この記事をまとめると

■現存する最古の軽自動車メーカーはスズキだがその前に日本初の軽自動車メーカーがあった

軽自動車規格が生まれた1949年の3年後に日本初の軽自動車「オートサンダル号」が誕生

スズキはその3年後の1955年に軽自動車「スズライトSS」を作った

軽自動車誕生の背景とは

 2023年に日本国内で売れた新車(四輪車・商用車含む)の合計は約477万台。そのうち登録車は303万台で、軽自動車は174万台となっている。おおよそ新車として購入される4台のうち1台は軽自動車となっている。

 これほど日本で普及が進む軽自動車、現存するメーカーとして最古の軽自動車メーカーといえるのはスズキとなるが、じつは日本初の軽自動車メーカーというわけではない。軽自動車的なクルマのルーツには諸説あるが、日本初の軽自動車メーカーは「日本オートサンダル自動車」というのが定説となっている。

 まずは軽自動車規格が生まれた背景や歴史について振り返ってみよう。

 そもそも第二次世界大戦後、日本の自動車メーカーは乗用車の製造を禁止されていた。当初は復興に必要なトラックのみ生産が許可されていたのだ。1947年6月に乗用車製造が一部解禁され、乗用車の生産制限が完全になくなるのは1949年10月のことである。

 時を同じくして、1947年7月に初めて「軽自動車規格」が定められた。当時の規格は以下に示すとおりだが、実際はこの規格を満たす軽自動車は誕生しなかった。

 昭和24年 軽自動車規格
全長:2.80m
全幅:1.00m
全高:2.00m
排気量:150cc(4サイクル)/100cc(2サイクル)

 翌1948年7月には早くも軽自動車規格が変更される。次に示すようにボディサイズを拡大するという文字どおりに大きな進化だった。

 昭和25年 軽自動車規格
全長:3.00m
全幅:1.30m
全高:2.00m
排気量:300cc(4サイクル)/200cc(2サイクル)

 1949年には、エンジン排気量が360cc(4サイクル)/240cc(2サイクル)と変更された。そして1954年に軽自動車のエンジンは2サイクル、4サイクルを問わず360ccに統一されている。ここから1975年12月末まで、軽自動車は「排気量360cc、長さ3.00m、幅1.30m、高さ2.00m」という規格に基づいて最初の全盛期を迎えることになる。

サンダルのような気軽さがウケた!

 さて、日本初の軽自動車となる「オートサンダル号」が販売されたのは1952年12月と伝わっている。エンジンは空冷単気筒で、全長は約2.8mと当時の規格よりやや小さく、最高速度は60km/hだったという。令和の基準でいえば、ミニカーや超小型モビリティに近い乗り物だったといえそうだ。ちなみに、エンジンの始動はキック式だったというから、かなりプリミティブで二輪車寄りの四輪車ともいえるだろう。

 それでも、国民がサンダルのような気軽さでクルマを運転・所有できるようにしたいというオートサンダルの思いが伝わったのか、およそ2年間で約200台が製造された。自動車メーカーになることを目指し、多くの企業がチャレンジした同時代には、プロトタイプを作って終わってしまうようなプロジェクトも少なくなかったなかで、日本初の軽自動車は立派に量産されたのだった。

 なお、筆者が把握している範囲でいえば、規格の全長・全幅を目いっぱい使った軽自動車として初めて量産されたのは、1954年に日本自動車工業から販売された「ニッケイタロー」だ。こちらは全長2950mm・全幅1290mmで、エンジン排気量は358ccだったと伝わっている。

 そして、冒頭でも記したように、現存する自動車メーカーとして最古の軽自動車となるのが、スズキ(当時は鈴木自動車工業)が1955年にローンチした「スズライトSS」だ。ボディサイズは全長2990mm・全幅1298mmで、排気量は360cc。日本初のFF方式を採用し、四輪独立懸架サスペンションも与えられるなど、最新テクノロジーから生まれた意欲作だった。

 余談だが、スズライトSSは4人乗りのセダン(乗用車)だったが、その姉妹車としてライトバン仕様の「スズライトSL」も同1955年に発売されている。こちらは3人乗りとなるが、税制で有利な貨客兼用車とすることで軽自動車を普及させようという商品企画の狙いは、のちの初代アルトに通じる部分もある。名実ともにスズライトはスズキのルーツといえるのだ。