“スーパーボランティア”の尾畠春夫さん

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 最大震度7を観測した「令和8年熊本地震」の被災地・熊本県益城町で、約2週間のボランティア活動を終えた"スーパーボランティア"尾畠春夫さん(86)。10年前の熊本地震でも3か月を過ごした同じ町で、20軒ほどの被災家屋を回ったという。

【写真を見る】持参したというパックごはんと缶詰を食べる尾畠さん。 爆発直後のイオンモール熊本のの様子など

 大分県内の自宅で取材に応じた尾畠さんに、最も印象に残った現場を尋ねると、一人暮らしの女性の家について話しはじめた。【前後編の後編。前編から読む】

「うわぁ嬉しい!」車椅子の女性が見つめ続けた作業

 8月のある日、尾畠さんがボランティアセンターを出発して向かった先は、一軒家だった。室内では食器棚が倒れ、板張りの床にガラスが飛び散っていたと言う。

「70代か80代ぐらいの姉さんが車椅子に座りながら、じーっとこうして(作業を)見ちょってな。作業が終わって、『姉さん、これでいいですか?』って言ったら、『うわぁ嬉しい! もう最後の一粒まで全部掃いてくれたんだね』って。最初から終わりまでじっと見てるんですよ。『もう粉みたいになってたやつまで全部掃いてくれたんだね。ありがとうございます』って言われてな。その時は、ああ、やらしてもらってよかったなと思った」

 庭では、廃屋のようになっていた犬小屋も解体した。犬はもういない。伸び放題だった草も刈った。尾畠さんが何より重く受け止めるのは、その人の本心から出た言葉だという。

「口先だけの嬉しいとかありがとうじゃなくてね。いろんなところ行って、いろんな作業させてもらうと分かりますからね。本当に心から言ってる言葉と、口先だけの言葉っていうのは、もう一言聞いただけで分かりますから。そんな言ってもらった時は、もう涙が出そうなぐらい嬉しい」

「私だけに」渡されるものは受け取らない

 作業を終えると、家族と記念写真を求められることもある。それには応じるが、決して受け取らないものがある。

「謝礼とかお菓子とかは、私は絶対に受け取らない。みんなに『これ一本ずつ飲んでください』っていう時はみんなでもらうけど、私だけに『尾畠さんこれ飲んで』って言われたら、お断りします。ボランティアとして個人にくれたからって、ありがとうってもらうのは、私はするべきことじゃないなと思って。

 あと『これ重たかったけど片付けてあげたで』とか言うとな、向こうも気を遣うんですよ。だからそれは絶対しない」

10年前のボランティアとの決定的な違い

 10年前と同じ、益城町での地震被害。しかし当時とは決定的に変わったことがある。

「俺も年取ったなと思う。本当ですよ。10年前やったら、このぐらいの入れ物にぎっしりモノが入っとるとしたら、ガッとかついで持って車に積み込めたけど、今の自分は無理だなということはあります」

 できるかもしれない、と思う瞬間もある。それでも、手は出さない。何度も取材してきた記者が初めて聞いた尾畠さんの弱音だった。

「今は頑張ればできるんかもわからんけど、もうしません。娘の顔がパッと浮かぶんです。これを無理して万が一のことがあったら、娘からボロクソ怒られるなと思ってね」

 現場で最も大切にしているのは、自分の身を守ることだ。

「向こうで手を切った、足を切ったってなると、救急車呼んだり薬もらったりすることになるから。災害に遭われた方がよろこんでくれて、こっちが無傷で作業終わったら、それがもう一番。ものには限度というのがあるから、限度ギリギリになるよりも、何ミリでもいいから手前でやめることです」

 2週間の活動を終えた今、胸に残っているのは高齢の被災者たちの姿だ。

「気の毒やなって思いましたね。この高齢のお姉さん、こんな地震がなかったら、もうちょっと楽に穏やかに暮らせていたのになあって。そう思うとやっぱ胸が熱くなるわ」

 尾畠さんの9月は予定が詰まっている。病院で人間ドック、2か月に1回の眼科検査。それでも、頭の中はすでに益城町に向いている。

「午前中で検査(人間ドック)を終えるからな。12時に終われば、4時ぐらいには向こうに着くと思うんです。それで寝て起て、4日間は向こうでボランティアできますもんね。うん、それをしようかな」

 ただし、最終決定権は自分にはないと笑う。

「娘に相談してみないとね。娘が『お父さんそれはもうやめなさい』って言ったら、行くのやめようかな」

 衰えを認めても、困っている人の役に立ちたいという想いは熱さを保ったままだった。

(了。前編から読む)