妻子を残し、当てもなくギリシャへ…南アフリカ唯一の「日本人ワイン醸造家」が39歳で始めた"無職の旅"の結末
■「ワイン新興国」南アフリカで高評価
「こんなところで日本人が何してるんだ?」
南アフリカで唯一の日本人醸造家・佐藤圭史(けいじ)さんは、のちの師匠となるアディ・バーデンホーストさんのワイナリーを初めて訪れたとき、こう声をかけられた。
アディさんにとって、佐藤さんは地球のほぼ裏側の国から突如やってきた男。驚くのも無理はない。

「南アフリカのワイン」と言われてピンとこない人もいるだろう。南アフリカでワイン造りが始まったのは1659年。ヨーロッパ圏以外の「ワイン新興国」のなかでは、実は最も長い歴史をもつ。
筆者が取材直後に飲んだ佐藤さんの白ワイン「Cage Chenin Blanc」は、高級な搾りたてのマスカットジュースかと思うほど飲みやすかった。口の中が少し熱くなる感覚からお酒であることは分かるものの、アルコールのつんとした嫌な感じがまったくない。

佐藤さんの名前「圭史(けいじ)」を冠したブランド「Cage Wine」のワインは、南アフリカの権威あるワイン格付け本「Platter’s Wine Guide」で4年連続4つ星を獲得している。900以上のワインメーカー、8000以上のワインのなかで上位2割に入る評価だ。
2027年に50歳を迎える佐藤さんのキャリアは、日産自動車の海外事業部から始まった。幾多の転機を経て、大学時代の記憶を頼りにワインの世界に足を踏み入れたという。
■偏差値27で目指したアメリカ留学
1996年。19歳で、佐藤さんはアメリカの名門・オレゴン大学(University of Oregon)のEMS(エクササイズ・ムーブ・サイエンス)学部に入学した。スポーツ医学に興味をもち、トレーナーになるための知識や技術を学びたかったからだ。

佐藤さんは地元・埼玉で小2からサッカーを始めた。少年団のコーチや東海大学菅生高校在学中にお世話になった整体師から理論的な体の使い方を学んだという。日本では取得できない、全米アスレティック協会の「NATA」という資格取得を目指していた。
「僕のダメなところなんですけど、興味があることしかできないんですよ。サッカーばかりしていて、偏差値は27とか。でも、どうしてもアメリカに行きたくて」
浪人し、アルバイトでお金を貯めながら勉強に励む日々。当初は留学を反対していた父親も「アメリカに行って死んでこい」と佐藤さんを鼓舞するようになり、5年の期限付きで学費を出してくれた。
■唯一の楽しみはワインとハンバーガー
オレゴン大学の周辺には、アメリカの代表的なワインの産地であるウィラメット・ヴァレーをはじめ、複数の“テロワール(ブドウが育つ土地)”が存在する。大学に入学してからいわゆる安酒ばかり飲んでいた佐藤さんは、ある日、友人の兄に連れられて初めてワイナリーを訪れた。
テラスでワインを飲み、ハンバーガーを頬張る。組み合わせがなんともアメリカらしい。1杯100mlをきっちり注いでくれて、3杯で5ドル。当時はワイナリーを訪ねるアジア人が珍しかったのか、佐藤さんたちがワインを飲む様子を面白がり、ワイナリーによってはタダで飲ませてくれるところもあったという。
お金のない大学生ながら、本場のワインを堪能できた。白に赤にロゼ。ワインの名称はよく分からなかったが、どれもおいしい。ワイナリーを3軒ハシゴすれば、思いっきり酔っ払えた。大学の勉強が忙しかったこともあり、週に一度、土曜日にワイナリーを訪ねるのが唯一の楽しみになった。
「安い・うまい・楽しい」。ワインに対するポジティブな記憶が佐藤さんの心に深く刻まれた。
■ファックスを送り続けた1年間
最先端のスポーツ医学を学ぶためにはるばる海を渡った佐藤さん。しかし、実は大学入学後すぐに専攻を変更している。取得しようと思っていた民間資格NATAでは、日本でスポーツトレーナーとして活動するのは難しいことがわかったからだ。
そこで、オレゴン大学でも評価が高いジャーナリズム学部に移り、両親に内緒でメディア、報道、広告などを学んだ。猛勉強の末、父親と約束した丸5年でオレゴン大学を卒業。24歳の夏だった。
帰国後、2001年9月に日産自動車に就職。ジャーナリズム学部での学びを活かし、広告部門もしくはマーケティング部門への配属を希望した。
「日産のCMは洗練されていてかっこよかった。アメリカでも評価されていました」
日産自動車は2000年6月にカルロス・ゴーン氏が社長に就任し、低迷していた業績をV字回復させていた。勢いに乗っている時期に本社採用が決まり、佐藤さんは「めちゃくちゃうれしかった」と語る。
しかし、期待とは裏腹に、配属されたのは海外事業部のイラン担当だった。新人の佐藤さんの仕事は、毎日ひたすらファックスを送ること。当時すでにビジネスシーンでメールが普及していたが、法的証拠能力の観点から一部の業務にはまだファックスが利用されていた。
ファックスを送り続けること自体は苦ではない。しかし、取引先との会食で現地特有の商習慣を知ってから、決められた業務を繰り返すだけでは物事を前へ進められないと感じるようになった。新人の立場では、昔ながらのやり方をすぐに変えるのは難しい。自分が思い描いていた仕事と、目の前の仕事のギャップがどんどん広がっていった。
「俺は何やってるんだろう。クソ意味ねえことしてるなって思いました」
■厳しくて強い父の教え
入社からちょうど丸1年が経つ2002年8月末日、佐藤さんは日産自動車を退職。得意先との会食からわずか1カ月後だった。
父親は子どもの頃から厳しかったが、佐藤さんの退職をとがめることはなかった。
「父は『社会に出たら、テメエの力だけで生きていけ』とよく言っていました。いま立っているのは、自分の選択が重なって辿り着いた場所。でも、それをみんな忘れて、文句を言ったり世の中のせいにしたりする。『お前は絶対そういう人間にはなるな』って」
だからこそ、佐藤さんは、自ら選んで入った会社の愚痴を言いながら働き続けるのは避けたかったのだろう。
佐藤さんの父親は、フリーアナウンサー・古舘伊知郎さんのマネジメントを担う古舘プロジェクトの会長(当時は社長)の佐藤孝さん。古舘さんが独立するタイミングで一緒に会社を立ち上げ、苦楽をともにしてきた人物だ。
佐藤さんは、父から言われた「佐藤商店であれ」という言葉を大切にしている。
「たとえ企業に入るとしても、いつもそういうマインドでいろと言われていました。なぜ自分がそこにいて、何のために働くか、常に考えて行動しろって」
■年収が半分になっても働き続けたが…
次の仕事をどうするか決めていなかった佐藤さん。父親の会社にフリーランスとして所属していたテレビディレクターの後藤和夫さんのもとで働き始めた。秘境やジャングルなどへ出向いたドキュメンタリー番組の制作に携わることになると、大学のジャーナリズム学部での学びも役に立った。
2002年の冬にパレスチナへ飛び、自爆攻撃で弟を亡くした青年が難民キャンプの少年のために壁画を完成させるドキュメンタリーを撮影した。この番組は、2003年6月にテレビ朝日系列で全国放送されている。
日産自動車時代と比べて半分になった年収も、映像業界でがむしゃらに働いているうちに同程度まで回復。誰もが知る報道番組にも携わった。
しかし、2005年のある日、佐藤さんは仕事から逃げ出した。機材や小道具を積んだ制作車を現場へ届けるのに20分遅刻した後、文字通りそのまま姿を消したという。
「自分が本当は何がしたいのか分からなくなっていました。それに、昔は人に相談できない性格で。誰にも頼らず強くいなきゃという気持ちが大きすぎて、つぶれてしまいました」
罪悪感にさいなまれる佐藤さんに「終わったことは仕方ない。とりあえず遊びにこいよ」と声をかけてくれた先輩がいた。
先輩とはよく食事をし、ときには佐藤さんが料理を振る舞ったり見様見真似で魚を捌いたりした。「結構いい顔しながらやってるよね。味付けもいいしな」という先輩の言葉がうれしくて、先輩の知り合いの飲食店でアルバイトを開始。こうして佐藤さんは飲食業界に関わり始めた。
■32歳で自分の店をもつが、1年目は赤字
興味をもったことは突き詰めたくなる佐藤さんは、飲食店でアルバイトに打ち込むなかで「自分の店をもつ」という目標をもった。割烹、イタリアン、ビストロなどさまざまな店で調理の経験を積み、ノウハウを習得。2009年、32歳のときに居酒屋を始めた。

1年目の売り上げは2000万円だったが、家賃や経費を差し引くと赤字。突破口を探すなかで、ふと大学時代のオレゴンワインの思い出が蘇る。
日本でワインといえばフランス、イタリア、チリあたりが主流。オレゴン産のワインを置いている店は少ないと佐藤さん自身が感じていたため、2011年、東京で唯一のオレゴンワイン専門店「Soyokaze」としてリニューアル。店が軌道に乗り、3800万円を売り上げた年もあった。
しかし、繁盛しているにもかかわらず、佐藤さんは2016年に店を閉める。なぜか?
■勝てない世界で負けないために
リニューアルの翌年、大阪のレストラン兼ワインバー「CONEXTION(コネクション)」のオーナー・藤次洋貴さんと出会った。藤次さんは「ザ・リッツ・カールトン大阪」のメインダイニングで修行を積んだカリスマソムリエ。東京で唯一のオレゴンワイン専門店の存在を聞きつけ、出張の際にわざわざ立ち寄ってくれたのだという。

その際、藤次さんからオレゴンワインについてたくさんの話を聞き、佐藤さんは「自分より詳しい人がいるのか」と衝撃を受けた。
それを機に、ワインの知識を深めるのに躍起になった。国内外のワイナリーを訪れ、浴びるようにワインをテイスティング。店を経営しながら勉強に励み、2014年にソムリエの資格を一発合格で取得した。
しかし、それでも満足できなかった。
「20代はまったく違う業界にいて、食やワインに関する基礎がないという引け目もありました。シェフなのに、ソムリエなのに、本場のヨーロッパで学んだ経験がないのがコンプレックスで」
勝てないとしても、負けたくない。豊富な知識・技術・経験をもつ玄人たちと肩を並べてやっていくために何が必要か、ひたすら考えるようになった。「佐藤商店」であり続けるには、自分だけの強みをもたなければならない。
■39歳で本場の食とワインを知る旅へ
2016年6月に店を閉めた後、39歳の佐藤さんは1人でギリシャに向かった。ヨーロッパを放浪し、本場の食文化に触れながらワインの産地を巡った。
「食とワインをもっと知り、自分のコンプレックスを払拭するための旅です。あわよくば、ハーベストインターン(醸造体験)もして、ワイン造りの一連の流れを学びたいと思っていました。現地でテイスティングして食事して、ワインの醸造までやったシェフやソムリエなんていないだろうって。3年くらいかけてそこまでやったら、自分の強みになるはずだと」
たとえ醸造を経験できなくても、ワイナリーを見学してワインメーカーと交流すればコネクションになる。だからこそ、必ずキャリアアップできるという確信があった。
実は、佐藤さんは自分の店を開いた1年後に結婚している。繁盛していた店を閉め、妻子を日本に残して当てもない旅に出るという決断から並々ならぬ覚悟を感じ取れる。
ギリシャからヨーロッパに入ること以外、計画らしい計画はない。クロアチア、スイス、イタリア、フランス、ドイツ、ロンドンなどへ行き、ローカルな店を訪ねてひたすら飲み歩いた。気候や土地の特徴を肌で感じながら、それぞれの食べ物やワインについて理解を深めていった。
■「頭をぶん殴られたような衝撃」
ヨーロッパのあちこちへ行って2カ月が経った頃、佐藤さんは南アフリカへ向かった。決して行き当たりばったりではない。

経営していたオレゴンワイン専門店では、オレゴン産以外も1割程度扱っていた。他のワインと飲み比べたいという客の要望に応えるためだ。
その1割のなかで、南アフリカ産の「Craven Wines」や「A.A. Badenhorst」などのワインを扱っていた。南アフリカワインを飲んだときの優雅で上品なやさしい飲み口が、佐藤さんにとって「頭をぶん殴られたような衝撃」だったという。
1659年から生産が始まった南アフリカのワインは1990年代後半に品質が劇的に向上し、現在は世界で高く評価されている。

日本から南アフリカまでは24時間かかるが、ヨーロッパからなら10時間程度。ワインのためにヨーロッパを旅するなら、どうしても南アフリカまで足を伸ばしたかった。
■わずか数分の会話で人生が変わった
南アフリカでは、20軒以上のワイナリーを訪問。ある日、目星をつけていたワイナリーの1つ「A.Aバーデンホーストワイナリー」にメールを送ると、まるで気心知れた友人のように「いつでも来い」と返ってきた。
早速訪問した佐藤さんを出迎えてくれたのは、当主のアディ・バーデンホーストさん。南アフリカを代表する醸造家で、1990年代後半、南アフリカワインのあり方を覆した一連の取り組み「スワートランド・レボリューション」を牽引した主要人物の1人だ。南アフリカのワインが世界から評価されるきっかけを作った張本人である。
そのアディさんが「こんなところで日本人が何してるんだ?」と言ったのは、冒頭のとおり。
佐藤さんと一緒に写っている写真を見ると、アディさんは口まわり、あご、もみあげに豊かなヒゲを蓄えた男性だ。表情から茶目っ気がありそうな雰囲気も伝わってくる。

アディさんはワインではなく、タバコとコーヒーで佐藤さんをもてなした。
「『僕はシェフでソムリエだけど、旅へ出る前に自分の店を閉めてきた。ワインについてもっと知りたい』と、自分のことをありのまま話しました。思わず『ワインを造りたい』と口走ったら、アディが『ここでワインを造れよ』って言ったんですよ」
心の中で「マジ⁉」と叫ぶ佐藤さん。かたい握手を交わした後、アディさんはすぐにどこかへ行ってしまった。2人が話した時間は数分足らず。
当時アシスタントワインメーカーで、現在の兄弟子にあたるヤスパーさんは「日本人と働けるなんて超かっこいい」と興奮していた。ドラゴンボールのファンらしい。続けて「ケイジ、オマエはラッキーだよ」と言った。
帰りの道中、車を運転しながら佐藤さんは頭の中でぐるぐる考えた。アディさんが本気なのかイマイチ分からない。
■ワイン1000本分のブドウ畑
ワインの世界において、アディさんは見上げても見えないほど上の存在。二つ返事でワイン造りを許されても、信じていいのか分からない。「アフリカン・ジョーク」と言われたらそれまでだ。
しかし、少しでもチャンスがあるなら逃すわけにはいかない。翌日、佐藤さんが思い切ってアディさんに電話をかけると「興味があるなら、明日の朝6時にワイナリーに来い」と言われた。

ブドウ畑に向かいながらワインについてさまざまな話をする。そのなかで、アディさんは「まずは1000本だ」と言った。佐藤さんはアディさんのワイン造りを手伝う代わりに、ワイン1000本分の畑を借り受けることになった。
南半球の南アフリカでブドウを収穫するのは1月。再び戻ってくると約束し、佐藤さんは2016年11月に日本へ帰国した。
■1年の半分は南アフリカに滞在
2017年1月15日。佐藤さんはあと2週間で40歳になるタイミングで南アフリカへ戻り、アディさんとヤスパーさんのほか、出稼ぎ労働者10人弱や地元の労働者2人と一緒にひたすら作業した。

ワイナリーの多くはブドウの栽培を農家に任せ、実ったブドウを購入してワインを造っている。ただし、ブドウの収穫は自分たちでおこなう。ワイン造りを始めるには、収穫前にさまざまな準備を済ませなければならない。数えきれないほどたくさんの樽を転がして朝から夕方まで洗う日もあれば、タンクに塗ってある樹脂をひたすら剥がす日もあった。

ブドウの糖度が上がって収穫の時期が迫ってきたとき、アディさんは「オマエの畑はどうする? いつやるんだ?」と言った。当然、佐藤さんは何をどうすればいいか分からない。ヤスパーさんについて回り、なんとかワインの醸造を進めた。


1月から3月までは収穫や醸造で忙しい。しかし、ワインを樽に入れた後はしばらく熟成させるため、ずっと南アフリカに滞在し続ける必要はない。澱の処理、ブドウ畑の剪定、ボトリングなどのタイミングに合わせ、佐藤さんは南アフリカと日本を行き来するようになった。
「数カ月に1回は寝かせているワインや畑を見ておかないと。いまも年180日は必ず南アフリカへ行きます」
■2017年から5年で生産量は8倍に
2017年、佐藤さんは1000本のワインを造り上げた。佐藤さんのブランド「Cage Wine」の誕生だ。「Cage」の「C」には南アフリカのケープ地方(Cape)、「A」には師匠のアディさん(Adi)、「G」には自然からの贈り物(Gift)、「E」には地球(Earth)という意味を込めた。
アディさんから借りた畑のブドウの木は、針金を使わずに低く自立させる「ブッシュ・ヴァイン(株仕立て)」と呼ばれる方法で栽培されている。南アフリカワイン特有の味わいは、ブッシュ・ヴァインだからこそ出せるものだ。樹齢が高いブッシュ・ヴァインに実るブドウには、南アフリカの土地の個性が特に凝縮されている。

「Cage Wine」は2018年に1000本、2019年に1600本、2020年に2200本と着々と生産本数を伸ばし、2021年は一気に8100本まで増産した。その背景には、新型コロナウイルスの影がある。
市場が動かず、ワインを輸入するインポーターも身動きが取れない。レストランからの注文も極端に減った。パンデミックによるロックダウンで、そもそも佐藤さん自身が南アフリカに半年以上も足止めされていたという。
世の中全体が行き詰まるなか、アディさんだけは違う方向を見ていた。
「師匠に『増産のチャンスだ』って言われたんですよ。売れない可能性を考えてワインの生産を減らすワインメーカーが多かった。それでブドウが余り、ブドウ農家さんが困っていました。その状況でブドウをたくさん買えば、次の年からも優先して売ってもらえて生産数を長期的に維持できるという話です」
■ターゲットは日本市場
コロナ禍にリスクを取った佐藤さんは、スワートランドの「Langkloof Vineyard」をはじめ、「優良畑」と言われる複数の農家と契約できた。
2022年は1万本、2023年は1万4000本とさらに本数を伸ばし、2024年以降は2万2000本を維持している。小規模生産者から中規模生産者への仲間入りだ。

しかし、ワインを増産できても、売れなければ生き残れない。2022年4月には南アフリカで史上最悪とも言われる洪水も発生し、物流が停止した。
「とにかく自分で動かないといけないと思いました。それで、輸入酒類卸売業免許や酒類販売業免許などを取得し、インポーターさんに頼らないで直接ワインを卸すと決めたんです」
佐藤さんは友人や投資家などから約2000万円を集め、2023年に株式会社Cage Wineを設立。「南アフリカ唯一の日本人醸造家」という肩書きを武器に、「Cage Wine」のターゲットを日本の市場に絞り込んだ。
現在は7割が日本、1割が南アフリカ、数パーセントがそれ以外の国で流通。保管して熟成させるためのワインも1割残している。
興味のあることを見つけるたび「佐藤商店」として主体的に取り組んできた佐藤さん。いまは自分が造ったワインを売り、言葉通りの「商い」をしている。
■「次の、その次の世代のため」に
2017年に生まれた「Cage Wine」は、2027年で10周年を迎える。
「師匠に『ついに10回目の収穫だな』と言われて気付いたんですよね。僕が驚いた顔をしていたら『ケイジは数も数えられないのか?』とゲラゲラ笑われました」

佐藤さんは、株式会社Cage Wineの企業理念として「次の、その次の世代のため」をかかげている。
2026年5月には、樹齢40年以上のブッシュ・ヴァインの古木を未来に残すため、クラウドファンディングで目標の800万円を上回る金額を集めることにも成功した。ブドウ農家と長期契約を結び、ブッシュ・ヴァインの古木を守りながらワイン造りをするという。
いつかは自分のワイナリーをもちたいという夢もあるが、当分はこれまでどおり「A.Aバーデンホーストワイナリー」の設備を借りてワインを造っていく。「1人では限界もあるから」と言いながらも、佐藤さんが歩みを緩める気配はない。
「やらなきゃいけないことをやり続け、止まれないところまできたというのもありますけどね。やりたいことは、まだいろいろあります」
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瀬藤 美季(せとう・みき)
ライター
主なテーマは「人物深掘り」。自分らしさを大切に生きる人々へのインタビューに取り組む。好きな言葉は“みんなちがってみんないい”。1990年生まれ。2児の母。湘南在住。
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(ライター 瀬藤 美季)
