※写真はイメージです/PIXTA

写真拡大

長年連れ添った夫婦が、子育てを終えた後に別れを選ぶ「熟年離婚」が増加しています。たとえ夫が高収入で老後の安泰が約束されていても、精神的・経済的な支配から逃れるため、長年専業主婦だった女性が離婚を決断するケースは少なくありません。ある57歳女性の決断を通して、熟年離婚の背景にある夫婦関係の実態と社会課題について考えます。

33年間の専業主婦生活と夫の言葉

「離婚したいなら、すればいい。でも、お前は俺の稼ぎなしに生きられないだろ」

夫からそう言われたとき、佐藤恵美さん(57歳・仮名)はしばらく何も言い返せなかったと振り返ります。

夫の佐藤健一さん(59歳・仮名)は、大手企業に勤務するサラリーマンです。管理職を務める現在の額面月収は約88万円。夏冬のボーナスも含めた年収は1,200万円を超えています。

一方の恵美さんは24歳で結婚して以来、33年間専業主婦として家庭を守ってきました。子ども2人を育て上げ、夫の転勤にもついていきました。夫が仕事に専念できるよう、家事や育児のすべてを引き受けてきたといいます。

「夫は『俺が稼いでいる』と言います。でも、そのために私は自分のキャリアを捨て、ずっと家庭に入ってきました」

夫婦の間に決定的な亀裂が生まれたのは、2人の子どもが独立し、夫婦2人きりの生活になってからでした。子育てや家事に追われて見ないようにしてきた夫の威圧的な態度に、耐えられなくなったといいます。

食事の内容に文句を言われ、出かける予定を細かく詰問される。生活費として渡されるのは月に7万円のみで、レシートを1円単位で家計簿と照合される日々でした。

「誰のお金で生活していると思っているんだ」という言葉を吐かれることも日常茶飯事でした。そして、ある日の口論で飛び出したのが冒頭の言葉だったのです。

「悔しかった。でも、夫の言うことにも一理あると思ってしまったんです。33年間も専業主婦だった私に、57歳から一人で生活していけるのかと」

厚生労働省『令和4年度 離婚に関する統計の概況』によると、同居期間が「20年以上」の夫妻による離婚件数は令和2年で3万8,981組に達し、同居期間が判明している離婚全体の21.5%を占めています。また、恵美さんと同じ年代にあたる「55~59歳」の妻の離婚件数は同年で9,882組となっており、熟年期に差し掛かってから婚姻関係を解消する選択をする女性は少なくありません。

長引く争いを避けて選んだ即時離婚

離婚を決意してから、恵美さんは夫婦の財産を整理しました。

自宅は夫名義のマンション。住宅ローンはすでに完済しており、夫名義の預貯金や金融資産もありました。夫婦で築いてきた財産について、できる限り多くの財産分与を求めるという選択肢もありました。

しかし、恵美さんはそれを選びませんでした。

「1円でも多く取ろうと思えば、夫と長く争うことになる。それだけは嫌でした」

夫は離婚そのものに最後まで納得していなかったといいます。

「今さら何が不満なんだ」

「生活には困っていないだろ」

「老後は金もあるんだから、このままでいいじゃないか」

夫にとっては、十分な収入があり、住まいがあり、老後資金にも不安がない。それなら夫婦生活を続けるべき--そう考えていたのでしょう。しかし恵美さんにとって、問題はお金だけではありませんでした。

「老後のお金があるから、この人と一緒にいなければならない。その考え方そのものが、もう耐えられなかったんです」

話し合いの末、恵美さんは最低限の財産分与で合意しました。夫婦で築いた財産をすべて細かく洗い出し、最大限の取り分を求めることはしませんでした。

ただし、年金については別でした。

「夫の顔色をうかがいながら、老後の年金まで諦める必要はないと思いました」

恵美さんは長年、夫の扶養に入る専業主婦でした。離婚時の年金分割には、夫婦の合意や裁判手続きによって割合を決める「合意分割」と、一定の第3号被保険者期間について、相手の同意なしに請求できる「3号分割」があります。

恵美さんは、夫と年金のことで何度も交渉することは望みませんでした。しかし、2008年4月以降の第3号被保険者期間については、夫の同意を得なくても請求できる制度があることを知ります。

「夫から『俺の稼ぎで生活してきた』と言われました。でも、制度上は、それだけで私が何も受け取れないわけではなかったんです」

恵美さんは、最低限の財産分与で離婚を成立させ、その後、自分で必要な年金分割の手続きを進めることにしました。

「もう、夫と『ください』『認めてください』と交渉したくなかったんです。でも、自分が33年間、家庭にいたことまでなかったことにする必要はないと思いました」

離婚後、恵美さんは賃貸住宅に移りました。夫と暮らしていたころより、生活水準は明らかに下がっています。これからの仕事も探さなければならない。年金を受け取れる年齢になるまで、どう生活をつないでいくのかという不安もあります。

それでも、夫の収入に守られた生活を失ったことを後悔しているわけではないといいます。

「老後安泰と言われても、その安泰が『夫に逆らわないこと』と引き換えだったら、私には意味がありませんでした」

57歳での離婚は、決して身軽な決断ではありません。長年専業主婦だった人ほど、収入、住まい、年金、老後資金という現実的な問題が重くのしかかります。それでも恵美さんは、「お金のために我慢する人生を終わらせたかった」と語ります。

内閣府『男女共同参画白書 令和8年版』によると、配偶者から生活費を渡さないなどの「経済的圧迫」や暴言などの暴力を受けた経験のある女性は27.5%にのぼります。

恵美さんのように経済的支配から脱し自立を選ぶ女性がいる一方、離婚後の生活には厳しい現実もあります。同白書が示す日本の高齢者の貧困率は、男性が16.6%であるのに対し、女性は22.8%と高い水準にあります。

長年家庭を支えてきた専業主婦が熟年離婚に踏み切る際、年金分割等の権利確保は不可欠です。それだけに留まらず、高齢女性の就労支援や自立を阻む社会的格差の解消を進めることが、社会全体の大きな課題といえるでしょう。