尾崎将司さん(78)がんで死去 海陽町出身のゴルフ界レジェンド【徳島】
海陽町出身で、男子プロゴルフの国内ツアー最多の94勝を含むプロ113勝を挙げ、「ジャンボ」の愛称で知られるゴルフ界のレジェンド・尾崎将司さんが、12月23日にS状結腸がんのため亡くなりました。
78歳でした。
(街の人)
「残念でしたね。私たちを楽しませてくれてありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください」
「憧れやわね、野球の選手で同じ世代やからね」
「日本の男子ゴルフの開拓者ですよね。ひとつの時代を築いた人間ですね、もうご苦労さまですね」
1964年には、海南高校野球部のエースとして春のセンバツ大会に初出場し、初優勝を果たします。
当時、海南高校野球部に所属していた、牟岐町の一山稔さん(79)です。
尾崎さんとともに、春の選抜高校野球に出場、優勝メンバーの1人です。
(尾崎さんと春の選抜大会に出場・一山 稔さん(79))
「体調はだいぶん前に悪いと聞いていたけど、まさかこんなに早くという感じで、本当に驚きました」
「ムードメーカーの方ですね、皆を束ねていっていて、お茶目な面もあった」
「野球部の同級生らで宍喰の山に上がっていって戻って行ったら、うちパイナップルを作っているから、パイナップル食べていけと、パイナップルを切ってくれてね」
「食べんかと、食べさせてくれて、友達ですもんね、同じ苦労していた仲間」
その後、プロ野球西鉄ライオンズに入団するも、3年で退団。
1970年に、プロゴルファーに転身しました。
すると、プロ2年目の日本プロゴルフ選手権で初優勝。
賞金ランキング制がはじまった73年に初代賞金王となり、94年からの5年連続を含む、計12度の賞金王に輝きました。
(実況)
「9番アイアンで打ちました」
「ナイスホールです!」
「スーパーショットですね」
「ギャラリーも大喜び」
「広島オープン3度目の優勝を飾ったジャンボ尾崎です。通算で44勝目」
(プロゴルファー・尾崎将司さん(当時37歳))
「ここはすごくゲンがいいもんですから、トーナメントが始まる前から僕は勝つものと思っていましたから、なんでもないです」
1996年には、前人未踏のプロ通算100勝を達成。
その偉業を称え、県民栄誉賞が贈られました。
この時、宍喰町の実家に帰った尾崎さんの映像が残っていました。
「ただいま」
「どうも、この度はおめでとう」
(プロゴルファー・尾崎将司さん(当時49歳))
「自分の力ではなくて、とりあえずは親の力が大であるってことは事実だよね」
「だから自分としてみれば、親とか尾崎のご先祖さまに(栄誉賞を)贈りたい気持ちがある」
(プロゴルファー・尾崎将司さん(当時49歳))
「100勝というのは飛躍しようという意味だからな、1997年に向かって飛躍しよう!」
2002年には、55歳での最年長優勝記録を樹立。
生涯で国内ツアー最多94勝を含む、プロ通算113勝を積み上げました。
一線を退いてからは、全米女子オープンを2度制した笹生優花選手や、今シーズン国内ツアーで賞金女王に輝いた佐久間朱莉選手ら、多くの選手を指導しています。
男子ゴルフ界に数々の金字塔を打ち立てたジャンボ尾崎のプレーは、永遠にファンの心に刻まれています。
