河合優実さん(撮影:梅谷秀司)

「2024年の顔になる」という宣言をしようと思い、このタイミングになってしまった。でもはっきりいって、もう「顔」になったのではないか。

河合優実のことだ。名前を「(かわい)ゆみ」ではなく「ゆうみ」と正しく読める人も増えたことだろう。

そして現在、昨年NHK BSプレミアム(当時)で放送され、好評を博した彼女主演『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(以降「かぞかぞ」)がNHK総合で再放送中。パリ五輪の関係で2週間あいたのだが、今夜からまた再開される。

2024年の夏は、日本全国が、河合優実の埋蔵量に驚いている夏だ。というわけで今回は、そんな彼女のすごみについて確かめてみたい。

河合優実がここまで盛り上がるきっかけ

河合優実がここまで盛り上がる直接的なきっかけとなったのは、この連載でも取り上げた今年1〜3月放送、TBSドラマ『不適切にもほどがある!』における1986年の不良少女、小川純子役のハマり具合だった。

ドラマを成功に導いた主要要因のひとつが河合優実演じる純子であることに、異論は少ないだろう。

次に6月に公開された主演映画『あんのこと』。幼い頃から母親に暴力を振るわれ、さらには10代半ばから売春を強いられ、薬物依存症になってしまうという、『不適切にもほどがある!』にさらに輪をかけた難役。

映画を観た方は、冒頭における薬物依存症姿のリアリティ、特にくすんだ眼光を観て「あぁ、とんでもないものを見てしまった」と思ったのではないか。

さらには、こちらも6月公開のアニメ映画『ルックバック』で、主人公・藤野の声を担当、その少し前、3月公開の映画『四月になれば彼女は』では、全編にわたって躍動する森七菜に割り込むように、一瞬だけ出演するシーンでの存在感に目を見張ったものだ。

そんな「河合優実ブーム」の決定打になるのは、第77回カンヌ国際映画祭の監督週間で国際映画批評家連盟賞を受賞した、9月6日公開の主演映画『ナミビアの砂漠』だろう。

こちら、私は未見なのだが、公式サイトのトップページにどーんとアップになっているうつろな目に鼻ピアス付きの強烈な表情(必見)からして、高確率での成功を確信しているところである。

「かぞかぞ」が河合優実の原石っぷりを感じさせる

そんな2024年の「河合優実ブーム」以前、昨年段階での原石っぷりを感じさせるのが、現在再放送中の「かぞかぞ」である。

父親が突然亡くなり、母親は突然、車いすユーザーの障害者となり、さらに弟はダウン症(実際にダウン症のある俳優・吉田葵の演技が素晴らしい)という、いよいよ切迫した状況の家族に囲まれながらも、明るく、かつ、どこか天然に生きていく主人公・七実が、河合優実に与えられた役どころ。

そりゃあ純子も杏もよかった。『ナミビアの砂漠』の主人公もたぶん素晴らしいはずだ。しかし私にとっては今のところ、ここでの七実が、河合優実にとってのいちばんの当たり役だ。

「1986年の不良少女」や「薬物依存症」ではなく、関西にある学校のクラスに、1人くらいは必ずいそうな女子が七実である。しかし河合優実は、そんな役どころの本質をグイッとつかみ取り、自分=河合優実自身にググッと引き寄せている。

だから、関西出身者である私が抱く感想は、「あぁ、こういう女の子おりそうやわぁ――でも、これは河合優実にしか演じられへんわ」というアンビバレントなものとなる。同様の感想を抱く関西人は多いのではないか(なお東京出身にもかかわらず、河合の関西弁は異常に上手い。朝ドラ『おちょやん』における、同じく東京出身の杉咲花レベル)。

余談ながら、そんな河合優実とコンビを組む、通称「マルチ」役の福地桃子が出色。七実とマルチのやり取りは、何時間でも見ていられる自信がある。

褒め言葉としての「何を演じても河合優実になる」

さて、これまでこの連載では、森七菜、安藤サクラ、川栄李奈、戸田恵梨香など、その時期その時期の旬の女優(最近風当たりの強い言葉だが、あえて使う)を取り上げて、その魅力を分析してきたが、彼女たちと河合優実には、根本的な違いがある。それは「遠心力」と「求心力」の差異だ。

令和における優秀な女優は、一般的に実に器用である。演技力に加えて、覚悟や度胸もあり、千変万化の七変化、どんな役に対しても、驚くほど器用にこなしていく。

ただ河合優実は、「どんな役でも器用にこなす」ではなく、「どんな役でも自分のほうにググッと引き寄せる」感じがするのだ。

つまり「何を演じても河合優実になる」――というと、少しばかり批判めいた言いっぷりに聞こえるかもしれないが、まったく逆で、「久々に出てきたよ、怒涛の存在感が」という、極上の褒め言葉を埋め込んでいる。

このクラスタに加わるのは、最近でいえば、河合優実以外では、門脇麦ぐらいではないだろうか。

このクラスタの特性を、もう少し具体的にいえば、食品や飲料のCMにキャピキャピッと出てきて、CMのラストカットで「♪キャンペーン実施中!」と叫ぶことが、ぜんぜん似合わなさそうということ。無論、こちらも極上の褒め言葉のつもり。

だから7月26日、NHK朝ドラの直後に放送される『あさイチ』に河合優実が出てきたときは、勝手にドキドキした。

特に問題や事件なく番組は進んだのだが(当たり前だ)、「♪キャンペーン実施中!」の似合わない若手女優が、『あさイチ』という、エグみを完全にウォッシングする装置のような番組の中に、ポツンと置かれている異物感が先に立ったのだ。

そして57歳の私は思ったのだ。「この異物感は、かなり前に、昭和の時代に受け取ったことがあるぞ、一緒のデジャヴュだぞ」と――。

「疲労感系」の俳優

この連載で、森七菜を取り上げたとき、森七菜の向こう側に斉藤由貴が見えることを指摘した。また安藤サクラと樹木希林を重ね合わせたこともある。

これらと同様に、よくよく目をこすって河合優実を見てみると、私には、あの女優が見えてくるのだ。

――桃井かおり。

それも1979年の桃井かおり。映画でいえば『もう頬づえはつかない』『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』『神様のくれた赤ん坊』。そしてNTVドラマ『ちょっとマイウェイ』などで、強烈な異物感を振りまいて一気にスターダムにのし上がった頃の桃井かおりが、河合優実の向こう側に見えてきたのである。

異物感の源は、彼女らの発する時代への疲労感だ。2024年の河合優実にも、1979年にも桃井かおりにも「♪キャンペーン実施中!」が似合わない(似合わなかった)のは、彼女たちのほうが、視聴者側より「疲れている(た)」からだろう。

そんな「疲労感系」の俳優は、当然、不景気との親和性が高い。「失われた30年」が行き着き、株価が乱高下する2024年に河合優実、1979年前後の第2次オイルショックに桃井かおり、さらにいえば、第1次オイルショック(1973〜1974年)には秋吉久美子がいた。

映画『もう頬づえはつかない』の冒頭で、木造アパートの中から、気だるそうに窓の外を見つめる桃井かおりが実に1979年的ならば、どんな役を与えられても、遠心力に頼らず、自分のほうにググッと引き寄せ、すべてを割り切り、悟り切った表情で役を演じる、いや「役を演じる」すら超えて、自らの中に「役を飲み込む」河合優実は、この上なく2024年的だと思う。

「かぞかぞ」を自信をもっておすすめできる理由

「かぞかぞ」を自信持っておすすめすることができるのは、昨年、BS時代に「かぞかぞ」を完走したからだ。そんな立場から、ネタバレにならない範囲で、それでも期待を煽るために1つだけ明かすと、全10話のうち、第8話のエンディングがとりわけ素晴らしかった。

「かぞかぞ」は、少々癖のあるドラマだ。なので、河合優実の異物感・疲労感、さらには、独特な味付けの脚本と演出に、身体を慣れさせながら、何とか第8話のエンディングにまでたどり着いていただきたいと、老婆心なから思う。そのときには、もう七実、いや河合優実のとりこになっていることだろう。

パリ五輪の関係で中断していた「かぞかぞ」の再放送が、今夜から復活する。個人的にはパリ五輪中継をほとんど見ていなかったので、七実(とマルチ)とまた会えるのを喜ばしく思っている。

時はお盆を超えて、7月の激烈な猛暑で積み重なった疲労感が、じわじわと身体に響いてくる残暑の季節へと移っていく。それはつまり、河合優実の季節だ。

(スージー鈴木 : 評論家)