中国建国75年で何が起きていたのか?中国問題は「米中」「日中」のような単純な枠組みで捉えず「文明社会と強権主義の対立」だと世界は目覚めるべき
10月18日、中国の深センで日本人学校に通う男子児童が刃物に刺され死亡して1カ月となる。日本側が再三求めているにもかかわらず、いまだに中国政府から詳しい事実関係の説明がなされていない。
今年の10月1日は中国建国75周年の記念日。75年間、中国で何が起きて、そして、世界に何を与えたのか。西側諸国は中国問題を捉える時に、単純な「米中関係」や「日中関係」などのような国家間の外交という単純な枠組みを飛び越えるべきだと学者は警鐘を鳴らす。
以下の文章は、東京大学のある中国人訪問学者が執筆し、東京大学大学院の阿古智子教授が翻訳したものを編集した記事である。
「国慶節」は何を慶祝するのか
中華人民共和国建国70周年にあたる5年前の2019年の国慶節(10月1日)、北京で出稼ぎ労働者の子どもたちの教育事業を行う団体の責任者が私にこう話した。学生の親が、北京で国慶節を祝うために子どもたちを天安門広場に連れて行って欲しいと頼んでいると。
この責任者は苦笑し、貧しい出稼ぎ労働者である親たちは、国慶節が庶民の祝日だと本気で思っており、自分たちが単なる「低ランクの住民」であることもわかっていないと述べた。
北京市政府は、彼らが国慶節に天安門に近づく権利を与えようとしていないのだ。2017年に北京市共産党委員会書記に任命された蔡奇氏は、習近平氏に「清潔で整頓された」北京を見せるため、冬にも関わらず「低ランクの住民」の大規模な立ち退きを行っていた。
「中国人はとても哀れです。本当にこの国があなたのものだと思っているのですか?」と彼女は言った。
1999年10月、中国は50回目の国慶節を迎えた。
中国社会科学院米国研究所の創設時の所長であった当時76歳の李慎之氏は「国慶節の夜の独白・嵐の50年」という文章を執筆し、広く読まれた。今ではそれを知っている人すらほとんどいないが。
文章の中で、1949年に26歳で北京の展望台で国慶節の軍事パレードを見たときのことを思い出した李慎之氏は「当時と同じ群衆が万歳の声援を送っていた。同じ壮麗な軍事パレードだった。 同じ色とりどりの花火...しかし、私の気持ちや心の中の考えは、50年前とはまったく異なる」と振り返った。
1949年から1999年「記憶力と思考力の喪失」
1949年10月1日、中国共産党は反政府勢力から与党に転じ、中華人民共和国を樹立し、中国唯一の統治者となった。 1949年、ほとんどの中国人と同じように、李慎之氏も天安門で毛沢東が「中国人民は立ち上がった」と言うのを聞き、涙を流した。
しかし、その後数十年間、「プロレタリアートの解放」を使命とした中国共産党は、毛沢東の指導の下、中国人を迫害する政治運動を次々と開始した。
1950年6月30日、土地改革法が公布され、中国の農村部では血なまぐさい土地改革運動が本格的に始まった。300万人以上が死亡したという統計もある。同時に、別の血なまぐさい「反革命弾圧」キャンペーンが都市部で行われた。以来、経済、産業、農業、文化、政治、軍事のあらゆる分野に次々と運動が広がり、どの分野も救われることはなかった。
「三反五反」は 1951年に、反右派運動は 1957年に始まり、1958年の大躍進運動の結果、1959年から 1962年にかけて大飢饉が発生し、3,000万人が死亡した(楊継縄著『墓碑』による。今日に至るまで大飢饉による死者数に関するアーカイブや具体的なデータはない)。
さらに、1963年に四清運動(政治・経済・組織・イデオロギーを「浄化」する運動)が、 1966年には文化大革命が始まる。中国社会科学院政治研究所の元所長である厳家祺氏は、1949年から毛沢東が亡くなった1976年までの28年間に70以上の全国に及ぶ政治運動があり、そのうち52は毛沢東が直接発動した国家レベルの政治運動だったと指摘した。
あらゆる政治運動は血みどろの残酷な闘争であり、数え切れないほどの人々に悪夢をもたらした。毛沢東率いる中国共産党の最高指導者たちだけが、みんなを眺めて楽しんでいたのだ。
1966年に始まった文化大革命は、人類の悪に対する想像力に挑戦しただけでなく、中国人の忍耐力と底辺をも試すことになった。文化大革命中、中国共産党は政治集団の極限に至る悪と凶暴性を実証したと言える。
ある統計では、420万人が投獄され、13万5000人が「現行の反革命」の容疑で射殺され、撲殺や強制労働により23万7000人が死亡、703万人が障害者になり、773万人が突然死し、172万8000人が自殺したという。そのうち、中国の知識人20万人が迫害されて死亡し、2000万人が批判の対象とされ、経済的損失は当時の通貨価値で8000億元(今の価値では評価不可能)に達したという。
李慎之氏自身も、これらの政治運動の無数の犠牲者の一人だった。1956年に彼は「極右」に分類され、党から追放された。1973年に釈放されるまで、17年間に及ぶ地獄のような「労働による再教育」の生活に耐えた。
文化大革命で中国共産党政権は崩壊の危機に直面した。 1978 年の改革開放は、中国共産党がその存続をかけて行った政治的選択だった。その結果、中国共産党は確かに新たな生命を得た。しかしわずか10年後の1989年に、血なまぐさい天安門事件が起きた。
李慎之氏は1999年に書いた文章で次のように述べている。
「文化大革命、そして過去30年間の全体主義的専制を深く反省することは、中国が再生し、古いものを捨て、新しいものを受け入れる重要な機会であり、権力者が統治の正当性を再建する唯一の基礎である。しかし、この反省の歴史的プロセスが 1989年以降に中断されてしまった。過去10年間に出版された論文は、そのほとんどが理論的な深みに欠けており、ましてや全民的啓発に至っていない。
歴史の真実と人々の思考を禁じた結果、私たちの世代にとって鮮明な出来事の多くは、人々に全体の記憶と論理的思考能力を失わせた。当時我々が経験した多くの信じられない出来事は、今の若者は知らず、それらは千夜一夜のような物語ですらある。」
何も知らされない若者たち
25年後の2024年にこの一節を振り返ると、ため息が出る。
四半世紀が経ち、これらの歴史的事実を「生々しく」体験した人々は皆、この世を去った。 そして、2024年の中国の若者はさらに「無知」であり、これらの事実を知らないだけでなく、李慎之氏が誰であるか、当時広く読まれた「嵐の50年」さえ知らない。
1999 年にはインターネットはなかった。現在はインターネットがあるが、より強力な中国製ファイアウォールや、情報制御とテキスト検閲のための「維穏(安定維持)」のシステムが構築されている。私が書いているこの文章が、中国のグレートファイアウォールの内側で読まれることは決してない。
40年にわたる改革開放の過程で、中国共産党が主に考えていたのは、現代中国で権力を独占し続けるにはどうすればよいかということだった。その結果、一連の理論が生まれた。
江沢民氏の「三つの代表」理論は、中国唯一の与党として時代に合った中国共産党自身の近代化をかろうじて説明した。その後の胡錦濤氏の「科学的発展観」はさらに突飛なもので、中国の経済成長における中国共産党の支配的な役割と唯一の立場を強調しており、「中国共産党の良い働きがなければ中国の今日はない」ことを意味している。胡錦濤氏は、現在至るところで行われている「維穏(安定維持)」システムの設計者でもあった。 2022年、胡前主席自身が公の場でこの暴力政権の新たな「皇帝」によって容赦なく会場から追い出された時、胡前主席は心の中で何を感じていたのだろうか。
2000年から2024年「経済の発展と政治の暗闇」
李慎之氏の論文から2年後の2000年、中国はWTOに加盟した。西側諸国は、中国の経済発展と国際秩序の受け入れは政治改革をもたらすだろうという美しい計画を抱いていた。
25年後、この予測の前半は確かに現実となり、世界経済に占める中国のシェアは 2000年の 3%台 から 2023年の 18%台に上昇した。しかし、中国の政治制度改革は前進するどころか逆方向に加速し、より暗く権威主義的なものになっている。
中国共産党が世界で最も多くのジャーナリストや政治犯を投獄しているというデータを見るまでもなく、一般人の数例を見ただけでも、この後退を目の当たりにすることができる。
シンガポールの有力紙『聯合早報』が2024年9月、世界トップ10の年金基金の規模を発表したところ、人口13億人の中国の社会保障基金の規模は人口600万人のシンガポールよりも小さかった。ご存知のとおり、北京だけでも2000万人を超える。
2024年9月、中国はいわゆる「退職年齢の引き上げ」を開始し、国民の怒りを引き起こした。景気の悪化に伴い、多くの人が65歳まで働く機会がないことは当局も確かに知っている。しかし政府は、一般人がその年齢になる前に退職金を支払わなくなることだけを気にしている。一方、公務員は「定年」まで退職金を上回る給与を受け取り続けることができる。 この政策は既に巨大な社会的不平等をさらに悪化させる。
中国のGDPが7%を超える高い成長率を長年維持してきたことは多くの人が知っているが、中国統計局のデータによると、中国政府の税収の増加率はGDPの増加率をはるかに上回っており、年によっては20%〜30%に達することもある。したがって、この政権は一方では「人権の低さ」を利用して低コストで国際競争に参加し、他方ではそれによって生み出された巨額の富が権力者の懐に入る構造となっている。
中国は第二位の経済大国であるにもかかわらず、一般の中国人、特に後進地域や農村部の人々の一人当たり所得は常に世界最下位レベルにある。
中国政府はすでに世界で最も裕福な政権であり、人類史上最も裕福な独裁政権となっている。したがって、この政権は世界で2番目に大きな軍事力を構築し、最先端の技術を使用して最も強力な「安定維持」および情報統制ネットワークを構築し、海外を監視するために中国国外に世界的なスパイ活動とネットワークを構築することができた。中国人は西側諸国の民主政治に影響を与え、国連のシステムといった世界の多国間ネットワークを支配している。
中国経済は2024年に景気後退に陥るだろう。北京市統計局のデータによると、今年上半期の北京の外食産業の利益は前年同期比で88.8%も減少し、利益率はわずか0.37%だった。上海統計局のデータによると、同時期の業界全体の利益はマイナスだった。
多くの中小企業が廃業し、利益を得た一部の経営者は、自由と引き換えに「罰金」を支払わなければならない。政権はあからさまな形で「金を奪う」モデルを使い始めており、彼らはさまざまな理由で「拘束」される。
しかし、人民の経済状況がいかに劣悪であっても、中国共産党はタイミングを逸せず、2024年9月初旬に大規模な中国・アフリカ協力フォーラムを開催した。アフリカに対するこうした寛大な「援助」の背後には政治的交流があり、中国は国際政治の目標を達成するため、国連や他の世界の多国間機関において票を稼ごうとしている。
北京の友人らによると、このフォーラムのせいでいたるところで道路が封鎖され、いつもは20分の道のりが2時間もかかったという。北京の交通はすべて、招待されたアフリカ人の友人たちの前で皇帝が「偉大さ」を誇示するために捧げられた。一般市民は交通規制で帰宅できないというのに、メディアはそうした問題を取り上げることはない。慈善団体の友人が先に言ったように、「この国はあなたのものだと思いますか?」と私は問いたい。
この25年間に何が起こったのか?日本で暮らす中国の学者の秦暉氏は、25年前、中国のWTO加盟に関して提起された2つの反対意見を紹介しながら、次のように述べている。
リベラル派は、WTO加盟が実現することを期待し、支持した。中国の政治改革に関して言えば、保守派はWTOへの加盟が中国の体制に変化をもたらすことを恐れ、WTOへの加盟に反対した。しかし、25年後に振り返ってみると、どちらのグループも間違っていたことがわかる。なぜなら、これらの状況はいずれも起こらなかったからだ。
実際に起こったことは、共産党政権が自国の労働者を搾取することで財源を蓄積し、独自の「国際的影響力」を構築するために国際秩序システムを利用したということになる。つまり、全体主義体制を静かに中国国外に輸出し、西側諸国の政治的生態系を大きく変えたのである。
2024年 世界は目を覚ます必要がある
このようなスーパーモンスターを前に、世界はどうすべきか?
学者秦暉氏は西側の民主主義は「目覚める」必要があり、西側は国家間の外交という単純な枠組みを飛び越え、中国の問題を捉えるべきだというのだ。表面的な「米中関係」や「日中関係」の問題ではなく、文明世界のルールに基づいた世界秩序と、対内的に嘘と暴力、対外的に利益を輸出する史上最も強力な権威主義システムとの衝突として捉えるべきだという。
このシステムの最初の犠牲者は中国の一般人だが、強力なファイアウォールとプロパガンダマシンによって中国が作り出した閉鎖的な情報環境と嘘のせいで、世界の他の地域の人々もがヘイト教育の影響を受け、暴徒から迫害される対象になっている。
最近中国で日本人の子どもに対する暴力事件が相次いでいるが、2024年10月2日には、スイス在住の23歳の中国人男性がまずオンラインで国慶節を大々的に祝い、その後チューリッヒで保育園に通う5歳児のグループを襲撃した。
私たちは目覚めるために、何に注意すればいいのか? 次の3つの側面が重要だと考える。
第一に、中国共産党の中国国内での洗脳、特に若者に対する洗脳が加速している。
次のスクリーンショットは、2024年9月に深センの公立小学校2年生の保護者のSNSグループで流れたメッセージだ。「子供の心を党に向けよ」として、ビデオの撮影と提出を要求したのである。
「要求:横向きに撮影、画質がきれいで音声もはっきり、長さは約30秒、字幕を右下に配置。内容:党と祖国を礼賛する詩や歌、あるいは建国への祝いコメント、国慶節関連の書道、写真など」
このような「祖国讃歌」について、李慎之氏は1999年に次のように書いている。
この国力の見せかけは、隠蔽され、改ざんされた歴史と同じくらい非現実的だ。過去数十年間、毛沢東の著書や指示は毎月語られ、毎日読まれてきた。多くの災害と屈辱をもたらしたその犯人は明らかに毛沢東だが、今では彼の罪は錦のキルトで隠されている。
建国50年と大々的に祝賀された「歴史」では、大躍進政策の失敗と数千万人の餓死は依然として「自然」災害によるものとされており、10年にわたる文化大革命の責任は未だに林彪氏と「四人組」に負わせている。
2年間「賢明な指導者」だった華国鋒氏だけでなく、毛沢東の間違いを正すことに多大な貢献をし、長年国のトップリーダーを務めた胡耀邦氏と趙紫陽氏の名前も消えた。目の前の中国は何事においても「事実から真実を求める」原則を貫いていると主張しているが、この「歴史」のどこまでが真実なのだろうか?
今、嘘が加速度的に生み出されている。数多くの「錦のキルト」が作り続けられている。
第二に、中国共産党はプロパガンダに「外国人」も利用する。
2020年7月、中国語が堪能な日本の映画監督・竹内亮氏が武漢に赴き、ドキュメンタリー「お久しぶりです、武漢」を撮影し、多くの感動を呼んだ。共産党の公式メディアである人民日報も取り上げた 。しかし、同じく「リアルな武漢」を記録したために多くの中国人が失踪していることも忘れてはいけない。市民ジャーナリストの張展氏は懲役4年の判決を受けたことは日本でも報じられている。
2022年9月18日、貴州省が新型コロナでロックダウンを開始し、住民は午前3時に数百キロ離れた「隔離ポイント」へ移動するよう強制された。その過程でバスが横転し、27人全員が死亡した。この日、メディアが精力的に宣伝していたのは、日本が満州を侵略した「918国家屈辱の日」についてだった。
もちろん、当時の日本による侵略は悪いことだが、2022年、貴州省の不慮のバス事故で中国の民間人27名が死亡したのは日本のせいなのか? 明らかなのは、バスが横転したという事実を隠蔽するのは難しかったということであろう。
コロナ封じ込めの政策によって、武漢と中国全体で何人が死亡したのか。この数字は今でもわからず、歴史の謎となっている。
第三に、中国メディアの「外国イメージ」に注目すべき。
2006年10月、 安倍晋三首相が中国を訪問した。この写真は中国国営メディアが公開した一連の写真に含まれているのだが、この構図が表現したいことは、非常に明確だろう。
2024年8月、NHKのラジオ国際放送で中国籍のスタッフによる22秒間の「放送事故」が起きた翌週、日本の国会議員の超党派代表団が中国を訪問した。中国のテレビに映った日本の国会議員の映像では、各議員が趙楽際の「演説」に注意深く耳を傾け、敬意を持ってメモを取っている場面が映し出された。
2024年の日本の外務省はこの報道に気づいているのか。 そしてこの報告書が生み出す「日本イメージ」をどう捉えているのか。
2024年以後の世界:何をすべきか?
一般人でもできることは何か。
1.中国共産党の独裁機構と一般の中国人を区別し、中国の「メディア」以外の中国に、中国政府という巨大な組織以外の民間勢力に注意を向ける。彼らは往々にして最前線の犠牲者であり、海外で暮らしているなら、その国の民主主義と法の支配を最も大切にするだろう。
2.過去75 年間の中国の歴史の真実を理解する。時間を見つけ、この作業を継続する中国の学者は数多く存在し、その中には、日本を拠点にしている中国人の学者もいる。
3.現在世界が直面しているのは、中国との外交問題だけではなく、人類文明の将来をめぐる文明と闇のシステムとの対立であり、この戦いには、中国人であろうと日本人であろうと、自由を愛するすべての一般人が参加できる。
4.中国共産党の存在しない中国を積極的に想像し始めるべき。なぜなら、中国共産党によって人質にとられた巨大な中国こそが世界平和に対する最大の脅威だからだ。
記事冒頭の公共団体の責任者のコメントを再度振り返ろう。今の中国は「中国人」のものではない。 中国共産党は75年間「人民に奉仕する」と主張してきたが、実際には「人民に奉仕させた」だけである。 一般の中国人が望む真の民主主義と法の支配を備えた中国だけが、世界文明の過程に溶け込むことができるのだ。
【翻訳:東京大学大学院総合文化研究科 阿古智子教授】