浜崎貴司

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第1回【楽器にも触れていないのに「俺はミュージシャンになる」 “イカ天”初代グランド王者・浜崎貴司がフライングキッズを結成するまで】のつづき

 7人組バンド「フライングキッズ」は、バンドブームを象徴するTBSのテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称・イカ天)を勝ち抜いて、1990年にメジャーデビューを果たした。ボーカルの浜崎貴司(61)はメジャーデビューが決まった後もしばらくサラリーマンを続けながら活動していたが、やがて音楽に専念。バンドブームの中で自由に飛び回っていた。

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「イカ天」で初代グランドキングに

 7人組となったフライングキッズが、デモテープを作り始めて約1年。元号が平成に改まってすぐに放送が始まったイカ天から、出演の打診があった。

浜崎貴司

「それ以前は曲を作ってもなんかかっこ悪くて。フライングキッズらしさが分かっていなかった。その頃、ベースの伏島和雄がバイトでやっていたバンドが、ジェームス・ブラウンのコピーをやっていて、そのコーラスを頼まれたときに『JBすげえな。メロディーねぇじゃん』と思ったんです。レッド・ツェッペリンの時にも感じたことですが、メロディーがないのってかっこいいなって。だからフライングキッズの曲はJBみたいに、グルーヴはしていてパンクなんだけど、歌詞には日本語の情緒みたいなものをぎっしり詰めて、日本人にしか歌えないような内容の歌をやったらどうかなって思ったんです」

 イカ天からの出演打診は、そうイメージした曲ができ始めた頃だった。2代目キングだった「GEN」に勝って3代目キングとなると、次々にチャレンジャーを破り、5週目は後にメジャーデビューを果たす「KUSU KUSU」と対戦。ここでも勝って、初代「イカ天グランドキング」の称号を手にした。イカ天で演奏した「幸せであるように」は、1989年1月6日に完成。昭和最後の日となった翌7日のライブで初披露され、「初めてアンコールを受けた」。翌年のメジャーデビューシングルとなった。

「その少し前にギタリストの加藤英彦が、ダニー・ハサウェイが歌う『What's Going On』(オリジナルはマーヴィン・ゲイ)のカバーをやろうと言うので、この曲の歌詞をレコード店に写しに行ったんです。当時はインターネットもなかったので。その歌詞を読み込んでいくうちに『こういうことか』と思い、情緒がどこかにあり、メッセージ性もあり、ということを日本語で考えていくうちに『幸せであるように』ができていきました」

 イカ天での反響には驚いた。一方で悩みも抱えた。

「キングになった時点でいろんな人から『見たよ』って電話が。片想いしていた女の子からもかかってきて、本当に世界が一気に変わるもんだな、と思いました(笑)。メジャーデビューが決まりましたが、3月に大学を卒業し、4月から就職が決まっていて。結局、音楽の仕事が手いっぱいになってきたので半年で会社は辞めましたが、生きていけるかなという不安もありました。事務所に所属し、毎月お給料が出たのでラッキーだと思いましたが、今思えば結構安い給料でした(苦笑)」

結成から10年で一旦解散

 楽曲はヒットし、端からは順風満帆に見えたが、本人は安穏としてはいられなかった。

「東京スカパラダイスオーケストラのライブを観に行って『とんでもねえな』と思ったし、スチャダラパーはカッコいいし、対バンをしたフリッパーズ・ギターも素晴らしい。うかうかしてられないな、という思いでしたね」

 結成から10年間走り続け、1998年2月にフライングキッズは一旦解散した。当時の事務所の社長の発言もきっかけとなった。

「休みが年間で数日しかないほどで、とにかく過酷な日々でした。作詞・作曲、セッション、ライブ、ツアー、取材、リハーサル。本当によく頑張ったと思います。若かったから集中力もあったし、努力もできた。今につながる部分も大きいです。ただうちのバンドは7人。人数が多いほど一緒に走り続けることは大変です。バンドって楽しいですけど、共同作業だから思うようにいかないこともたくさんあるし、いろんな形で我慢することもあります。僕自身は続けるつもりでしたが、当時の事務所の社長が『レコードレーベルをビクターで続けるなら手を引く』と。同じタイミングで、メンバーからそれぞれ別のプロジェクトをやりたいという話もあり、結局潮時なのかな、と」

ソロデビュー、そしてフライングキッズ再結成

 同年12月、「ココロの底」で浜崎はソロデビューした。ミュージシャンとして活動を続けるための重要な布石だった。

「バンドでは、フライングキッズというブランドに縛られ、曲も詞もフライングキッズ風というか、自分たちを自らコピーして、息苦しく感じていた部分もあった。だからソロで違う空気を吸って、新しい成長を遂げないと次に行けないという思いがありました」

 とはいえ、それまでバンドを母体にして活動してきた。不安もあり、一人だからこそ自由ではあるが、苦しんでもいた。

「“永遠の青春の中で生きる”というフライングキッズの鎧を脱げる安堵感はありましたが、どうやってソロをやっていくんだろうという焦りがありました。結局、自分でやるしかないと思い至り、曲を毎日のように作って録音するという作業を続けて、自分が見えてきました。振り返れば本当に大事な時期だったと思います」

 時は巡り、バンドに再結成の機運が高まった。2007年のことだ。

「2002年にKICK THE CAN CREWのMCU君が『幸せであるように』をカバーし、フィーチャリングで出たことから、フライングキッズを客観視できるようになっていました。その頃、僕のソロ作品で伏島にベースを頼んだんです。彼は当時、ベースを売ってしまっていて、楽器店に買いに行った。試し弾きしていると、同じようにギターを試奏している人がいて、それに合わせてベースを弾いていたら“合奏ってやっぱりいいな”と思えたそうです。僕のセッションでコーラスもお願いしたら『フライングキッズの音がした』という話になり、伏島から『そろそろもう一回やってみたい』と言われて。メンバーに声を掛けたら、浜谷淳子ちゃん以外の6人が集まって復活という形になりました」

 メンバーは他の活動と並行しながら、以前のような根を詰めるのではなく、音楽を楽しむ余裕を持って新たに出発した。

また新たなチャレンジの時期に

 バンドは結成から35年を超え、浜崎のソロデビューからも四半世紀を超えた。自身の中では「新しい時期に入っている」と話す。

「還暦を迎えた昨年は、集大成みたいな感じの活動が多かったんです。今年4月で(2017年に加入した)ボーカルのElliが卒業し、キーボードのSWING-Oも長期離脱の形となったので、新たなチャンスと捉えて、新しいミュージシャンたちとコラボしながらフライングキッズの曲を作り始めています」

 故郷への“恩返し”も。2026年4月に栃木市に開校した夜間中学「栃木県立とちぎ学びの夢学園」の校歌を作詞・作曲した。

「まさかそんな時代が来るとは思いませんでしたね。新しい局面が次から次へと出てきているので、また新たなチャレンジが始まったなと感じています」

 2011年から続けている弾き語りツアーは250本を超えた。

「今年に入り、自分で新しい歌を歌い始められている感覚があります。歌というものがまた少し分かってきたような気持ち。よく『気持ちを歌に込める』と言われますが、それが何となくできている気がしています。同じ『幸せであるように』にしても、歌の感じが変わってきて。恐らく人生の経験を歌に置き換えられるようになってきて、年を取ったからこそのミュージシャンになりたいという目標が少しずつ叶ってきているのかな」

 音楽の楽しみと苦しみを味わい続けてきたからこその言葉か。フライングキッズとして、8月22日に横浜THUMBS UPでワンマンライブ、9月20日に岐阜県の中津川公園内特設ステージにおける「中津川 WILD WOOD 2026」に出演する(詳細は浜崎のオフィシャルホームページを参照)。新たな境地に至った浜崎の活躍が楽しみだ。
 
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 第1回【楽器にも触れていないのに「俺はミュージシャンになる」 “イカ天”初代グランド王者・浜崎貴司がフライングキッズを結成するまで】では、音楽活動を何もしていなかったのに「ミュージシャンになる」という“根拠なき自信“とともに生きていたデビュー前などについて語っている。

デイリー新潮編集部