「水着のパッドに札束が…」16歳で大手サラリーマン並の月収を稼いでいた人気グラドルが、デスマッチのリングに上がるレスラーになった“意外なきっかけ”とは
〈「身体を刻めば関心を持ってもらえた」…現役プロレスラー杏ちゃむが明かす“デスマッチ”を恐れなくなった“凄絶な生い立ち”〉から続く
「流血天使」こと杏ちゃむさんが女子プロレスラーとしてデビューしてから8年。いまやハードな流血試合もこなす、正真正銘のデスマッチレスラーだ。
【閲覧注意】 リング上で信じられないほどの傷を負いながら戦う姿、打って変わってプライベートのかわいらしい姿…“ギャップが激しすぎる”杏ちゃむの写真を一気に見る
しかし彼女の前職は、大金を稼ぐ人気グラビアアイドル。かつての最大の武器であった美貌と曲線美を血に染めてまで、彼女が過酷なリングのうえで突き進む理由とは。

©ニット・チ・ダルマ
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水着のパッドに札束…グラドル時代のリアル
--ニュージーランド留学から戻ったあと、地元・長野県を出て上京されます。どうやってグラビアのお仕事に繋がるのでしょうか。
杏ちゃむ 現地で高校生は1回やったし、高校に行かなくてもいいやと思っていて美容に興味があったので、東京の専門学校に入学したんです。学校でできた友人たちと原宿に繰り出したとき、スカウトされたのがグラビアのきっかけですね。
--芸能界に怖さは感じませんでしたか。
杏ちゃむ 「何でもやってやろう」くらいの気持ちでした。当時16歳で、精神的に実家を頼ることを諦めていた私にとって、あまり「怖い」と感じるものはなかったです。
--撮影会なども頻繁だったと思います。お給料的にはどうでしたか。
杏ちゃむ 具体的な金額は差し控えたいのですが、大手の優良上場企業の正社員くらいは稼いでいました。当時は未成年の水着もOKでしたからね。
それに、撮影者とモデルが合意すれば、撮影者が持ち込んだ水着を着て撮影ができるんです。で、手渡された水着のパッドのところに札束があったり……そういう“心遣い”も含めて稼いでいました。
一般企業に就職するも…
--でもそのあと、グラビアを辞めて一般企業に就職しますよね。
杏ちゃむ はい。父もいい顔をしていなかったですし、母の切実な要望もあって。ただその会社はいわゆるブラック企業で、入社2ヶ月で見切りをつけました。私がいた2ヶ月間で、同期が3人飛びました。辞表を提出しても受け取ってくれないので、結果として私も飛ぶしかありませんでした。
--どんな環境だったんですか。
杏ちゃむ 一列に並ばされ、社訓を言わされるんですが、上司が「声が小さい」と思った人がいたらすぐに振り出しに戻って言わされるんです。無駄な飲み会は多く、寝れないし帰れない。カプセルホテルに泊まることもありました。それに、3ヶ月の研修期間中は給料が一切支払われないんです。2ヶ月で辞めた私は、一度も給料をもらえませんでした。辞意を伝えても認めてもらえないので、母にお願いして電話をしてもらいました。でも上司は母にさえ食って掛かったようで、埒が明かず、結局“バックレ”た形になってしまいましたね。
--ブラック企業を辞めた後、両親は一般企業への就職を求めてこなかったのでしょうか。
杏ちゃむ もちろん両親としては「ちゃんと就職してほしい」と思っていたと思います。ただ、退職後に私が芸能の仕事を再開したときも「少しの休養期間だろう」と見守ってくれていましたし、最終的には「自分でちゃんと生活できるならどんな仕事でもいい」と言ってくれたんです。
同業者からの心無い言葉をバネに
--そこからどうやってプロレスラーに?
杏ちゃむ 地元・長野県でプロレスの試合があると聞いて観に行くと、そこで「プロレスが好きならやってみない?」と誘ってもらえて。東京で活動していることを伝えると、関係性のある団体を紹介してもらえたんです。
--過去に格闘技の経験はあったんですか?
杏ちゃむ 9歳の頃には空手を、17歳くらいの頃にはキックボクシングとムエタイをやっていましたね。ただ、入門から2週間くらいでプロレスのデビュー戦が決まってしまったのには驚きました……。チラシで自分のデビュー戦を知ったほど急で(笑)。毎日8時間くらい練習しましたが、そんな付け焼き刃でどうにかなるわけもなく、散々な試合をしてしまいました。
--グラドルとしての知名度ゆえに、実力に見合わない人気があって、いじめられたりは……。
杏ちゃむ 厳しい意見を言われる場面は多かったですね。グラビアアイドルだから呼ばれたような試合もありましたし。厳しい練習を続けてきた人からみれば、ぽっと出が何らの基礎もなく試合に出たら面白くないのは当然だと思います。
同業者から、侮蔑を込めて「そういう枠の子でしょ?」「ミックスドファイト(男女混合で行われる試合形式)でしか需要なくなっちゃうよ」と言われたこともあります。
--どのように覚悟を示したのですか。
杏ちゃむ グラビアアイドルを辞めました。練習と両立できるアルバイトは少なく、ある程度のお金がもらえて応援もしてもらえるグラビアの仕事は好きでした。でも、色気で売りたいわけじゃないですし、周囲のレスラーからの反応も理解はでき、本当にやりたい道だけを極めようと思えました。
亡き父は「娘はプロレスラー」と誇っていた
--主戦場とするデスマッチは非常に危険を伴います。ご家族はどうおっしゃっていますか。
杏ちゃむ 伝えていません。レスラーになったことまでは知っていますが。母が一度試合を見に来たとき、ボロボロにやられている私の姿を見て、最前列から「いやぁぁぁぁぁ」とすごい声を出して逃げ帰ってしまったことがありました。
--デスマッチをやっていることは知らないんですね。
杏ちゃむ そうですね。一度、電流爆破のデスマッチをやって、最後は病院送りになりました。エナメルは燃えやすいのでコスチューム発注の際に素材として使わないでほしい旨を伝えていたのですが、なぜか使用されていて、大火傷を負ったんです。
--防火服の素材に精通しておられるお父様は何かおっしゃっていましたか。
杏ちゃむ いえ、父はグラビアアイドルさえ最初は認めていない堅い考えだったので、伝えていませんでした。ただなぜか、プロレスをやっていることを知ってくれていたみたいです。
父はつい先日他界したのですが、看護師さんに「娘はプロレスラーだから、すぐに来られるかわからない」と言っていたんです。
--その言葉を知らされてどのように感じたのでしょう。
杏ちゃむ すべてを認めてもらえたとは思っていませんが、私の活動をちゃんと知ってくれていて、なんだかんだ応援もしてくれていたからこそ出た言葉なんだな……と感じました。それを聞いたときは、素直に嬉しかったですね。
〈口に安全ピン、裸足で画鋲、朝起きるとベッドが…元グラドルのデスマッチ女子・杏ちゃむが語った“普通じゃない日常”〉へ続く
(黒島 暁生)
