「タモリ倶楽部」“空耳アワー”の“尻俳優”だった有田久徳さん(C)日刊ゲンダイ

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 有田久徳さん(47歳)

 タモリの冠番組「ブラタモリ」(NHK)がこの3月に終了。1年前には「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系)も終了し、とくに“空耳アワー”ファンは寂しく感じているだろう。VTRで裸になり、よく尻を出していたのがお笑いコンビ「ダンサブル」の有田久徳さんだ。有田さん、今どうしているのか。

  ◇  ◇  ◇

「『タモリ倶楽部』終了は、23年2月にテレビ朝日から発表されたときに、初めて知りました。発表の前日ぐらいに、“空耳アワー”の撮影にコロナを経て久しぶりに呼ばれ、スタッフさんらと『またよろしく』と挨拶し合ったところだったのでショックでしたね。30〜40代の15年間ぐらいずっと出演させていただき、撮影のある隔週土曜日はスケジュールをずっと空けていたので、それがなくなって、僕の青春が終わったような寂しさを感じました」

■高円寺で居酒屋「小粋」を経営

 JR高円寺駅から徒歩4分の「小粋」で会った有田さん、まずはこう言った。

「小粋」は有田さんがオーナーの串焼きや煮込みがメインの大衆居酒屋。有田さんは、お笑いライブや、コンビでのユーチューブ「むしりとるチャンネル」などで活動する以外は、この店の経営に注力しているという。

「もともとは、この店の常連客でした。マスターが2年前、コロナの影響や子どもの誕生をきっかけに店を閉めると聞き、居抜きで買わせてもらいました。僕は北千住とかにある安い店を食べ歩き、飲み歩きするのが大好きだったので、その経験を生かし、メニューを一新し、若手芸人でも通えるような、安くてうまい店をコンセプトにやっています」

 店内の黒板などに手書きされたメニューを見ると、テッポウ、ハツ、トントロなど豚の串焼きや煮込みが1本150円から、チャータク丼400円、ホルモン焼きそば600円、生ビール550円と、確かに手頃な価格だ。

 掃除が行き届いた店内は、テーブル席8席、カウンター7席と、こぢんまり。

「経営は順調です。でも、自分で料理をして出すのは初めてなので、不慣れで準備に時間がかかり、店を開けるのは午後3時なのに、朝8時には店に来て、仕込みなどをしています。深夜1時ごろに閉店後、ここから歩いて5分ほどの駄菓子バー『BJ Bar』に顔を出してから帰宅する毎日です。体はしんどいですけど、ネタ作りに悩んで寝られないのより、精神的には楽ですよ」

「BJ Bar」も有田さんの店で、10年ほど前に前オーナーの勧めで譲り受けたという。

「『いつまでも、バイトで生活する若手芸人ではいられないだろう』って。僕は人との出会いには恵まれているんですよ。バイトに任せている『BJ Bar』の経営も順調です。芸人以外の才能はあったみたいですね(笑)。でも、芸人も楽しいので、やめませんよ」

■1月に娘が誕生

 女性との出会いにも恵まれた。36歳のとき、「BJ Bar」の客だった7歳年下のエステティシャンと結婚。39歳で離婚したが、2年前、11歳年下のメーキャップアーティストと再婚した。

「前の奥さんには家賃を払ってもらい、ご両親には家を買ってもらい、男の子も生まれたのですが……。再婚した奥さんは、最初の結婚の披露パーティーのときにメークをしてくれた女の子なんです。こう言うと、どうしようもない人生ですね(笑)。どうも1人では生きていけないタイプみたいで、今回も奥さんが家賃を払ってくれて、ときには店にも立ってくれています。こんな僕でも、奥さんのご両親は、“空耳アワー”を見ていたので、結婚を認めてくれました」

 この1月には娘が誕生。前妻の元で育つ息子に会えない寂しさを、癒やしてくれているそうだ。

 さて、千葉県松戸市出身の有田さんは、小松原高校3年のとき、同級生の朝倉淳二に声をかけられ「ダンサブル」結成。96年、オーディションを受け、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)でデビューした。

 30歳のころ、深夜バラエティー「タモリ倶楽部」の“空耳アワー”に出演を始め、よく裸になり尻を見せていたことから“尻俳優”などと呼ばれ人気を得た。

「最初は、たまたま僕のスケジュールが空いていて、事務所に『行け』と言われるままに現場に行きました。現場ではほかの出演者3、4人と並んで、いきなり尻チェックをされ、僕の尻が選ばれたんです。運が良かったですね。体毛が薄いので映しやすかったみたい。それでも、毎回、撮影前にスタッフさんがT字カミソリで尻の割れ目の毛を剃ってくれたんですよ(笑)」

「セミを食べたり、土に埋められたり……NGはなかったです。VTRは全部で200本ぐらい出演したかなぁ。1日で8本撮ったりしていました。ギャラは安かったですが、お金じゃない。いい画を撮ろうと一生懸命のスタッフと一緒に仕事をし、仲良くなれて、視聴者にも喜んでもらえましたから」

 高円寺のマンションに、家族3人暮らし。

 (取材・文=中野裕子)