プロデビュー戦でホールインワン…女子ゴルファー幡野夏生がプロテスト合格のためにコーチを変え続けてきた理由
■フジサンケイレディスの初日に放った劇的な一打
2018年の「フジサンケイレディスクラシック」の初日、川奈ホテル富士コースの名物パー3、17番ホールでホールインワンを達成した選手がいた。その日、プロとしてレギュラーツアーのデビュー戦だった幡野夏生だ。
17番は大きく裾野が広がった砲台グリーンで、古くから難ホールとして知られている。1987年の「フジサンケイクラシック」、難度の高い右の崖下から放たれた尾崎将司の劇的なチップインバーディーが今でも語り草になっているのは、このホールが特別に印象的なレイアウトであることと無関係ではない。
この年、ホールインワン賞にかけられた賞金は800万円。幡野は一振りでそれを手中にした。
■「壮大なドッキリかと思った」あのコメントから6年
このホールインワンを有名にしたのが、カップインした後の幡野が見せたリアクションの面白さだった。幡野は耳をつんざくような絶叫で、ピョンピョンと飛び跳ねながら、その喜びを表した。これまでのゴルフトーナメントでは、見ることのなかった天真爛漫な振る舞いが多くの人の印象に残った。
「壮大なドッキリかと思った」というコメントも面白く、インタビューの受け答えからもスター性を感じさせる存在だった。
奇(く)しくもその日は幡野の父親の誕生日でもあり、名物難ホール、かつ高額賞金、そしてデビュー戦とそれらを重ねる運を持った選手が現れたことで、とりわけ記憶に残る一打だった。
それから6年、今も幡野夏生はギャラリーの目を惹き、楽しませることに長けたエンターテイナーだ。その明るいプレースタイルに魅了されるファンも多く、あえて言えば、とてもプロ向きの選手だと言えるだろう。
しかし、現在の幡野が過ごしているプロ生活は、あのホールインワンを達成した頃に思い描いたものからは遠ざかりつつある。
■プロテストに7回挑戦するも合格ラインを突破できず
幡野夏生は、本稿を書いている現在、JLPGA(日本女子プロゴルフ協会)プロテストに合格しておらず、現在はJLPGAツアーへの参戦ができる状況にない。
幡野がJLPGAのツアープロとして活躍したのは、TPD単年登録制度を活用した2018〜2019年の2年間。川奈でのホールインワンの次の年、2019年には、レギュラーツアーを主戦場に戦い、最高位は富士通レディースでの5位。2部にあたるステップ・アップ・ツアーの「フンドーキンレディス」でも2位と健闘している。
ところが、JLPGAの制度改定に伴い、TPD単年登録が廃止され、2020年からはツアーに参戦できるのがプロテスト合格者のみとなった。それ以降、幡野の目標はツアーでさらなる活躍をすることではなく、プロテストに合格することになる。
高校を卒業してから現時点までで、幡野はプロテストに7回挑戦していて、そのうち6回は最終予選まで進出している。
これはプロテストを目指す女子選手としては、かなり優秀な戦歴ではある。競争が熾烈になっている現在のJLPGAプロテストでは、実績のある選手であっても簡単に最終予選までたどり着けないのが、今の現実だ。
しかし、何度も最終予選に進んでも、毎年の20位タイという合格ラインを境に、全く異なった扱いを受ける。連載第1回〈プロテスト不合格は11回…女子ゴルファー笹原優美がそれでも「私はゴルフのプロ」と断言する理由〉でも紹介したように、合格した人は○(マル)、不合格なら×(バツ)と線引きされる。いくら安定した成績を上げていても、合格しなければ、意味を成さない。
「テストに落ちてしまうと、その一年間取り組んできたことが、全て間違いになってしまう」と幡野は言う。何度、最終予選に進んでも、結局、何も掴んでいないという感覚のほうが強くなるのは無理もないことだ。
■最も熾烈で、最も合格に近づいた2019年
幡野のキャリアにとって、最もターニングポイントだったのは2019年だろう。直前のレギュラーツアー、「富士通レディース」で単独5位に入り、調子は上々だった。シード選手たちとの戦いで上位に入り、自信にならないはずがない。それなりの充実感を持って、最終プロテストに臨んだ。
好調をキープしていた幡野は、2日目までで3位タイの順位で終えて、インタビューにも応じていた。「落ちても合格しても楽しい人生だと思って、ハッピーな感じでトップ合格を目指します」とコメントも滑らかで、自信をのぞかせていた。自身でもいけるという手応えがあっただろう。
3日目に「76」と崩してしまったが、トータル「−1」の17位タイとまだ合格圏内。十分に巻き返せるチャンスはあった。後知恵になるが、合格ラインは1オーバーだったので、最終日2オーバー「74」でも合格できた。その時の幡野の実力であれば、決して高いハードルではなかったはずだった。
■笹生優花と西郷真央が「ギリギリ合格」というハイレベル
ところが、最終日となる4日目。経験したことのない緊張と不安が幡野を襲う。特に、手が震えてパッティングが全く打てなくなってしまった。自分でも何が起きているのかわからないほど混乱し、「79」と大きくスコアを崩してしまった。
幡野の不運は2つある。
ひとつはこの年、制度変更によってレギュレーションが変わる初めてのプロテストだったということ。次の年からは、原則的にプロテスト合格者しかツアーに参戦できなくなるため、合格しなければツアープロとして活動する権利を失うことになる。
特に過去2年間ツアー参戦していた幡野のような選手にとっては、職を失うかもしれないプレッシャーは小さくなかったろう。
もうひとつは、この年のプロテストが近年でも例を見ないほど、有力選手が揃(そろ)った過酷なものだったことだ。
合格した選手の中には、現在、2年連続賞金女王の山下美夢有をはじめ、吉田優利、西村優菜、安田祐香、セキ・ユウティンとトップクラスの選手が集まっていた。2021年の全米女子オープンに優勝した笹生優花と、現在すでにレギュラーツアーで6勝している実力者、西郷真央の2人は、合格ラインの18位タイで合格。どこかで1打落としていれば不合格になっていたのだ。
最も合格に近づいた年が、歴史上、最も熾烈なプロテストだった。こうした経験を重ねていくことで、幡野は勢いでプレーできていた以前とは異なり、少しずつゴルフの怖さを知るようになったという。
■三觜喜一プロに教えを請うようになる
現在の女子選手たちの大半は、スイングをチェックしたり、コース攻略などをアドバイスするコーチと契約している。結果を出せるコーチには、より多くの選手が師事を仰ぎ、中にはプロと同等以上に注目を集めるコーチもいる。
幡野はそのスイングコーチを頻繁に代えている選手として、知られている。
もともと幡野は、日本におけるプロコーチの第一人者のひとりである井上透プロの指導を受けていた。件のホールインワンに象徴されるように、幡野のキャリアの序章は上々の滑り出しと言えた。QTを突破し、ツアーに参戦することもできた。これは井上プロの指導の賜物といってよいだろう。
しかし、ツアーに参戦して思うような結果が出なかったとき、この人に習ってみたいと思ったコーチを見つけた。YouTubeによる動画配信が人気で、コーチとしての知名度を高めていた三觜喜一プロだ。
すぐにコンタクトを取り、スイング動画を送ったところ、「こういうミスが出るでしょ?」と指摘され、それが的確だったことから、幡野は三觜プロに教えを請う決断をする。
■「三觜さんにはめっちゃ恩があって、今でも感謝しています」
「三觜さんに習ってから、本当、急に良くなって。教えられてから2週間で、ステップ・アップ・ツアーのフンドーキンレディスで2位になりました。それまで予選落ちが続いていたレギュラーツアーでも、富士通レディース5位になって。まさにマジックですよ(笑)。
三觜さんにはめっちゃ恩があって、今でも感謝しています」
しかし、その年、2019年のプロテストに敗退し、幡野は自分に何が足りないのか、さらに模索する必要があった。好調だったショットも再現性が十分でないことを感じていた。
そこで、紹介してもらったり、自分でコンタクトを取ったりして、他のコーチの指導も受けるようになった。三觜プロにコーチを代えて好成績になったことは、幡野にとってある種の成功体験になったのかもしれない。自分に足りないものを得るために、幡野はそれからさまざまなコーチの門を叩くことになる。
その中で初めて、本格的なゴルフスイング理論を学び、新飛球法則(Dプレーン)と呼ばれる弾道計測器を活用するうえでのベーシックな知識も知った。自分の知識不足も痛感したという。
「井上さんには、弾道計測器の数値の意味はわかっていたほうが良いよ、と言われていたんですけど。初めてそういうことを学んで、自分が本当に何も知らないなと感じました」
■ひたすらスイング改造を追求する日々
プロになろうとしているのに、自分が基本的なスイングの知識すら知らないという想いは、幡野をよりスイング改造への道へと突き動かしたかもしれない。何も知らないから、スイングが良くないから、自分にはそこが足りていないんだ、と感じるのも無理はない。
幡野はある時期から、スイングの研究に没頭し、スイング改造を追求するようになった。練習では、必ずスマホで撮影しながら一球ごとに動きをチェックし、ラウンド中であっても新しい動きを覚え込ませるために、何度も何度もドリルを繰り返していた。スイングを良くすることが、自分の問題を解決すると信じて疑わなかった。
一方で、あまり考えすぎてもカラダはスムーズには動きにくいものでもある。たくさんの言葉が入ってきたり、随意的にカラダの局所を動かそうとすると、運動のパフォーマンスは下がる傾向にある。これは、ラケットやバットでボールを弾き返すときに、腕やカラダの動きを意識しないことを思い出せば、理解しやすいだろう。
無意識に近い状態で、反射的に動くほうが運動のパフォーマンスは向上するのだ。
私(筆者)は、この取材の中でツアー20勝のトップ選手、鈴木愛プロのスイング改造の話をした。
2019年に7勝をあげ、賞金女王に輝いたスイングをここ2年あまりで大改造を行い、その結果、賞金女王時代よりもはるかにショットの安定感が向上したという。それを示すように、2024年シーズンは序盤から2勝と好調だ。
スイングが良くなったので、「昨年の最終戦、難しい宮崎カントリークラブでも本当に楽に気持ちよく回ることができた」という、鈴木プロのエピソードを話した。ほんの世間話のつもりだったが、幡野はボソッと「やっぱりスイングなんだ……」とつぶやいた。私はこの話をしたことを少し悔いた。
■メディア露出の裏で、モラトリアムに苦しんでいる
2020年のコロナ禍によって、女子プロゴルフ界も激震に見舞われた。シーズン序盤の試合は全て無くなり、2020年のプロテストは、次の年に開催されることになった。
仕方がないこととはいえ、プロスポーツ選手の20代前半の一年は非常に貴重だ。
「やっぱりショックでしたね。この宙ぶらりんの期間がまた一年伸びるんだと思いました」と幡野は思い返す。プロテストに挑戦する選手は、メディア露出も多く、スポンサーもついたりすることで、揶揄する声も少なくないのだが、当の本人たちは、このプロでもアマでもないという、微妙なモラトリアムに苦しんでいる。
「プロテストを受かっていないという劣等感と罪悪感があって。頑張ろうという気持ちは、もちろんずっとあるんだけど。メンタルの浮き沈みが激しくなったりして。プロテスト受けてる子たちはたぶん皆、病んでますよ(笑)」
みんながみんなそうではないだろうが、プロテストに挑戦する選手たちの置かれている立場は、多くのファンが思っているよりも心の負担の大きいものなのかもしれない。
そして、その頃からスイング作りに取り組む幡野に、イップスの症状が現れはじめる。イップスとは、同じ動きを繰り返し行うスポーツ選手に起きる運動障害のことで、意図しない動きを反射的にしてしまったり、手などにしびれを感じたりする症状が出る。
イップスの症状は、パッティングや距離の短いアプローチに出ることが多いが、幡野はスコアメイクの要であるアイアンショットにも症状が出たという。その頃、ゴルフメディアに「ショットがひどくて、どこに飛ぶかわからない」というコメントを掲載した記事が載った。
「イップスはアプローチもパッティングも一通り経験していて、中でもその時期、ショットがひどくて。アイアンで隣のホールまで打ってしまったりしました(笑)。
テークバックの段階から気持ち悪くて、切り替えしてからクラブが下りてこなくなったりとか。これはもう選手としては無理だなと思ったこともありました」
■「自分に納得のいくまで、教えを乞おう」という姿勢
イップスによる極度の不振で、思うようなゴルフが全くできない時期が1年近く続いた。幡野が唯一、最終プロテストに進出できなかった2021年6月のプロテスト(2020年度)はそんな状態で受験したものだった。
幸い、アメリカ人のクロセティア・マイケル氏、通称“キウイコーチ”に指導を受け、イップス症状は改善したという。
「未だに気持ち悪さはまだ残ってるんですけど、おかげでイップスの症状は良くなりました。キウイコーチは理論派で、教え方もすごく良かったんですけど、コミュニケーションが英語なので。私の英語があまりにもつたなくて。結局長く続けることができませんでした」
その結果、その後も何人もの著名なコーチのところを訪ね、教えを請うたという。
『山月記』で有名な作家、中島敦に「悟浄出世」という短編がある。人生に苦悩する悟浄が、幻術師や高僧などにその難問を訪ねて放浪する話だ。まるで悟浄のように、幡野もスイングに悩み、煩悶し、さまざまな有識者を訪ねて、答えを求めつづけているように見える。
■プロテストのために約400万円の会員権も購入
振り返ってみて、2019年と並んで、幡野にとって重要な年となったのが2023年のプロテストだ。
前年、2022年に最終プロテストまで進んだ幡野だったが、扁桃腺の腫れによる高熱によって棄権してしまった。幸い、救済処置がとられ、2023年のプロテストを幡野は最終予選から受けることができた。他の選手と比較しても、かなり有利な条件でテストを受ける事ができる。
このチャンスを逃すわけにはいかない。幡野はその1年間、今まで以上に全てのリソースをプロテスト合格に注いだ。
最終プロテストの会場は、岡山県にあるJFE瀬戸内海ゴルフ倶楽部。ミズノオープンや日本女子プロなど、多くのトーナメントが開催される一流コースだ。
幡野は、約400万円と言われるこのゴルフ場の会員権を購入。そして、コースの近くにマンスリーマンションを借り、短期移住してコース攻略のための練習ラウンドを繰り返した。おそらく、引っ越しまでして、プロテストに備えた選手は、過去にもほとんど例がないだろう。
■スポンサー、イベント収入、資産もすべて注ぎ込んだが…
それだけの準備をしようとすると、費用も決して小さいものではない。生活費も練習代もかかるし、仕事や他の試合があれば遠征費用もかかる。
プロテストに挑戦する別の女子選手は、「夏生ちゃん、よくお金が続きますよね。大きなスポンサーがついてたりするのかな」と話していた。同じ境遇であるだけに、費用がどれだけかかるかもよくわかるのだろう。
しかし、残念ながらそれほど大きな支援はどこにも存在しなかった。幡野は数社のスポンサーとイベントなどの仕事をやりくりしながら、自分で費用を捻出している。幸い、冒頭のホールインワン賞金もあった。自分の資産も注ぎ込んで、プロテストのために自分がやれることを全て準備して備えた。
しかし、そこまでしても。退路を断って、自分の情熱とリソースを全て費やしても、最終プロテストに合格することはできなかった。
2023年最終プロテストにおける幡野は、4日間2オーバーで61位。上手くはいかなかったかもしれないが、決して悪いスコアではない。十数年前ならゆうゆう通過する可能性のある成績だ。
この年の通過ラインは、5アンダー。天候が良かったこともあり、事前の関係者の予想よりもかなり上振れしたスコアになった。
■明るいプレースタイルの裏で血を流し続けている
トップ通過の清本美波は2005年生の18歳。スコアは17アンダーだった。ここ数年で、女子選手のレベルが大きく上がり、そして若い選手の勢いを感じるスコアだった。幡野もかつてそうだったように、若さゆえの自信で突っ走れる選手たちは強い。
「今の私は、ゴルフの怖さを知ってしまってるので。自分でもイケイケでやれていたころの感覚が、イップスになってから本当になくなってしまって。怖い、という気持ちが出てくると、ゴルフってこんなに変わっちゃうんだと感じてます。若い子たちは、そういうのは知らないから、勢いは感じますよね」
冒頭では、幡野が明るいプレースタイルでギャラリーを楽しませるエンターテイナーだと書いた。コミュニケーションも実に巧みで、頭の良さを感じる瞬間も多い。誤解を恐れずに言えば、とてもプロ向きの選手だと感じる。
ツアーを離れてから数年が経っても、未だに多くのファンを持ち、注目される存在であるのも彼女のそんなパーソナリティからきている。
しかし、プロテストに何度も挑戦しながら、合格に手が届きかけては敗北し、スイングイップスによる選手生命を脅かすほどの不調に喘(あえ)ぎ、虎の子の財産さえも底をつきかけている。表層の天真爛漫な姿とは裏腹に、その裏では血が流れ続け、内出血の激しい痛みでその心は深く傷ついているように見える。
■若い選手には「私のような思いをしてほしくない」
刀折れ、矢が尽きても、まだ幡野はファイティングポーズを取り、戦おうとしている。2023年、プロテストに敗れた翌日から、幡野は練習を再開した。
「一番言いたいことは、これから出てくる若い選手たちが、私のような思いをしてほしくない、ということなんです。でも、今言っても仕方のないことなので、テストに合格して、それを発信したいです」
第1回記事の笹原優美は、自分のことを「ゴルフのプロ」と呼んだ。幡野はなんと名乗ってるのだろう。
「女子ゴルファー、ですかね……。自分が何者なんだ? と聞かれたときに、未だに何者でもないなというのがあります。そこを埋めたいですね。
私は、負の経験を積みすぎてしまっているけど、どうせダメなんだと思ってしまう自分の気持ちに勝ちたい。女子ゴルファーのままで終わるのは嫌なので。下剋上というか、反骨心ですね。このまま終わりたくないという気持ちが強いです」
現在、幡野はエンジョイゴルフ福岡の高武(こうたけ)大輔コーチに師事を仰ぎ、スイング改造に取り組んでいる。疑問点を明快に答えてくれるという理論派である高武コーチのことを「この人でダメなら私は終わりです。私にとっての最後のコーチです」というほど信頼している。
よりコーチから指導を受けやすくするためという理由で、現在、幡野は福岡県に移住している。まず住むところから変えるのが、なんとも彼女らしい。傷ついた心を胸の内に隠しながら、今年も幡野はプロテスト合格のために、自分の全てを費やしている。(第3回につづく)
1997年生まれ。高校在学中の2015年に韓国女子ツアー(KLPGA)でプロデビュー(※日本人選手初)。2018年の「フジサンケイクラシック」では予選会から勝ち上がり、本戦でホールインワンを達成した。2019年「富士通レディース」5位。
JLPGAプロテストは7回挑戦し最終予選に6回進出するものの、いずれも不合格。明るいプレースタイルに魅了されるファンは多い。神奈川県出身。
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コヤマ カズヒロゴルフライター
1974年生まれ。ゴルフトレンドウォッチャー。1999年に大手ゴルフショップチェーンの立ち上げに参加。以降、ゴルフ用品小売を中心に製品開発・マーケティングなどに従事。2012年からライターとして、雑誌・WEBメディア等に寄稿。21年にYouTubeチャンネル「コヤマカズヒロのゴルフ批評」を開設。
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(ゴルフライター コヤマ カズヒロ)