2024年4月、日本赤十字社に入社し、出勤された愛子さま(写真:共同通信社)


 2024年4月に日本赤十字社に就職された愛子さまは、社会人3年目の夏を過ごされている。

 勤務する職場は、日赤の事業局パートナーシップ推進部ボランティア活動推進室「青少年・ボランティア課」。「常勤嘱託職員」として日々の業務に携わりながら、宮中祭祀や園遊会、地方訪問など、皇族としての公務にも真摯に取り組まれている。

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愛子さまの「就職」が皇室に開いた、新たな社会との接点

 今年(2026年)2月、天皇陛下は66歳のお誕生日に際しての記者会見で、愛子さまが勤務される日本赤十字社(以下、日赤)でのお仕事ぶりについてこう答えられた。

「愛子から聞く話は、いわゆる社会で仕事をした経験のない私にとっては、一つ一つが新鮮で、言わば『未知の旅』のように感じられ、とても興味を覚えます」

 一般社会の組織に入り、上司や同僚と共に働いた経験をお持ちでない陛下にとって、職場での出来事を語る愛子さまの様子は、皇室の中に開かれた新しい「社会との窓」そのものだ。天皇陛下が「未知の旅」と話された言葉は、愛子さまとの団らんの中で垣間見る、リアルな社会のありように対して抱いた、率直な気持ちを表されたものだろう。

2026年2月、66歳の誕生日を前に記者会見される天皇陛下(写真:共同通信社)


 天皇陛下にも新鮮な思いを抱かせた愛子さまの「就職」。それは、今後の皇族としての歩みにどのような意味をもたらすのだろうか。愛子さまの公務の軌跡を振り返り、そして雅子さまや紀子さま・佳子さまといった、母娘での歩みを重ね合わせると、そこには単なる行事の引き継ぎを超えた「公務の理想」と、新しい皇族像の芽が見えてくる。

「組織で働く」という体験をされている愛子さまが日赤で具体的にどのような業務を担当されているかについて、公表されている情報は限定的だ。

 宮内庁のホームページでは「常勤嘱託職員」と示されるのみで、日々の細かな仕事内容まで全て明らかにされているわけではない。就職に際し、愛子さまご本人が「ボランティアに関する業務を始め、赤十字の活動に幅広く触れ、新たなことにも挑戦しつつ、さまざまな経験ができれば」と抱負をつづられた通り、過剰な推測は避けるべきだろう。

 しかし、「組織の一員として働いている」という事実は重要だ。

日赤で働く日常が、愛子さまの公務にもたらしている変化

 従来の皇族の公務は、式典への出席や施設訪問、関係者から説明を受けたり、懇談したりすることが中心となるが、一方で、組織で働くことには「毎日の日常」が存在する。

 仕事は決して自分一人では完結せず、周囲と相談し、役割を分担し、他者の事情に配慮しながら、時には思い通りにならない事態にも対処していかなければならない。

 愛子さまが配属された「青少年・ボランティア課」は、ボランティアの育成や研修会の運営、情報誌の編集などを手掛け、青少年赤十字の活動とも深く関わる部署である。青少年のボランティア活動を推進・支援する業務は、夏休み期間中にイベントや研修会が多く重なるため、現場は繁忙を極める。

 しかも、今年は熊本で大地震が発生し、そのフォローで大変な忙しさだろう。皇族というお立場にありながら、多忙な職場環境の中で同僚と協力し、汗を流される日々は、単発の式典出席とは異なる視点で社会を見つめる貴重な機会となっているはずだ。

 実際、天皇陛下も会見の中で、愛子さまが職場で周囲から指導を受け、「皆さんと協力しながら精いっぱい仕事に取り組んでいる」様子や、社会人として一歩一歩成長している実感について触れられている。

 さらに重要なのは、陛下が「日々の仕事を行う中で、ボランティア活動や防災の分野などにも関心を深めている」と明かされた点だ。

 組織での「勤務」が、皇族としての「公務」や関心領域に良い影響を与え始めていることを、父である陛下自身も認められているのである。

 愛子さまが今後どのようなテーマを自らのライフワークにされていくのか、現時点で断定することは早計かもしれない。しかし、近年の動向を丁寧にたどっていくと、そこには「防災、災害医療、福祉、ボランティア」という明確な方向性が見えてくる。

防災・福祉・ボランティア、日赤勤務から広がる愛子さまの関心

 2025年5月、愛子さまは「第23回世界災害救急医学会」の開会式に出席されたが、そのおよそ2週間後には、能登半島地震の被災地である石川県(七尾市や志賀町など)を訪問され、復興状況の説明を受けつつ被災者に温かく寄り添われた。

2025年5月3日、「第23回世界災害救急医学会」の開会式であいさつされる愛子さま(写真:共同通信社)


 同年9月には新潟県を訪れ、「防災推進国民大会2025(通称・ぼうさいこくたい)」にご出席。「災害福祉支援」などの発表を熱心に聴講された後、中越地震からの復興を遂げた旧山古志村(現在の長岡市山古志地域)を視察されている。

2025年9月7日、「ぼうさいこくたい2025」に出席された愛子さま(写真:代表撮影/共同通信社)


 さらに12月、千葉大学看護学部創立50周年記念式典のお言葉の中では、能登半島の被災地で医療・看護・福祉関係者が連携して支援する姿が「強く印象に残りました」と語り、災害時における看護や被災者支援の重要性に深く言及された。

 災害と隣り合わせの現代社会において、皇室が国民の苦難にどのように寄り添うかという姿勢は、今夏の出来事にも鮮明に表れている。

 2026年7月下旬に熊本地震が発生した際、甚大な被害に心を痛められた天皇ご一家は、8月上旬に静岡県・須崎御用邸で予定されていたご静養を速やかに取りやめられた。

 ご静養を取りやめ被災地に心を寄せられる両陛下とともに、愛子さまもまた、日赤の青少年・ボランティア課での実務に追われる多忙な夏を過ごされている。

 日赤で働き、災害救急医療を学び、被災地に足を運んで、そして被災者の苦難に深く心を寄せ続ける一連の動きをつなぎ合わせると、愛子さまの中で「防災と、災害時に人を支えること」が重要なライフワークの柱となりつつあることが分かる。

2025年5月18日、能登半島地震の被災者と交流するため、JR金沢駅に到着された愛子さま(写真:共同通信社)


 ポイントは、これが宮内庁から与えられた一律の「担当分野」として始まったのではないという点だ。ご自身の関心に日赤での実務経験が加わり、公務での出会いや社会の現実と接することで、関心が少しずつ深められていく。

 これこそが、皇族における「専門分野」が明確になっていく過程と言えよう。

雅子さまから愛子さまへ、受け継がれる「経験を公務に生かす」姿勢

 自らの実体験や職務内容を公務へと昇華させていく姿勢の背景には、母である皇后雅子さまの存在がある。

 外交官としてのキャリアを経て皇室に入られた雅子さまは、長年の苦難を経て、現在は外交官として培った経験や国際感覚を、外国訪問をはじめとする国際親善の場でも生かされている。

 また、日赤の「名誉総裁」としても活動されており、母が名誉職として組織を支え、娘が「職員」として現場に関わるという形で、知見を公務に還元する姿勢が共通している。

皇后雅子さまと愛子さま(2025年2月、写真:共同通信社)


 同様の継承は秋篠宮家の紀子さまと佳子さまの間にも見られる。紀子さまが長年取り組まれてきた手話の分野において、佳子さまは全日本ろうあ連盟の非常勤嘱託職員として勤務し、自ら高度な手話を習得して公務に生かされている。

2026年6月13日、聴覚障害のあるキルギスの女性たちと懇談される秋篠宮妃紀子さまと佳子さま(写真:代表撮影/共同通信社)


 母親が切り開いた支援の場を、娘が自らの「就職体験」を通して補強し、現代的な形で発展させていく。ここで受け継がれているのは形式的な公務の分担ではなく、自らの学びを社会との接点にしていくという「公務への向き合い方(哲学)」そのものである。

 愛子さまは就職に際し、ご自身の役割について「一つ一つのお務めに丁寧に向き合い、天皇皇后両陛下や他の皇族方をお助けしていくことができれば」と決意を示された。

 日赤の「青少年・ボランティア課」で一人の社会人として汗を流し、多様な人々や社会課題と関わりながら独自の専門性を学び続けている愛子さま。

 災害発生時には国民と痛みを分かち合い、実情に即した支援のあり方を模索する、その取り組みが、愛子さまなりの「両陛下をお支えする」ことにつながるのではないだろうか。

2026年4月6日、「東日本大震災・原子力災害伝承館」で供花される天皇、皇后両陛下と愛子さま(写真:共同通信社)


社会人経験が育てる、愛子さまならではの「公務の専門性」

 皇族数が減少する現代において、愛子さまに寄せられる期待と役割は今後さらに増していくだろう。

 その際、単に多忙なスケジュールをこなすのではなく、特定のテーマに深く向き合い、「この分野ならば愛子さまに」と国民から信頼されるような専門性を、時間をかけて育てていくことが大切になる。

 日赤で青少年のボランティア活動推進のために多忙な日々を送る日常と、皇族として人々に寄り添い、被災地や公務の場を歩む日常。一見すると別の方向を向いているような二つの道が、「防災・福祉・ボランティア」という国民生活に直結する重要な分野で少しずつ交わり始めている。

 天皇陛下が「未知の旅」と表現された愛子さまの社会人経験は、これまでにない新しい皇族の歩みを切り開き、次世代の皇室における「公務の専門性」を育んでいくための、大切な基盤となるのではないだろうか。

愛子さま(2026年8月1日、写真:共同通信社)


筆者:つげ のり子