「プロ野球人気=巨人」という時代ではなくなった

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 かつて、「有名選手がFAで移籍する」となれば、その多くは「巨人への移籍」を意味した。ところが最近は、必ずしもそうとは限らない。巨人を含む6球団の争奪戦の末、日本ハムを選んだ元オリックスの山粼福也選手もその一例だ。『だから、野球は難しい』(扶桑社新書)の著者で、巨人の一軍戦略コーチ、楽天の一軍ヘッドコーチ、西武の一軍作戦コーチなどを歴任した橋上秀樹氏は、その背景に「球団運営」の在り方を重視するようになった選手側の“意識の変化”があると指摘する。

 (前後編の前編)

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※以下、『だから、野球は難しい』(扶桑社新書)より、抜粋/編集してお伝えする。

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今の選手たちは「何が何でも巨人に行く」という時代ではない

 2023年12月、オリックスの山粼福也が、FAで北海道日本ハムに移籍することが発表された。巨人を含めた6球団での争奪戦となったが、最終的に日本ハムを選んだときには、驚いた人が多かったに違いない。

「プロ野球人気=巨人」という時代ではなくなった

 彼は記者会見の席で日本ハムを選んだ理由を問われ、いくつもの要素を挙げていたが、そのなかで印象的だったのが、

「日本ハムというチームは、これから成長していく球団で、一緒に投手として完成していこうという言葉をかけてもらったから」

 という発言である。

 4年総額10億円という金額でまとまったが、金銭的な条件だけでいえば、ほかにも好条件のチームがあったというし、打撃の得意な山粼にしてみれば、高校、大学時代を過ごした在京のセ・リーグという選択肢だってあったはずだが、それをすべて蹴って日本ハム入りを決断した。

 かつて「人気のセ、実力のパ」と言われていた時代もあったが、今は「人気・実力ともにパ」の時代になったとも言えるし、昔のように「何が何でも巨人」という時代ではなくなった証左と言えよう。

 さらに山粼はこんな言葉も残している。

「僕自身、長く野球をやりたいという夢があり、それが可能なのは日本ハムだと思ったんです」

 つまり、「人気球団で注目されながら野球をする」というのは、今の若い人たちには当てはまらないというわけだ。

 だが、そうした変化を私はまったく否定するつもりはないし、そうした考え方もアリだと思っている。むしろ大切なのは、各球団のフロントや現場の人たちが、昔とは違う若い人の気質の変化を冷静に受け止め、「自分たちはどう変わっていくべきか」という危機感を持つことだろう。

 かつてのように、巨人戦が地上波の全国ネットで放映される時代ではない。地方に行けば、地元球団の試合が放映され、昔と比べて巨人ファンの数も減ってきている。

 変わり続ける状況のなかで、球場と一体となって楽しめるファンサービスもさることながら、将来性豊かな若い選手をスカウティングし、育てていなければならない。

 かつてのように、今や「FA=巨人」であったり、「プロ野球人気=巨人」という時代ではないことを、読売ジャイアンツの関係者が熟知したうえで、どういった球団運営をしていくべきなのか。これらの要素が不可欠な時代に突入しているのだ。

3連覇を果たしたオリックスから学ぶべきもの

 今、12球団のなかでトップレベルの実力を誇るのは、オリックスと言っていい。走攻守ともにバランスがとれていて、とくに投手力は12球団でも頭ひとつ抜けていると言っても過言ではない。

 今から4年前までのオリックスは、12球団のなかで人気・実力ともに劣ると見られていた。イチローがメジャーに挑戦した2001年以降の成績は、Aクラスが2回(08年と14年の2位)、あとはすべてBクラスである(4位5回、5位4回、6位9回)。

 また2016年からの5年間のチーム成績は、6位、4位、4位、6位、6位と下位を低迷していた。

 そうした時代を経て、2021年からのパ・リーグ3連覇である。突如として迎えた感のあるオリックスの黄金期にうれしさと同時に戸惑いを見せているオリックスファンも多いかもしれない。

 だが、これはチーム戦略が見事に実を結んだ結果である。私が考えるところでは、福良淳一さんがオリックスの監督を退いてGM兼チーム編成部長になったあたりから結果が出だしたと考えている。

日本ハムとオリックスの共通点

 福良さんは2013年からオリックスのヘッドコーチ、16年から3年間、監督を務めたが、それ以前の05年から12年までの8年間は、指導者として北海道日本ハムに在籍していた。

 このときチームの強化方針を学んだことが大きかった。今もそうだが、日本ハムは2004年に北海道に本拠地を移転させてからは、ドラフトで獲った選手を成長させてチームの中心選手に据えていく「育成型のチーム」を目指した。

 この間に獲ったのはダルビッシュ有(2004年ドラフト1位)、陽岱鋼(2005年ドラフト1位)、吉川光夫(2006年ドラフト1位)、中田翔(2007年ドラフト1位)、大谷翔平(2012年ドラフト1位)と高卒の選手を1位指名し、その後のチームの躍進に大きく貢献した。

 これと同じ方針をオリックスも採った。若月健矢(2013年ドラフト3位)、宗佑麿(2014年ドラフト2位)、山本由伸(2016年ドラフト4位)、宮城大弥(2019年ドラフト1位)、紅林弘太郎(同年ドラフト2位)、山下舜平大(2020年ドラフト1位)と、オリックスの優勝に貢献したのは、彼ら高卒選手の存在が大きい。

 日本ハムとオリックスに共通しているのは、「お金のかかるFAに頼らず、優秀な素質を持った高卒の選手を自前で育てる」という方法をとっていることである。実はここに、選手育成のヒントが詰まっているように思える。

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 この記事の後編では、引き続き『だから、野球は難しい』(扶桑社新書)より、阿部新監督“新生巨人”に求められるポイントをご紹介する。

橋上秀樹
1965年、千葉県船橋市出身。1983年ドラフト3位でヤクルトに捕手として入団。野村克也氏がヤクルトに就任して以降、外野手として一軍に定着。92年、93年、95年のヤクルトのセ・リーグ優勝に貢献した。2005年に新設された東北楽天の二軍守備走塁コーチに就任し、シーズン途中からは一軍外野守備コーチに。07年から3年間、野村克也監督の下でヘッドコーチを務めた。2012年からは巨人の一軍戦略コーチに就任。巨人の3連覇に貢献した。15年から楽天の一軍ヘッドコーチ、16年からは西武の一軍野手総合コーチ、一軍作戦コーチを務め、18年の西武のパ・リーグ優勝に大きく貢献した。19年は現役を過ごしたヤクルトの二軍野手総合コーチを務め、21年からは新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの監督を務めている。

デイリー新潮編集部