「ほとんどは社会に出ることしか眼中にない」 無期懲役囚が明かす刑のリアル
現役の無期懲役囚として受刑者や刑務所の実態を塀の中から社会に明らかにしている人がいる。自ら仮釈放の可能性を放棄したと公言する美達大和(みたつ・やまと)氏。服役中の彼との手紙のやり取りを通じて、無期懲役という刑罰が持つ意味を考えた。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
●手紙での取材に応じた服役中の無期囚
美達氏は2件の殺人事件を起こし、ある刑務所で30年近く服役している。美達大和というのはペンネームで、獄中から多くの本を出版している。
著書では、受刑者の多くが自分の起こした事件に向き合わなかったり、被害者への謝罪の気持ちを持たなかったりすることなど、塀の中の実情を詳細に記している。
また、無期懲役囚にとって唯一の希望ともいえる「仮釈放」のチャンスを自ら捨てたとも説明している。
そんな美達氏に、獄死することを決めた理由や無期懲役刑が加害者に与える影響について尋ねた。
以下、美達氏とやり取りした手紙の一問一答を掲載する。
●「被害者遺族より早く人生を終える」
(1)ーー無期懲役囚として、なぜ仮釈放を望まずに生きながら刑務所で人生を終えようと決めたのか?
反省した結果、自分にも非があり(自己の信条により他者の生命を奪う事は断じて許されないと)、相手が生き返らぬ以上、自己を殺すか、人生を捨てるとせねば倫理の対称性の点からも納得できず、出ない(社会での人生を捨てる)としました。
今、生きているのは、善行も行ってから終わろうという意味で、被害者遺族の年齢を鑑み、その人の死より早く人生を終える事にしています。全く逡巡も迷いもなく、さっと決めました。
(2)ーー自身は無期懲役刑を受けてどのような変化があったか? その変化は無期懲役という刑罰によってしか実現されなかったと思うか?
物事の受けとめ方につき、複眼的、多様性が加わりました。また、仮に自分が正しく、相手に非がある場合でも、「ちょっと待て。世の中にはこういう人もいるのだ。ま、いいか」となる事が増えています。
「ま、いいか」は妥協的で大嫌いな言葉・態度でしたが、今はこだわりません。有期刑なら、社会で次にどうするのが、また野心マンマンになるのは明白なので、深い反省、省察はなかったのではないか、と捉えています。
(3)ーー無期懲役という刑罰はどんな意味、効果を持つ刑罰だと思うか?
よほどの覚悟がないと仮釈放には至らぬ刑(ただし、大半の芯がない腰抜けの者にはどうってことのない)です。
という刑の反面、ほとんどの者は反省より社会に出ることのみしか眼中にない刑でもあり、効果につき疑問です。
現実は更生、改心より懲罰、社会の保安上、獄に入れておく刑となっていますし、それが妥当です。
(4)ーー無期懲役囚にとって仮釈放はどんな位置付けになっているのか?
仮釈放は、無期囚にとって最大かつ唯一の生きる理由、指標、光となっています。また、放縦にならない、なれない軛(くびき)にもなっています。
●「本当に反省した者を見たことがない」
(5)ーー今の無期懲役刑の処遇や仮釈放の判断、手続きにはどのような問題があると思うか?
「仮釈放(以下、(仮))の基準が当人の表面だけの反省の弁、所内での無事故のみを対象としているので、真の反省は顧慮されていません。
要領良く官に対して反省した振りができる者、一定の年月を無事故ですごした者が(仮)であり、この点の改善は「内心についてはわからない」ので、被害者遺族への慰謝、謝罪状況、被害者遺族との連絡を断られている者(本人は、これで手間がかからないと喜んでいるのが大半)ならば、社会に何らかの奉仕をしていること、などを審査の対象に含めるべきです。
ただし、それにかかわる職員のマンパワーが足りません。私は本当に反省して(仮)になった者を見たことがなく、それなら単に一定の年限(35〜45年)を無事故にすごしたならば自動的に(仮)にするのと変わりません。
また、何か刑務所内で問題が起こる度にメディアは一方的に職員を非とする事も誤りで、刑務官不足を助長しています。