東日本大震災から15年 被災者が今伝えたいことは【徳島】
鳴門渦潮高校で3月18日、高校生に貴重な体験を伝えた川崎杏樹さんは、中学2年で東日本大震災を経験し、現在29歳。
被災地は今どうなっているのか、そして川崎さんが一番伝えたい思いとは。
四国放送の記者が、岩手で取材しました。
岩手県釜石市の北部、鵜住居町。
東日本大震災で甚大な被害を受けました。
高台から見えるこの町は津波の被害を受け、今は新しい町に変わっています。
「家が流されています」
大きな揺れに襲われ、押し寄せた津波。
釜石市では、津波で1000人以上が犠牲となりました。
多くの命を奪った震災の記憶。
いまもこの町に残っています…。
震災から15年。
釜石市にある、未来の命を守る津波伝承施設、いのちをつなぐ未来館。
ここで語り部として働くのが、川崎杏樹さん29歳。
中学2年生のとき、東日本大震災の津波を経験しました。
(いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん)
「町が海になるってありえない、普通に生活していたら。それが当時は目の前に広がっていたので」
「自分の目で景色を見ているが、どこか現実味がないというか、不思議な感覚があった印象です」
バスケットボール部に所属していた川崎さん。
発生当時、部員と一緒に体育館で準備体操をしていました。
(記者)
「釜石東中学校にいて地震が発生して、校庭に出て、その後はどう避難するか?」
(いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん)
「最初、生徒だけで点呼を取っていたが、そのあと先生たちから指示が出て」
「今日は点呼はいいから、すぐに逃げなさいということで、最初に向かったのは800メートル離れた先の『ございしょの里』という福祉施設でした」
(記者)
「点呼を飛ばしても避難する、その判断は?」
(いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん)
「当日は副校長の判断でした。そのくらい切羽詰まっていた」
「点呼をしていたら間に合わないという判断をした、一斉に逃げ始めた状況でした」
普段の訓練では、海抜4メートルの場所までの避難でしたが、この日はさらに高台の海抜15メートルまで避難しました。
4メートルの地点は、あっという間に浸水しました。
小中学生の生存率は99.8パーセント。
全国から注目され、「釜石の出来事」と呼ばれています。
(記者)
「なぜ助かったと思うか?」
(いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん)
「一言、防災学習のおかげだと思う」
「ただただ防災学習をやれば良いかというと、そうではなかったなと振り返れば気付く部分があって、先生方の工夫がかなり大きかったと思う」
「恐怖を植えつけるだけとか、命が関わるから真剣にやりなさいとか、押し付けるようなものであれば、多分わたしたちは意欲的に防災学習はやれなかったと思うが」
「真剣にやるところは真剣にやるけど、楽しみながら出来ることは楽しみながらやる」
「それもきちんと体験しながら実践しながら、先生たちがうまく生徒たちの興味関心を引き出すような工夫というところを織り交ぜてくれたからこその、当時の避難行動だと思う」
(記者)
「これが亡くなられた方たちの慰霊碑ですか?」
(いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん)
「釜石市で犠牲になった方々の名前がこちらに刻まれています」
震災で犠牲となった1003人の名前が刻まれていて、ここに来ると川崎さんは特別な思いが込み上げると言います。
(いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん)
「ここに来ると一名一名のお名前がある、一人一人があの日、たった数時間の津波で亡くなってしまった」
「人生が終わってしまったという重みと、それを伝えることの意義を感じる」
(記者)
「あそこまで(津波が)来たんですか?」
(いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん)
「まさにあの高さまで津波が来ました。海抜11メートルの地点ですね、ここから見上げてもかなりの高さになるので」
(記者)
「15年が経過したら知らない子も出てくる。風化していくことの恐ろしさは感じるか?」
(いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん)
「時間が経つにつれて、災害であったり防災に触れる機会が少なくなっていくことかなと思う」
「地元の子たちですら経験してなくて、親や家族から見聞きしてなんとか…」
過去の災害を忘れないために…。
地元、釜石東中学校の生徒も、毎年3月11日を前に慰霊碑の清掃活動を行います。
彼らは震災当時まだ0歳、震災の記憶はありません。
(釜石東中学校3年生)
「(震災当時)0歳で経験がなくてわからないけど、防災の勉強をして、こんな大変なことがあって」
「地域の人たちが頑張って復興してくれたんだなと思いがでてきました」
(釜石東中学校3年生)
「地域の住民である自分たちがきれいにしてあげて、感謝の思いを伝えれたらいいなと思ってやっている」
「震災が関係ないと思っている地域の人たちも、いつ何があるかわからないので」
「逃げるときとか逃げたあとのことを、全員が知っているような形になってほしいと思う」
(記者)
「実際に現地に来て壮絶だったんだなと改めて感じたこの思いを、地元の人に知ってもらいたい、備えてほしいという思いがあったから今回取材を依頼した」
「川崎さんだからこそ伝えられることは?」
(いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん)
「私だから強く伝えれることは、災害は誰にでも起きるものだということを認識してほしいということと、ただその中でも、助かることはできるということだと思う」
「実際に私たちが防災学習を学校でやっていて、知識があったからこそ助かったように」
「他の人も同じように日常的に備えれるようになれば、いざという時でもそれを活かすことが出来るというのを知ってほしい」
「それを、私も伝えていかないといけないと思う」
人生が大きく変わったあの日。
しかし、あの日を経験した川崎さんだからこそ伝えることが出来る。
次に来る災害に備えるために。
そして、未来の命を守るために。この思いを繋いでいきます...。
