アメリカでは公的機関を中心に導入されている(筆者撮影)

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ポケトークS2(左)と大画面版のポケトークS2 Plus(筆者撮影)

AI翻訳アプリが主流の時代に、あえて専用端末で挑む。日本発のAI通訳機ポケトークは、教育現場から公共サービスまで、アメリカ市場で急成長を遂げている。

5年ぶりの新モデル

ソースネクスト傘下のポケトークは5年ぶりとなる新機種「ポケトークS2」を10月15日に発表した。新機種は、双方向自動翻訳機能を搭載し、世界170以上の国と地域で使用可能なAI通訳機だ。従来のモデルからの大きな変更点は、特に法人や公共機関のニーズに応える形でセキュリティや管理機能が強化されている点だ。ユーザーインターフェースの改善やバッテリー寿命の延長など、実用面での若干の向上も図られている。また、AI技術の進歩により、翻訳の品質も徐々に向上しているという。

興味深いのは、処理性能に関しては5年前の前世代機種と大きな違いがないという点だ。前世代機種にも継続してソフトウェアアップデートを提供しており、サービス利用料を支払えば、継続して使用できる。ポケトーク社は、ハードウェアの大幅な変更よりも、ソフトウェアとサービス面での改善に重点を置いているようだ。

翻訳エンジンについては、言語の組み合わせごとに最も性能の高いものを選択するシステムを採用している。発話からの文字起こしにはOpenAIのWhisperを採用し、一部の言語の翻訳エンジンにはNICTのVoiceTraを採用するなど、得意不得意にあわせてクラウド型サービスを使い分けている。この手法は、常に高品質な翻訳を提供できるというメリットがある。


選択した2言語間で言語を自動識別して翻訳できる(筆者撮影)

新機種の価格設定は、個人向けモデルとビジネス向けモデルで大きく異なる。個人向けの「ポケトークS2」は3万6300円(税込、以下同)、大画面モデルの「ポケトークS2 Plus」は3万9930円からとなっている。

一方、ビジネス向けモデルは「ポケトークS2」が6万6000円、「ポケトークS2 Plus」が7万2600円となっている。すべてのモデルにeSIMによる3年間の通信期間が含まれており、ビジネスモデルには端末管理や利用状況分析が可能な「ポケトークアナリティクス」がセットになっている。


カメラで読み取った内容を翻訳する機能もある(筆者撮影)

アメリカ市場での急成長

ポケトークの事業成長を牽引するのはアメリカでの展開だ。2023年4-6月期の売上高159万3000ドルから2024年7-9月期には426万ドルへと、前期比2.5倍を達成。成長著しいのは教育分野での導入拡大だ。

現在、全米約1万4000学区の約5%にポケトークが導入されている。1学区あたり1000〜5000台規模の大型受注という。政府補助金の活用や、プライバシー保護法(FERPAやCOPPA)への準拠が、教育機関への導入を加速させている要因だ。


アメリカでは教育機関からの受注が稼ぎ頭となっている(ポケトーク提供)

教育分野以外にも、ヘルスケア、ロジスティクス、公的機関など、多言語コミュニケーションニーズの高い分野で採用が進んでいる。これらの市場の潜在規模の大きさから、松田憲幸会長は「アメリカ事業は来年もしくは再来年には100億円の規模になっても全然不思議ではない」と述べている。

ポケトークアメリカ法人の業績も順調で、2024年2月に単月黒字化、同年1-6月期に半期黒字化を達成。9月時点で営業利益率17.8%を記録し、通期黒字化の見通しだ。


アメリカでは公的機関を中心に導入されている(筆者撮影)

専用端末市場でのポケトークの優位性と、ソフトウェアとハードウェアの組み合わせ戦略が、この成長を支えている。アメリカの言語アクセス政策の強化も追い風となり、今後さらなる成長が期待される。

翻訳専用端末はブルーオーシャン

AI翻訳市場は急速に成長しており、特にスマートフォンアプリの分野では大手テック企業を含む多数のプレイヤーが参入し、過当競争の様相を呈している。Google翻訳、Microsoft翻訳、DeepLなど、強力な競合がひしめく中、個々のアプリの差別化が困難になりつつある。

一方、専用ハードウェア市場に目を向けると、状況は大きく異なる。ポケトークの川竹一CTOによれば、AI翻訳に特化した専用デバイスは2〜3種類存在するものの、法人レベルのセキュリティ水準とMDM(モバイルデバイス管理)機能を備えた製品となると、選択肢はポケトークのみだという。この点が、ポケトークの市場での独自性を際立たせている。

松田会長は「彼らの弱みは逆にスマホが必要であること」と指摘する。スマートフォンアプリの翻訳サービスは個人利用では便利だが、ビジネスや公共サービスでの使用には制限がある。多くの企業や組織では、セキュリティリスクを考慮し、個人所有のスマートフォンを業務で使用することを制限している。


低価格で複数人で共有しやすいことは専用端末ならではのメリットだ(筆者撮影)

ポケトークは、これらの課題に対応するため、専用端末戦略を採用している。法人向けの高度なセキュリティ機能とMDM機能の実装により、ビジネスや公共サービス分野での需要に応えている。この戦略には複数の優位性がある。ハードウェアの開発・製造には多くの資本と技術が必要で、これが新規参入の障壁となっている。また、特定の用途に特化したニーズに対して、より適切なソリューションを提供できる点も大きな強みだ。

過当競争のアプリ市場を避け、高度なセキュリティ機能を備えた専用ハードウェア市場という、比較的競合の少ない領域で独自のポジションを確立していることが、ポケトークの現在の成功につながっているといえるだろう。


ポケトークの松田憲幸会長CEO(左)と、ソフトバンクの野崎大地常務執行役員(筆者撮影)

ハイブリッド戦略:専用端末からソフトウェアサービスまで

一方で、ポケトークのサービス群は、専用端末だけにとどまらない。ポケトークアプリ、ポケトークライブ通訳、ポケトークカンファレンス、ポケトーク for スクールといったサービス群を構え、さまざまなシーンでの音声翻訳に対応している。

ポケトークアプリは、スマートフォン向けのAI通訳アプリで、85言語に対応し、カメラ翻訳機能や発音練習機能も搭載している。2022年5月の日本国内での提供開始以降、急速にグローバル展開を進め、現在45の国と地域で利用されている。

ポケトークライブ通訳は、ブラウザベースのAI同時通訳サービスで、さまざまなデバイスで利用可能だ。リアルタイムでの音声およびテキスト翻訳が可能で、オンライン会議や対面会議、セミナーなど多様な場面で活用できる。

ポケトークカンファレンスは、大規模な国際会議やイベントでの同時通訳を可能にするサービスで、10言語から74言語への音声およびテキスト通訳に対応している。聴講者は自身のスマートフォンで簡単に利用でき、専用機材が不要なため準備が容易でコスト削減効果が高い。ポケトークの若山幹晴社長によると、ポケトークカンファレンスの性能に感銘を受けた聴講者が、ポケトークユーザーとなることも多いという。


会議をリアルタイムで翻訳するポケトークカンファレンス(筆者撮影)

教育現場向けには、ポケトーク for スクールというサービスを展開している。このシステムは、教師の発言を生徒の母国語にリアルタイムで翻訳し、タブレットに表示する仕組みだ。若山社長によると、神戸市でのテスト導入を行っているほか、ソフトバンクと協力して多くの教育委員会への導入を進めていく方針だ。


授業をサポートするポケトーク for スクール(筆者撮影)

通信インフラの戦略的転換

ポケトークS2では、通信インフラ面でも大きな転換を図った。これまでKDDI系列のスタートアップであるソラコムと提携していたが、新たにソフトバンクを通じてドイツの1NCE(ワンス)のサービスを採用することを決定した。松田会長は、この変更について「圧倒的な低価格」を主な理由として挙げている。1NCEのeSIMサービスは基本料金が10年間で2000円という価格設定で、173カ国で通信サービス提供が可能となる。


新機種ではKDDI系のソラコムから、ソフトバンク系の1NCEに「乗り換え」を行った(筆者撮影)

この決定は、単なる通信プロバイダーの変更以上の意味を持つ。ソフトバンクとの協業により、販売面での連携も強化され、ポケトークの市場拡大戦略に大きく寄与すると期待されている。松田会長は、この決定が「スピードや対応エリア、通信品質など、総合的に判断した結果」であると説明し、純粋にビジネス的な観点からの判断であることを強調している。

この戦略的パートナーシップの変更は、ポケトークが専用端末市場でのリーダーシップを強化し、グローバル展開を加速させる意図を明確に示している。特に、法人向け市場での競争力を高め、セキュリティや管理機能の面で他社との差別化を図るうえで重要な役割を果たすと考えられる。

日本市場での多角的な展開

ポケトークは日本国内市場においても、言葉の壁をなくす取り組みを積極的に展開している。観光産業では、訪日外国人の増加に伴い、さまざまなサービスを提供している。例えば、家電量販店大手のビックカメラでは、店頭でポケトークを無償貸し出しし、外国人客が自由に店内で買い物ができるサービスを実施している。ポケトークアナリティクスの活用により、ベトナム語話者は免税に関する質問が多いことを確認し、店頭での案内資料の拡充につながったという。


ビックカメラではインバウンド客にポケトークの貸し出しサービスを展開している(筆者撮影)

観光地の持続可能な発展にも貢献しており、小豆島では行政やJTBと連携し、「20年先の小豆島をつくるプロジェクト」に参画している。ポケトークを通じて訪日外国人と地域住民のコミュニケーションを円滑化し、オーバーツーリズムなどの課題解決に取り組んでいる。

企業での活用も進んでおり、モスフードサービスや玉三屋食品では、ポケトークを導入して外国籍社員とのコミュニケーションを支援している。外国籍社員へのトレーニングや現場での意思疎通に活用され、多様な人材の活躍を促進している。

さらに、ソフトバンクとの業務提携を強化している。ソフトバンクは現在138の自治体と包括協定を結んでおり、これらの自治体や教育機関へのポケトーク導入を推進している。例えば、宮崎県日向市では、デジタルノマド誘致の一環としてポケトークの活用が検討されている。

日本発テック企業の新たなグローバル戦略モデル

ポケトークのアメリカ市場での成功は、AI翻訳機器市場における新たな可能性を示している。個人向けから法人向けへ、そして日本市場から世界市場へと戦略を転換したことで、特にアメリカで急速な成長を遂げている。

AI技術と専用端末を組み合わせた戦略は、教育、医療、物流、公共サービスなど幅広い分野でのニーズに応えている。特に、セキュリティやプライバシー保護の要求が厳しい法人市場において、ポケトークは独自のポジションを確立しつつある。

松田会長が掲げる「言葉の壁をなくす」というビジョンは、グローバル化が進む現代社会において重要性を増している。ポケトークの成長は、多言語コミュニケーションの需要の高まりを反映しているといえるだろう。

一方で、AI技術の急速な進歩や競合他社の動向など、市場環境はつねに変化している。ポケトークが今後も成長を続けられるかは、これらの変化に柔軟に対応し、顧客ニーズを的確に捉え続けられるかにかかっている。

(石井 徹 : モバイル・ITライター)