさを胸に、ロス五輪では1972年ミュンヘン大会以来、56年ぶりの金メダルを目指す。

 みんなで勝ち取った優勝。最高です!。心をここに懸けてきたので、目標を達成できて本当に嬉しく思います。プレッシャーはありました。でも、一番は楽しんでやることを意識しました。今はチームみんなで喜びを分かち合いたいです。

 ロサンゼルス五輪で金メダルを取るために挑戦を続けてきました。イタリアで3シーズン戦った僕は2年前に、兄の塁(26)も所属するサントリーサンバーズ大阪に入りました。新しい環境に自分を置くことが強くなるポイントだと、ずっと考えているので、日本を選びました。初めて日本のSVリーグでプレーして感じたことは、ディフェンスの粘り強さと技術レベルの高さでした。例えばスパイクを打ったとき、ブロックをかわしたとしても、必ず壁の後ろにレシーバーがいる。高さやパワーでは世界に及びませんが、こういう部分は日本の特長。最初の1、2か月はコンディション面も含めて難しい時間になりました。

 また、僕がサントリーを選んだ理由のひとつにディマ【注1】の存在がありました。彼の攻撃は、身長2メートル18センチの高さがあるにもかかわらず、長くコースをついたり、(ブロックの)指先を狙ったりと多彩で、うまさがある。間近で見る彼のプレーや姿勢を学び、攻撃のバリエーションを増やす意識を持ちました。世界トップレベルで戦ってきたからこそ意識が高く、どんな場面でも常に冷静。彼と2シーズン、プレーできたのは競技人生において自分の財産です。

 日本は海外生活に比べ、食事やトレーニング環境がとても良いです。昨夏からは肉体改造に取り組みました。もともと23年OQT【注2】の頃の体が自分の中では良いと思っていて、そこを目指しました。家では自炊しお米は一日に朝250グラム、昼300グラム、夜300グラム。試合の日は、昼と夜は運動量に合わせて400~450グラムに増やし、野菜、油の少ない鶏の胸肉、ささみを使って調理。最初は毎食、栄養士の方に写メを送って、見てもらいました。せいろ蒸しにもハマり、体脂肪率は12・5%から8%台に、体重も約4キロ減りました。跳んだ時に浮遊感を感じるのが違うところ。スパイクでは、キレが上がり、空中で相手を見て正確に判断する時間ができたため、アタック決定率(リーグ日本人1位)やパフォーマンスの安定性につながりました。

 先シーズンはサントリーで主将をさせてもらいましたが、自分自身がチームを引っ張るという形より、リーダーシップは誰が発揮してもいいと考えてきました。僕自身、日本代表では軸の1人になってきて、(石川)祐希さんがコートにいない時、僕のコート内の声かけや貢献はチームを勝たせるために必要だと思っています。一人だけの責任ではないと意識することが、チームが強くなっていくことにつながります。全員がチームを引っ張る意識を持つことで成長し、誰が試合に出ても強いのが、今の日本代表の強みです。

 目標はロサンゼルス五輪でのメダル獲得です。2年前に出場権を獲得できたことは、ロスで勝つためのいい準備へとつなげていける。日本のリーグで2シーズンやって、次はサバイバルの環境(新天地のポーランド1部ルブリン)でやることが、自分をさらに限界に追い込めると感じました。高めたいのは経験値です。これからも強くなるため、挑戦をしていきます。

【注1】本名はドミトリー・ムセルスキー。ポジションはオポジット。ロシア出身で、2012年ロンドン五輪金メダルに貢献。18-19年シーズンからサントリーサンバーズに加入し、218センチの長身を生かしたスパイクで得点を量産。25-26年シーズン限りで現役を引退した。

【注2】「Olympic Qualifying Tournament」の略称で、日本は24年パリ五輪予選を兼ねた23年のW杯に出場。米国やスロベニアのいる予選B組で5勝2敗で2位となり、五輪の出場権を4大会ぶりに自力で獲得した。

 ◆高橋 藍(たかはし・らん)2001年9月2日、京都市生まれ。25歳。小学2年でバレーを始め、京都・東山高3年時に全日本高校選手権(春高)を制覇。日本代表初選出は20年。日体大に在学中の21年にイタリア1部パドバと契約し、23-24年はモンツァでプレーオフ準V。24-25年から2季、日本のサントリーで活躍。来季はポーランド1部ルブリンでプレー。五輪は21年東京、24年パリ大会で7位。188センチ、83キロのアウトサイドヒッター。