「下着をつけずに電車で登校」「保健室で上半身裸に…」胸の大きさが注目され→人気グラドルになった大原かおり(50)が語る、芸能界入りの“きっかけ”
今年5月20日に、デビュー30周年を記念した22年ぶりとなる写真集『キケンなカオリ♡』を発売した大原かおりさん(50)。1990年代半ばにグラビアアイドルとして一世を風靡し、『出動!ミニスカポリス』『ギルガメッシュないと』(ともにテレビ東京)などに出演していた。現在は実業家としても活躍している。
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幼少期は恥ずかしがり屋だったという彼女はなぜ、テレビで人一倍笑いを取りたがる明るいキャラクターになったのか。スカウトマンと社長から浴びせられた暴言、Hカップならではの苦労──人気グラドルになるまでの軌跡を聞いた。(全5回の1回目/2回目に続く)

大原かおりさん ©細田忠/文藝春秋
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恥ずかしがり屋だった少女時代
--大原さん、本日はよろしくお願いします。生い立ちからお聞きしたいんですけど、生まれは東京都八王子市ですね。
大原かおりさん(以下、大原) 八王子で生まれて、日野市で両親が八百屋さんをやることになったので、2歳から19歳までは日野市に住んでいました。ただ店の目の前にスーパーができてしまい……お店を閉めることになり、それからは父も母も別の仕事をしていました。
--子どものころってどんな子でした?
大原 今とはイメージが全然違うんですが、すごくシャイで恥ずかしがり屋でした。友達はすごく多くて、普段はみんなの中心で笑いを取っていたにもかかわらず、人前に立って自己紹介をする時などは赤面してしまっていました。
教室でみんなの方を向いて最後まで話せず、しゃがんで「恥ずかしいから、もう話せません」という感じでした。
--じゃあタレントになろうなんて思ったこともない?
大原 全くないです。学校の行き帰りにお地蔵さんがあって、中学生の頃にそのお地蔵さんに「もし素敵な人に告白されるときは、暗いところでされますように」とお願いしていました。
赤面症がばれないようにと日焼けサロンに
--暗ければ赤面しちゃうのがバレないからですね(笑)。
大原 そうです(笑)。美容室に行って、美容師さんにいろいろ質問されると、恥ずかしくて話せなくなってしまうくらい、本当にシャイな子だったんですよ。
私は20歳で芸能界デビューしたので、ずいぶん大人になってからですけど「あの大原がテレビに出始めるなんて、グラビアの写真を撮るなんて」と周りのみんなが驚いたくらいでした。
高校生の時に、赤面症が一番の悩みでどうすれば赤面がばれないかと考えて「日焼けサロンで日焼けをすれば、この赤さもバレづらいんじゃないか」と、厳しかった父に頼み込んだら「じゃあ2回ぐらいならいいよ」と言ってくれたので、そこから日焼けサロンに行くようになりました。
--グラビア時代はかなり日焼けしていましたよね。
大原 あれは海で焼いたり日焼けサロンに行ったりしていました。焼けた方が少しでも細く見えるっていうのがあって、できる限り黒くしていました。海や湖で遊ぶのが好きだったので、プライベートでも普通に遊びに行っていましたし。
「下着をつけずに電車で登校していました」学生時代の知られざる秘話
--グラビア時代はHカップが武器でしたが、いつ頃から胸は大きくなっていたんですか。
大原 中学のころは身長もクラスで1番か2番目に低いくらい、成長が遅かったんですよね。その頃は胸も普通サイズで。下着をつけるのがすごく嫌で、中学2年生か3年生の時でも下着をつけずに電車で登校していました。
体重測定だということを忘れていて、私だけ保健室で上半身裸になってしまったこともありました(笑)。
--えっ、痴漢とか大丈夫でしたか?
大原 私は、痴漢かどうかが匂いで分かるんですよ。「この人、痴漢だな」と思ったら、すごく睨んで、痴漢の手が触れないようにしていたので、最終的にはあまり痴漢に遭わなかったです。
スカウトマンにしつこく声をかけられて…芸能界デビューのきっかけ
--芸能界にはどうやって入ったのでしょうか。
大原 中学の頃から私立の学校に通っていたので、学校の場所的に新宿で遊ぶことが多かったのですが、その頃って今よりもずっとスカウトマンが多くて。芸能事務所なのか、キャバクラなのか、セクシー関係なのかはわからないんですが、毎日のようにスカウトされてました。毎日顔を合わせるものだから、仲良くなったスカウトマンの方もいました。
その中でしつこいスカウトマンがいて「一度だけでいいから事務所に来て社長と会ってほしい」と何度もお願いされたので1回だけ事務所に行ったんです。
そうしたら「露出的にはどこまでできるのか?」と聞かれたので「洋服を着てテレビに出られるのであれば頑張りますが、水着はNGです」などと話していたら、奥から怖い社長さんが出てきて「さっきから聞いてれば、君ぐらいのレベルで服なんかを着て、テレビに出られるわけないじゃないか!」とテーブルを思いっきり叩きながら言われて、怖くて逃げたことがありました。
そんな経験があったんですが、19歳の時に六本木でスカウトされて。その方の繋がりでカメラマンの山岸伸さんを紹介していただき、山岸さんの事務所に行った時に、ちょうど芸能事務所「フィット」の社長さんがタイミング良く来られて。その社長さんがすごくいい方で、親身になって話してくれたので、ここなら安心できるなと思い入りました。
「ちょっと痩せすぎだから、このままじゃ受からない」テレビ出演のために5キロ増量
--グラビアアイドルとして入ったんですか。
大原 事務所としてはそうなんですけど、私としてはモデルになりたいなと思ってました(笑)。
事務所に入った当初、事務所の社長さんから「芸能界の流れや礼儀の勉強の為にも毎日会社に出て事務の仕事をしなさい」と言っていただき月曜から金曜までは原宿にあった事務所で事務員として働いて、仕事が入った時は仕事に行って、事務所にいる時は電話番をして固定給もいただいていました。
できるだけ服を着た仕事をしたいと思っていたんですけど、そんな中で見つけたのが、山田邦子さんが司会を務めていた土曜日のお昼の生放送番組『邦子がタッチ!』(テレビ朝日)のダイエッターズという企画だったんです。
当時はぽっちゃりしていて、事あるごとに事務所の社長に「痩せろ」と言われていたので「私はこの番組に出て痩せたいです」と言ったら、テレビ朝日の方にアポを取ってくださり。
そうしたら「この子はちょっと痩せすぎだから、このままじゃ受からないと思うよ」と言われ、そこからは「かおり、食え、食え、もっと食え」と言って差し入れとか全部私にくれて(笑)。結局5キロ太って合格しました。
「なんかすごい巨乳の子がいる!」と注目されてグラビアデビュー
--大原さんが参加されたのはどんな企画だったんですか。
大原 もともとは秋山実希ちゃんというアイドルに、歌手デビューする前にダイエットしてもらおうという企画だったんですが、全然目標体重に届かなくて。それで「じゃあ20人とダイエットで競わせよう」と、ダイエッターズといわれる20人のぽっちゃり女子と対戦することになったんです。その1人が私です。
朝、テレビ局に行ったらまず体重計に乗って量るんですよ。それで1週間前の体重よりも100グラムでも増えてたらイエローカードを出されて、イエローカードを3回出されたらレッドカードでクビ。番組中は水着を着て、20人がひな壇に座っていました。
秋山実希ちゃんはグラビアもやっていて胸も大きくて、私も巨乳じゃないですか? 対戦相手としてちょうど良いからと、よくコーナーでも対決して目立たせてもらえたんですよ。そうすると「なんかすごい巨乳の子がいる!」と徐々にメディアの人に取材してもらうようになって、そこからグラビアの仕事につながっていきました。
胸が大きすぎて着られる水着がなくて…
--今でも胸が大きい人は下着や水着がなくて困りますが、グラビアをやられていた1990年代半ばだと相当に大変だったのではないですか。
大原 困りました。そのころは本当に自分に合う水着がなくて。「宣材写真を撮るから水着を買っておいで」と事務所の人に言われるんですが、近場の店にはそんな大きなサイズはないですし、まだインターネットも普及していないのでネット通販もないんです。
唯一、海外サイズの水着を取り扱っている店が湘南にあったんですけど、上が大きいと下も大きいサイズになってしまって。なので、下の水着を自分で縫って、サイズが合うようにして穿いていました。あと、姉が海外に行った時に買ってきた水着がいくつかあって、姉も巨乳だったのでその水着を借りてました。
--それは相当なご苦労ですね。一方で当時は出版社もお金があったので、グラビア撮影ではいろいろな場所に行けたのではないですか。
大原 最初の撮影はサイパンでしたね。初めての撮影は「ヤングサンデー」だったんですけど、まだ1人じゃ表紙は弱いからって桜庭あつこちゃんとツーショットでの表紙でした。ただ、その号がかなり売れてくれて、それからグラビアのお仕事をいっぱいいただくようになりました。
--もともと恥ずかしがり屋の大原さんですが、水着の仕事はやってみると楽しいものでしたか?
大原 いや、もうね、ずっと恥ずかしくて。カメラの前で堂々とできないんですよ。だから当時の写真は全部照れた顔をしています(笑)。
もっと上手だったら良かったのにと今になって思います。グラビアももっと堂々としていたら、私自身、もっと売れていたかもしれないって。
撮影=細田忠/文藝春秋
〈「真冬の川で脱がされ、水着姿にさせられ…」“今だったありえない”過酷ロケでカラダを張り続け…人気グラドル・大原かおり(50)が、それでも楽しかったワケ〉へ続く
(徳重 龍徳)
