「父親も自慢話ばかりで、偏った育て方」 斎藤知事の右腕・女性社長の親族が証言 「キラキラに見えてドロドロ」
「私は斎藤知事のブレーン」
【前後編の後編/前編を読む】「出会った頃は腰が低い方だった」 “豹変”したPR会社社長 親族は「いつか痛い目に遭うと思っていた」
兵庫県知事の斎藤元彦氏(47)の選挙違反疑惑を招いた、PR会社社長・折田楓(かえで)氏(33)の衝撃の告白が目下、大炎上中だ。ことは選挙の公正性に関わる重大な問題。現在、折田氏は沈黙を守っているが、丁寧な説明が求められるところだろう。そんな中、折田氏の親族が語った彼女の素顔とは――。
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前編【「出会った頃は腰が低い方だった」 “豹変”したPR会社社長 親族は「いつか痛い目に遭うと思っていた」】では、折田氏の親族や知人が語った、彼女が“キラキラ女子”になるまでの素顔について報じた。
地元の有馬温泉、母校の慶應SFCキャンパスが立地する神奈川県藤沢市など、自身とゆかりのある街のSNS業務を受託し、PR会社の実績を積み重ねていった折田氏。その当時、彼女は自身のブログ記事に、〈将来、「地方創生の女」として、本でも書けたらいいな〜!笑〉と書いている。
転機が訪れたのは2021年、今回の大炎上に至るきっかけとなった、総務官僚で財政課長として大阪府に出向していた斎藤知事が、初当選して兵庫県の主となったのだ。
以降、折田氏は県や西宮市の委員を歴任。PR会社の経営者として広報を活用した街づくりを提言するなど、地元行政の世界でも頭角を現していく。
さる県政関係者が明かす。
「県の委員会などで折田さんは、斎藤知事が外部から登用した元総務官僚の実名をわざわざ出して、“斎藤知事にとって、私はあの人と同じようなブレーン”などと、周囲に吹聴することが何度もありましたね」
折田氏に助けを求めた斎藤知事
斎藤知事の右腕を気取っていた彼女にとって、その真価が問われたのは今年9月、県議会において不信任決議案が全会一致で可決され、斎藤知事が失職してからだろう。
斎藤知事は「出直し選挙」への出馬を決めて、折田氏に助けを求めたのだ。
斎藤知事を支援していた西宮市会議員の森健人氏は、
「9月下旬に初めて会った斎藤知事から“選挙はどうしたらいいですか”と聞かれたんです。それで“ポスターとかビラはどこに任せるんですか”と聞いたら、斎藤知事は“今回は知り合いでポスター制作をしてくれる人がいるので”という話をしていた。それが折田さんだったということです」
功名心にはやるあまり……
そして選挙が終わり、森氏は折田氏からSNSを通じてメッセージを受け取ったとして、こう続ける。
「今回の選挙では“斎藤陣営に400人のデジタル対策ボランティアがいた”といった報道があったので、それへの反論をする意味で折田さんは今回の記事を作った。拡散してほしいという内容でした」
あくまで折田氏は、自分こそが選挙戦における広報PRの主役だった。「斎藤再選」の生みの親は私。そのことを世間に認めてもらいたいと、功名心にはやるあまり大炎上を招いたということなのか。
「キラキラに見えてドロドロ」
「楓の一家はキラキラしているように見えて、虚勢を張って生きてきたというか、実際のところはドロドロなんです。まぁ、そんな偏った育て方をされたら、彼女のような大人になってしまいますよ」
そう嘆くのは、折田氏の親族である。
「彼女の父親は開業医になったけど、異母兄弟との仲が悪くて取っ組み合いのかんかをするほどで、相続の際ももめましたからね。自分たちの家族がどれだけうまくいっているか、周りに大きく見せたいということなんでしょう。父親は自分の娘を溺愛して、幼い頃からドラムを習わせた、フランスへ留学させた、娘が企業を立ち上げたとか自慢話ばかりする人でね。その娘は娘で、慶應に入学したら同じ学部に芸能人がいたなんて得意気に話すので、田舎にいる親戚たちとも疎遠になっていったんです」
前編【「出会った頃は腰が低い方だった」 “豹変”したPR会社社長 親族は「いつか痛い目に遭うと思っていた」】では、折田氏の親族や知人が語った、彼女が“キラキラ女子”になるまでの素顔について報じている。
「週刊新潮」2024年12月5日号 掲載