名門・PL学園野球部の卒業生で、プロ野球界でも活躍した平石洋介さんと今江敏晃さんがスポルティーバのYouTubeチャンネル「ベースボールチャンネル」に登場。司会も平石さんの同級生でPL学園のエースとして活躍したフリーアナウンサーの上重聡さんが務めた。
 

【コンビとは認めたくない】

上重聡(以下、上重)おふたりは最近、メディアで一緒に登場する機会が増えていますね。

今江敏晃(以下、今江) 平石さんはずっと『コンビとは認めたくない』とおっしゃっているんですよ(笑)。僕はインスタグラムで『相方』というハッシュタグをつけているんですが、なかなか首を縦に振っていただけなくて。

平石洋介(以下、平石)いや、コンビって言われるのが......(笑)。

上重 (コンビ芸が)生きていますよ(笑)。

今江 ふたりでロケに行くとか、テレビで一緒に何かできたら面白いんじゃないかという話はしていたんです。

平石 そこは僕もやりたいと思っています。

今江 以前、平石さんとふたりでトークイベントを開催したこともありました。

【入学前の「覚悟」と、入ってみてわかった現実】

上重 甲子園の季節がやってきたということで、僕たちのPL学園野球部の思い出を振り返りたいと思います。まず、PL学園に入学する前のイメージ、実際に入ってみてどうでしたか? 

平石 イメージどおり、と言えばそのとおりでしたね。中学時代のチームにも歴代PL出身の先輩がいたので、噂は聞いていました。わかっていても、きつかったですね。

今江 僕も先輩から寮生活について、上下関係が厳しいとは聞いていました。ただ、驚いたのは、寮のルールが徹底して洗練されていたことです。システムとしての精度が高すぎて、入った瞬間に圧倒されました。

上重 僕と平石さんが高校3年生で甲子園に出ている時、今江さんは中学3年生で、まさにこれからPL学園に行くというタイミングでしたが、僕らのことはどう見ていましたか?

今江 正直、雲の上の存在という感じでした。これを話し出したら長くなるかもしれませんが......「高校で甲子園に行くぞ!」という気持ちが高まっている時に、PL学園対横浜高校の試合を食い入るように見ていたことを覚えています。エースで投げていた上重さん、そして三塁コーチャーに立っていたキャプテンの平石さん(笑)。

平石 いや、いじるな(笑)。

上重 PL学園史上初の二桁背番号のキャプテンだったんですよ。じゃあ僕らに憧れて入ったと言っても過言ではない?

今江 それは、言いすぎかもしれないです(笑)。でも、元々PL学園が強いことは知っていましたが、おふたりのいたチームを見て「やっぱりPL学園に行きたい」という気持ちが高まったのは本当です。

【眠れない日々、そして親への感謝】

上重 寮生活でもっとも過酷だったことは何ですか。

平石 やはり『眠れないこと』ですね。やることが多かったです。朝は4時、5時に起きて、付き人として担当の先輩の朝食を用意して、洗濯物をきれいに畳んで枕元に置いて、起床時間には整った状態。夜もやることが山積みで、ボールを磨いたり、練習の片づけを手伝ったり。

今江 そういう生活のなかで、野球が二の次になってしまうという感覚はありました。

上重 よかった点があるとすれば、親の大変さがわかったことですかね。

平石 そうですね。それまでは食事も洗濯も当たり前だと思っていました。

今江 平石さんと、上重さんの代であったかわからないのですが、僕らの代では寮生活が始まって1、2週間あたりのツラくなってきたタイミングで、親からの手紙が配られたんです。みんな手紙を読みながら号泣していました。

上重 刑務所の話じゃないですよね(笑)? でも、すごくいいですね。変な話、外との連絡が手紙しかないんですよね。

今江 両親や中学時代の友人からのメッセージが本当に支えでした。みんな大切に保管していて、落ち込んだときに読み返すと元気がもらえました。本当に両親への感謝の気持ちがそこで芽生えましたね。

【厳しさの中に宿る"個性"と"最強世代"】

上重 今江さん、寮生活で印象に残っていることはありますか?

今江 下級生の時は先輩のことをやらないといけないし、上級生になっても後輩のことを考えたり、チームのことを考えていて、正直野球に集中はできていなかったと思います。プロに入って、自分のことだけに集中できた時、「PL学園時代はつらかったんだな」と思いました。

平石 学生時代は、まじめだったもんね。僕は同志社大学に進学して、関西にいたからよくPL学園に帰っていたんだけど、あの時の今江はめちゃくちゃ真面目でしたよ。

上重 今江さんの代は、清原和博さん、桑田真澄さんの代に匹敵するくらい「PL史上最強世代」とも呼ばれていたそうですね。

平石 卒業後にPL学園に行ってバッティングピッチャーをしたこともあるんですが、プロへ行った選手だけでなく、大学や社会人へ進んだ選手も含めて打力が際立っていました。

今江 平石さんは手伝いに来てくれていて、僕はもっとフランクに話しかけたいという気持ちはあったんです。でも、キャプテンという立場もあって、周りの目もあるのでちょっと距離を取っていました。

 上重さんは、たまに来てバッティングピッチャーをしてくれるんですけど、つねにふざけていました(笑)。愛の鞭だったかもしれないですけど、後輩が気持ちよく打ちたい時に、変化球とか投げてくるんです。当時、六大学野球で活躍していた上重さんの変化球なんか打てるわけもなくて、こちらのバッティングが詰まると、めちゃくちゃ笑っているんです。

平石 性格が悪いなぁ(笑)。

上重 いやいや、もっと上を目指してほしいという愛の形ですよ(笑)。

今江 ありがとうございます(笑)。

【PL学園での生活から学んだこと】

上重 ああいう厳しい環境を経て、プラスになった部分はありますか?

平石 ありました。目配り、気配りはできるようになりましたし、丁寧な言葉遣いができるようになりましたね。

上重 PL学園の指導理念として「球道即人道」という言葉があります。スリッパを適当に並べる選手、掃除で手を抜く選手は、野球でも肝心なときにサインミスをしたり、球際が弱かったりと、普段きっちりやっていないと、野球にも出ますよということは、口を酸っぱくして言われましたよね。

今江 今でもそれが身に付きすぎて、色々と目についちゃうんですよ。

平石 ほんまか?(笑)

今江 例えば、平石さんとゴルフに行った帰りも、平石さんが降りられたあとに忘れ物がないか車の中を確かめるんです。必ず忘れ物をしているんです(笑)。先日もサングラスを忘れていて、声をかけることができました。こういうところが、高校時代の経験として体に刻まれているんだなと思います。