ネズミも「いろんな気持ち」で鳴いていた 若手研究者の気づきから定説に“新提案”
動物たちも、私たち人間のように「モヤモヤする」「なんとなく寂しい」といった複雑な感情を持っているのでしょうか?
ラット(ネズミ)は、人間の耳には聞こえない「超音波」を使ってコミュニケーションをとっています。これまで、彼らの音声の研究では、「ポジティブな時の声」と「ネガティブな時の声」の大きく2種類に分類する手法が世界的なスタンダードでした。
しかし日本の科学者らの最新の研究で、その「2つの分類」の枠には到底収まらない、未知の多様な鳴き声が存在していたことが明らかになりました。
この発見の裏には、世代を超えた研究者たちのつながりと、ある素朴な疑問から始まったドラマがありました。
「目立つ2つの声」が定説化していたラットは人間の耳には聞こえない「超音波」を使ってコミュニケーションをとっています。
過去数十年の研究で、ラットは状況に応じて主に2種類の声を使い分けていることが分かっていました。
「嬉しい・楽しい」時などの声は、50キロヘルツ帯で、仲間とじゃれ合う時などに発する「高くて短い」声。これは人間の笑い声に近いものとも考えられています。
一方、「悲しい・怖い」時の声は、22キロヘルツ帯で、天敵が近くにいる時や痛い時などに発する「低くて長い」声です。これは警告や苦痛を表すものです。
「高い声=快」「低い声=不快」
この分かりやすい二分法は、感情研究のモデルとして非常に便利だったため、有用な標準指標として研究の世界で頻繁に使用されてきました。
研究者たちも、「ネズミの感情が“快”と“不快”2種類しかない」と考えていたわけではありません。
ただ、この2つの鳴き声があまりにも顕著に観察されるため、音声の分類方法として定着し、「ラットの感情を測る手堅く便利な指標」として世界中で広く用いられてきたのです。
「“2つの枠”に分類するには、無理があるのでは」若手研究者の指摘しかし、2024年1月に鹿児島大学で開かれたマウスやラットなど「げっ歯類」の音声の研究者らが集まる「超音波発声研究会」に出席した大学院生らによって、ある鋭い指摘がなされました。
「世界中の論文をよく読むと、声の高さを表す周波数の値が微妙にばらついていませんか? 50kHzや22kHzという“2つの枠”に分類するには、無理がある値も多い気がします」
この気づきを持ち込んだのが、のちに論文の共同筆頭著者となる和田玲央さん(東京大学大学院 博士課程)や博多屋汐美さん(日本学術振興会特別研究員PD/琉球大学)ら若手研究者たちでした。
若手研究者たちは、ラットの超音波発声について自主的な勉強会を開く中で、2つの枠に分類しにくい声が、過去の論文に複数例報告されていることに気づき、それらに関する体系的な調査を試みていました。
「声のばらつき」系統立てて調べた人は誰もいなかった実は、多くの研究者も経験的に「ラットの声にある“ばらつき”」の存在は知っていたといいます。しかし、それを系統立てて調べた人は誰もいなかったのです。
研究会に参加していた日本を代表する研究者・岡ノ谷一夫教授(帝京大学・動物心理学)をはじめ、各世代の研究者たちは、和田さんら若手研究者の指摘に、「これは、きちんと調べるべき課題かもしれない」と心を動かされたといいます。
ちょうどその頃、共同研究者である岡部祥太助教(千葉大学)らが、ラットの「嫉妬」や「孤立へのストレス」を表すと考えられる“31キロヘルツ”という新しい声を報告した直後でもありました。
「50kHzの“快”と、22kHzの“不快”という顕著な2つの声の分類だけにしばられていては、本来ラットが発している声が表す“感情”を見落としてしまう」という危機感が、世代を超えた研究者たちの間で共有されたのです。
417報を調査しなおすと…2000年を境に起きた「科学の罠」研究者たちは、これまでラットの声を研究した「過去の論文」に含まれているデータを洗い直しました。産業技術総合研究所(産総研)の橘亮輔主任研究員がリードする形で、共同研究者たちは手分けをして、417報もの膨大な先行研究の調査を開始しました。
すると、グラフ化されたデータから興味深いデータが浮かび上がりました。
1990年代までは、研究者たちは実際にラットが鳴いた「実測値」を細かく論文に記載していました。しかし、2000年を過ぎたあたりから、判で押したように「22kHz」(不快)か「50kHz」(快)としか書かれなくなっていたのです。つまり、実際の声の高さに関係なく、いつの間にか「22kHzか50kHz」という数字が「便利な分類ラベル」として定着してしまい、中間の声の存在がデータ上から見えにくくなっていたという実態が明らかになったのです。
先入観を取り払ってすべてのデータをマッピングし直すと、そこには従来の2つの箱には収まらない「第3のグループ」の声がはっきりと存在していました。
実際の超音波で見えてきた複雑な感情従来の「高くて短い(50kHz・約30ミリ秒)」と「低くて長い(22kHz・約900ミリ秒)」に対し、今回の分析によって「中くらいの高さで、中くらいの長さ(約34kHz・約86ミリ秒)」のクラスター(集団)が、統計的にくっきりと検出されました。
「嫉妬(31kHz)」や「食事(40kHz)」だけでなく、「睡眠を邪魔されたとき」や「ちょっとした不快感(短い22kHz)」など、私たちが日常で感じるような小さな環境の変化や、単純に「快」か「不快」かでは整理しきれないような状況のなかで、これらの第3の声が発せられていたことも分かりました。
「中間の声」の性質を持っているのにもかかわらず、研究者が“快”と“不快”に機械的に分類したために、論文中では従来の「50kHzの声」や「22kHzの声」というラベルのまま発表してしまっていたケースも数件見つかりました。
人間の先入観が、知らず知らずのうちにデータを既存の枠へ押し込めていたのです。
分析結果から導かれた2つの重要な結論今回の分析結果から、研究チームは大きく2つの重要な結論を導き出しました。
1つ目は、ラットの感情は「連続体」であるということ。人間が「泣くほどではないけれど寂しい」「少しだけイライラする」といった複雑な感情のグラデーションを持っているように、ラットの感情もポジティブとネガティブの間で、途切れることなくつながっている可能性が高いという事実です。
2つ目は、科学界への指摘です。長年、研究者たちが「50kHz」と「22kHz」の2種類のラベル付けに頼りすぎたため、実際の多様な鳴き声が無理やりどちらかの箱に押し込まれ、動物の複雑な感情が見えなくなっていました。
チームのひとり、千葉大学の岡部助教は、過去のデータを調べなおした今回の研究の根底には、ありのままのデータの意味を、慎重に考えたいという思いがあったといいます。
「動物たちは、様々な感情を表出しているのかもしれません。人間の都合で動物の声を何かの枠に当てはめて考えず、その声や行動を丁寧に見つめることが、動物たちをより深く理解する手がかりになるのだと思います。 」(千葉大学 岡部祥太助教)
「動物たちの世界に無心に耳をすますこと」今回の研究は、ラットの鳴き声に、これまで考えられていた以上に複雑な感情があることを示すものでした。
一方で、研究チームは、このことを人間の「感情」や「言葉」と同じように見なす過度な擬人化や拡大解釈は避けるべきだと警鐘を鳴らしています。動物を人間の枠組みで捉えすぎることで、かえって動物本来の姿が見えにくくするおそれがあるからです。
動物の音声コミュニケーション研究の第一人者で、今回の研究にも関わった岡ノ谷一夫教授は、「人間の言葉で動物のコミュニケーションを切り分けるのではなく、動物たちの世界に無心に耳をすますことで、彼らの営みが聴こえてくるはずです」 と強調しています。
ラットの小さな鳴き声の「定説」を見直したことで得られた今回の発見は、私たちに「分かったつもりになることの危うさ」と「常に問い続けることの大切さ」を教えてくれています。
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【論文情報】 本研究成果は、脳と行動に関する国際学術誌『Behavioural Brain Research』に掲載されました。
論文タイトル: Beyond dichotomy: Diversity of ultrasonic vocalizations in rats 著者: Wada, R., Hakataya, S., Tachibana, R. O., Shiramatsu, T. I., Ito, T., Kanno, K., Koshiishi, R., Matsumoto, J., Saito, Y., Toya, G., Okabe, S., & Okanoya, K. (2026). DOI: 10.1016/j.bbr.2026.116232・
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