米大統領選、ついにカウントダウン…やや優勢のトランプと支持者に「反トランプ」アーティストの歌声は届くのか?
日本人にはあまりイメージできない「選挙」と「音楽」の関係。しかし海外では両者は密接に結びついている。11月5日に迫った米大統領選の歴史を紐解けば、候補者たちは時のアーティストによるテーマソングに力を借りてきた。現在やや優勢の報もあるトランプ前大統領だが、「反トランプ」アーティストたちのメッセージはこの状況を変えられるのかーー。『マネーの代理人たち』の著者で、経済ジャーナリストの小出・フィッシャー・美奈氏による考察。
音楽のない日本の選挙は民主主義国では少数派
先の衆議院選挙の期間中、選挙カーからの「最後のお願い」で候補者名の連呼を耳にしたり、街頭演説に立ち止まった人も多いことだろう。でも、日本では選挙で音楽が聴こえてくることは滅多にない。
法律で「音楽はダメ」と明確に禁止されているわけではないのだが、厳格な日本の公職選挙法の元では、選挙違反と見られるかもしれないからやめておこう、と自粛する候補者が殆どのようだ。
例えば、プロの歌手を街頭演説に呼んで歌ってもらったら、公職選挙法221条の「財産上の利益」を与える行為、つまり有権者を「買収」したと見なされる恐れがある。また、141条は、車の上から行うことのできる「選挙運動のための」活動について、移動中の「連呼行為」と、停車中の「演説」のみを例外的に認めている。音楽を流していいとは書いてない。
一方、日本の外を見回すと、そもそも民主的な選挙のない中国や北朝鮮を別として、韓国、台湾、フィリピンやインドネシアなどアジア近隣諸国でも選挙にポップ音楽が多用されている。選挙で音楽が使われない日本は、どうも民主主義国家では少数派のようだ。
潜在的には日本でも音楽の訴求力を選挙に使いたいと思う候補者は多いだろう。まず音楽には群衆をイベントに動員する力がある。そして、優れたポップソングのリフレインは、下手な演説より有権者の心を深く揺さぶり、人々の一体感を高める。
例えば2016年の台湾総統選挙では、民進党の蔡英文氏が親中国派の国民党を破って、女性初の総統に就任したが、この選挙戦で民進党陣営が効果的に使ったのが、2014年の「ひまわり学生運動」のシンボルソングとなった「この島の夜明け(島嶼天光)」だった。
「恋人よ。映画に一緒に行けなくてごめんね。僕らは許せない奴らと戦っているんだ」という歌詞のこの曲は、台湾のアイデンティティーと民主主義を危惧する若年層の心をつかんだ。
米国でも、政治や選挙と音楽の結びつきは、建国時代から存在する。日本で「アルプス一万尺、こやりの上でアルペン踊りをさあ踊りましょ」というあの歌詞で知られる「アルプス一万尺」は、米国では「ヤンキー・ドゥードゥル」として知られる愛国歌だ。イギリス軍が植民地軍を「まぬけなヤンキーたち」とからかったのを、植民地側の人々が替え歌にして、米国人としてのアイデンティティーを誇りにする歌に変えた。
ジョン・F・ケネディが当選した1960年大統領選挙では、フランク・シナトラが「みんながジャック(ケネディーの愛称)に投票してるよ」とあからさまな応援歌を歌ったし、1992年にビル・クリントンが40代で大統領に当選した時には、「昨日は終わった。明日のことを考え続けろ」というフリートウッド・マックのDon’t Stop をテーマソングに、若さをアピールした。
また2008年の大統領選では、 “Yes, We Can(そうだ、私たちはできる)”というバラク・オバマ候補の演説でのメッセージを、ウィル・アイ・アムが音楽とコラージュさせて白黒ミュージックビデオに仕立てあげ、それがYouTubeでバズって選挙戦を盛り上げた。
だが選挙に音楽を使うには、候補者のメッセージと楽曲のメッセージが合致していることが大切だ。
1984年、再選を目指したレーガン大統領が、選挙戦でブルース・スプリングスティーンの「Born in the USA」 を演説会で使用した。パワフルなロックのリズムと五感に響くシャウト、「俺はアメリカで生まれた」というリフレインが、愛国的なアメリカ賛美の曲に聞こえるのが理由だ。
でも、歌詞を読めば、それが誤解であることがすぐ分かる。
死んだような町で生れてベトナム戦争に送りこまれ、そこから帰還したら、ろくな職にもつけず生活苦にさいなまれる、「どこにも行き場のない」帰還兵の歌だからだ。「俺はアメリカで生れた」という歌詞には、米国人としての強いアイデンティティーが込められているが、国家賛美ではない。むしろ、俺はアメリカで生れたのに、祖国はどうして俺をこんな目に合わせるのだ、というプロテストソングだ。
もともとスプリングスティーンは政治とは距離を置いていたが、作品のメッセージとは異なる選挙宣伝に曲を使われた事には、抗議せざるを得なかった。それから40年。Born in the USAは今でもスプリングスティーンの意図に反してトランプ支持者らの集会で流されることがあり、米国ロック史上、最も誤解された曲と呼ばれる。
「天下分け目の」ペンシルバニア州をどちらが取るか
トランプ嫌いで知られるスプリングスティーンは、2020年の選挙では冗談で、トランプが勝ったらオーストラリアにでも脱出しようか、と言った。2020年は脱出しないで済んだが、さて、今回はどうだろう。米大統領選挙の投票日が11月5日に迫った。
既報の通り(参考記事:【米大統領選】トランプ以外の候補者もクセが強い…「田舎出身エリート」「生意気なガキ」「庶民派のおっちゃん」が集結!)、選挙の核心は、全国的な得票数ではなく、共和党の「赤」にも民主党の「青」にも決めかねているスイング・ステート(揺れる州)と呼ばれる激戦7州での票の行方だ。
具体的には、米国地図で北側にある「ラストベルト(さびれた工業地帯)」に属する東部ペンシルバニア(選挙人数19)、中西部ミシガン(15)、ウィスコンシン(10)の3州、それに南側にある「サンベルト(温暖地帯)」に属する西部アリゾナ (11)、ネバダ (6)、南部ジョージア(16)、ノースカロライナ (16)の4州だ。
大統領選に勝つには、全米538の選挙人の過半である270票を獲得しなければならない。上記7州を除いたところでは、よほどの番狂わせがない限り、ハリス氏225票、トランプ219票の得票は固いと見られており、残りの94票を争うことになる。
特に選挙人の数が19と大きいペンシルバニアは、「天下分け目の決戦」になる可能性が高い激戦州として注目される。
ハリス氏がペンシルバニア州を落とした場合には、伝統的に共和党色の強いノースカロライナ州かジョージア州のどちらかを獲得しなければ巻き返せず、反対にトランプ氏がペンシルバニア州で負けた場合には、民主党色の強いウィスコンシンかミシガンで票を覆す必要が出てくる。
ここで、お気づきかもしれないが、この7州あわせて93票で、94票に一票足りない。
実は「激戦州」はもう一つあって、それは中西部ネブラスカ州。全米50州のうち、殆どの州では勝った候補者が選挙人を総取りするのだが、例外がメイン州(4) とネブラスカ州(5)で、これらの州では各選挙区ごとに勝者に選挙人を割り当てる方式を採用している。ネブラスカ州は基本的に共和党支持の「赤い州」だが、都市部のオマハのある選挙区の1票はハリス氏が獲得する可能性がある。
激戦7州の票の出方によっては歴史的な大接戦となり、ネブラスカのこの選挙区の一票が、勝敗を決めることになるかもしれないと見られているのだ。
アーティストかアクティビストか
まさにアメリカ世論が真っ二つに「分断」された格好だが、過去記事でも触れた通り、何が真のアメリカ人なのかという価値観のところから相容れない勢力が対立しているので、分断の根は深い。
米国の分断が拡大した原因として、トランプ政権の人種差別主義を批判したのは、ラッパーのエミネムだ。警察官による黒人に対する暴力事件を契機に「ブラック・ライブズ・マター」の抗議行動が拡大していた2017年、BETヒップホップアワードで披露したフリースタイルパフォーマンスで「手腕があるのは人種差別だけ」とトランプ大統領を徹底してディスり、トランプ支持の自身のファンに対して、どっちにつくか決めろとまで迫った。
エミネムは、同年にリリースした「Like Home」でも、トランプ大統領を白人至上主義の「アーリア人」と呼び、憎しみを材料に民衆を分断するクー・クラックス・クランやヒトラーに例えるなど挑発的なメッセージを叩きつけた。エミネムの権力批判はブッシュ政権のイラク戦争時代からのことだが、もはやラッパーではなく政治アクティビストではないか、という批判も起きた。
世論への影響力の高いアーティストにとっては、政治的に中立でいることが難しい時代だ。とは言え、政治的な態度を表明することは、ファンを失うリスクを伴う。白人ラッパーであるエミネムは、生活保護を受けるシングルマザーに育てられ、白人労働者層の生活苦を自ら体験している。それゆえ白人労働者のファンも多いのだが、それはトランプコア支持層と重なる。
また、ポップシンガーとして絶大な人気を持つテイラー・スウィフトは、元カントリーシンガーだ。カントリーにルーツを持つ(参考記事:アメリカ「分断」を読み解く鍵は、カントリーミュージック?トランプ支持者の怒りが消えないワケ)こともあって、「赤いアメリカ」にもファンが多い。しばらく政治とは距離を置いてきたが、トランプ政権になって以降、中絶やLGBT権利を支持するリベラルであることを表明した。
今年の初め、テイラー・スウィフトが米国防総省の心理工作員である、というまことしやかな陰謀論が流れた。バイデン大統領を再選させるための秘密作戦に加担している、というのだ。ペンタゴンがわざわざ声明を出して否定したが、裏返せば、トランプ支持の一部陣営が、それだけスーパースターの政治的影響力を脅威と考えたとも言える。
そんなこともあって、テイラー・スウィフトはしばらく候補者支持を表明しなかったが、9月10日の大統領候補ディベートの後に愛猫と一緒の写真を投稿して、ハリス支持を表明した。猫と一緒、というのは、JDヴァンス共和党副大統領候補が民主党支持の中年女性を指して、「子供を産まない猫おばさんたち」と発言したのを皮肉ったものだ。
トランプ候補はこれを受けて、ソーシャルメディアに「テイラー・スウィフトなんて嫌いだ!」と書き込んだ。こうした一連の中傷のためかどうか、今年のNBC調査で、昨年と比べてテイラー・スイフトの好感度が7ポイント低下したという報道もある。
リスナーにとってもアーティストの政治メッセージが強くなってくれば、自分はただ、いい音楽を聴いていたいだけなんだ、という中立姿勢ではいられなくなってしまう。日本でも社会問題で発信をするアーティストが一部いるが、あたりさわりのない一般的なJ ポップでは、良くも悪くもそんな心配をする必要はない。
音楽は分断を癒せるか
実際のところ、著名アーチストによる候補者推薦が選挙結果にどのような影響があるのかは、はっきりしない。ポップソングはむしろ、人々の間に漂っている時代の空気や意識が先にある時に、それを分かりやすいメッセージにして、カタリストとしての役割を果たすのだろう。
歌で支持を盛り上げようとしても、その空気がなければ無理がある。
最新の世論調査では、スイングステートでのトランプ候補優勢が伝えられるが、その差は僅差で激しい競り合いが続く。一方、大統領選挙の「賭け」の世界ではポリマーケットの予測市場(参考記事:米大統領選や『SHOGUN』エミー賞受賞まで賭けの対象に…拡大する「オンラインギャンブル」の危険な落とし穴)で、この一か月の間にハリス氏が失速し、10月28日現在、トランプ66%、ハリス34%と大きな差がついている。
今回の大統領選挙でハリス陣営は、ビヨンセのヒット曲「フリーダム」を、本人の使用許可を得てテーマソングに採用した。パワフルなメロディーと「自由、自由。どこにいるの?私を解放して」というリフレインは、人工中絶の選択権など、女性の権利を中心とするハリス候補のスローガンに合致する。
元気の出る、いい歌だ。でも、音楽が大きな政治的なうねりと一体化した過去の事例のように、そのメッセージに候補者の支持集会の外まで溢れ出す勢いがあるかというと、そうは見えない。
大統領選挙後に世論の分断が収まるとは到底見えない中で、アメリカ人はお互い違う音楽を聴き続けるのだろうか。それとも、音楽は分断を癒すことが出来るだろうか。