佐津川愛美、清純派から一転…転機になった“陰キャ役”。長時間におよぶ壮絶なお風呂シーンでは「具合が悪くなって(笑)」
2005年、映画『蝉しぐれ』(黒土三男監督)でスクリーンデビューを飾り、第48回ブルーリボン賞助演女優賞にノミネートされた佐津川愛美さん。
大きな瞳とキュートなルックスで人気を集め、清純派若手女優として多くのドラマ、映画に出演。2007年、映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(吉田大八監督)で、それまでのイメージを覆す個性的なインパクトのあるキャラを演じ、第50回ブルーリボン賞助演女優賞と新人賞の2部門にノミネート。腹黒いブリッ子やゴスロリ少女をはじめ、個性的なキャラにも挑戦。
2024年4月5日(金)に主演映画『毒娘』(内藤瑛亮監督)が公開になる佐津川愛美さんにインタビュー。
◆地元で14歳のときにスカウト
静岡県で生まれ育った佐津川さんは、小さいときから活発で、3歳のときにダンスを習いはじめ、小学生のときには、ジュニアオリンピック新体操全国大会に出場した経験もあるという。
「今振り返ったらジャズダンスなのかな? 創作ダンスのようなものを3歳から習っていて、小学校2年生からは新体操。昔からからだを動かすことで表現することが好きだったんだと思います」
――14歳でスカウトされるまでは、芸能界に入ることは全然考えてなかったのですか?
「地元のミュージカルには出たことがありましたが、本気でその道にとは思っていませんでした。本当によくわかってなかったというか、『チャンスがあるならやってみよう』ぐらいで。女優さん、タレントさん、モデルさんというようにジャンルが分かれていることもわかってなかったです。テレビに出ている人は皆さん芸能人みたいな感覚でした」
――スカウトされる前はどのような学生生活でした?
「ずっと新体操をやっていました。クラブチームに入って本格的にやっていたので、毎日毎日練習で、放課後も友だちと遊べないほど練習していました。
夏休みとか土日には大会があったので、すごくいっぱい練習するみたいな感じで、とにかく一生懸命新体操をやっていました」
――スカウトされたときはどのような感じだったのですか。
「声をかけてくれたのがホリプロでした。親が大きい事務所だということで安心したようで、応援してくれて。当時中学2年生だったので、卒業するまでは静岡から東京に通って、高校入学と同時に東京に出てきました」
※佐津川愛美プロフィル
1988年8月20日生まれ。静岡県出身。2005年、『蝉しぐれ』でスクリーンデビュー。映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』、映画『ヒメアノ〜ル』(吉田恵輔監督)、『最後から二番目の恋』(フジテレビ系)、朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』(NHK)、主演ドラマ『サブスク不倫』(TBS系)など出演作多数。2024年4月5日(金)に公開される主演映画『毒娘』(内藤瑛亮監督)の他に、『バジーノイズ』(風間太樹監督)、『かくしごと』(関根光才監督)の公開が控えている。
◆助演女優賞にノミネート
2005年、佐津川さんは、映画『蝉しぐれ』でスクリーンデビューする。この映画の舞台は、江戸時代の東北の小さな藩。父が藩の世継ぎを巡る陰謀に巻き込まれて切腹を命じられ、生活が激変した文四郎(市川染五郎)の成長、彼を慕う武家の娘ふく(木村佳乃)との淡い恋を描いたもの。佐津川さんは、ふくの少女時代を演じた。
「最初の演技のお仕事が『蝉しぐれ』で、公開の2年ぐらい前から撮影していました。中学3年生の秋と冬に静岡から上京して撮影し、高校1年生の夏に一番長いパートを撮影しました」
――『蝉しぐれ』に出演することが決まったと聞いたときはいかがでした?
「今思えば、すごく大きな作品だとわかりますけど、当時は何もわかっていなかったので、決まったと言われても実感がありませんでした。監督とお会いしてお話をさせていただいて、その日の帰りには『決まりました』って、すぐ連絡してくださって。事務所の方も『良かったね』みたいな感じでしたが、そんなにすごいことだということもわかってなかったです。
演技の経験をしたことがなかったので、当時のマネジャーさんが撮影に入る前に、事務所で開かれていた演技レッスンに出るようにということで、週に1回演技レッスンに静岡から通いました。木曜日だったと思うんですが、学校が終わってから東京に来て。
そのときのマネジャーさんは、映画が決まっていたので、コミュニケーションの取り方などを学ぶ意味合いで行かせてくれたんですが、その演技レッスンの時点で、参加されている皆さんがすごすぎて…。
そのときは皆さんがすごいお兄さんお姉さんに見えました。一生懸命演技のレッスンをされていて、堂々としていて、私は萎縮していました。その中で表現することも全然できなくて、いつも静かで全然しゃべらない子でした。
そのときの演技の先生が何年か経ってから舞台を見に来てくださって、『成長したね』って言ってくださったので、『あの頃は緊張して猫をかぶっていました』って(笑)」
――『蝉しぐれ』でブルーリボン賞助演女優賞にもノミネートされました。デビュー作でいきなりでしたが、いかがでした?
「それも実感がありませんでした。たしかお母さんが朝、『新聞に出ているよ』って言っていたような気がします(笑)。
『蝉しぐれ』を最初に経験させていただいたことが私の中で一番大きなことでした。そこで初めてお芝居をさせていただいて、映画の現場がすごく楽しいと思いました。さらに出来上がった映画を見たときにもまたあらためて感動して。
いろんな景色がとてもきれいに丁寧に撮られていて、『映画ってすごいなあ』って感動しました。それで、どんな形であれ映画に携わっていきたいなって、思ったのが原点、スタートでしたね。ありがたいです」
◆メガネに髪ボサボサの陰キャラに
2007年、佐津川さんは映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』に出演。これは、女優を目指して上京したもののまったく芽が出ない自意識過剰のワガママ勘違い女・澄伽(佐藤江梨子)の帰省をきっかけに巻き起こる騒動を描いた映画。佐津川さんは、かつて澄伽の恥ずかしい秘密を漫画に描いて暴露してしまったために澄伽から壮絶ないびりを受ける根暗な陰キャラの妹・清深役を演じた。
「この映画は、高3の夏休みに撮っていました。コタツがあるところにみんなで一緒にいたのですが、永瀬(正敏)さん、永作(博美)さん、佐藤(江梨子)さん、皆さんが夏休みの宿題を手伝ってくれました(笑)」
――映画の中では佐藤さん演じる姉・澄伽から執拗にいじめられていましたが、撮影はいかがでした?
「とても楽しかったです。『蝉しぐれ』から『腑抜け』までの2年間で出演させていただいた作品は清純派系の役が多かったんですが、『腑抜け』で初めて暗くて髪もボサボサで眼鏡をかけて…という役をやらせていただいて、とても楽しかったです。『腑抜け』からですね、癖のある役とか、個性的な役とか、いろんな役をいただくようになったのは。
『腑抜け』がきっかけで、幸せになれない役とか、そういうキャラクター性のある役のお話をいただくようになったのが、2回目の転機だったと思います。最初に『蝉しぐれ』があって…早いですね(笑)。
でも、『腑抜け』でそういうカラーがついたことが、ある種強味になったのかなと。清純派の役柄が多かったなかでは、早い段階で癖のある役をやらせていただいて、そういう役がたくさんもらえるようになったので、すごくラッキーだったと思います」
――『蝉しぐれ』の可憐な可愛い少女が突然イメージチェンジで心の中に毒がある役に…インパクトがありました。
「ありがとうございます。うれしいです」
――佐藤江梨子さん演じる姉に、引き倒されたり、髪の毛を引っ張られたり…結構ひどい目にあわされていましたね。
「私の裸の写真を撮るために湯舟から出そうとして熱湯を入れられるお風呂のシーンも大変で、のぼせちゃった記憶があります。湯気は足しているんですが、長時間の撮影になるので、お湯に浸かりすぎて具合が悪くなっていました(笑)」
――この映画で佐津川さんは、ブルーリボン賞助演女優賞と新人賞にノミネートされました。
「ありがたいですね。でも、このときも実感はなく、そのまま今に至ります。たくさんの方に見ていただけたのならうれしいなと思います」
個性的なキャラにも果敢に挑む佐津川さんは圧倒的な存在感を放ち、映画『鈍獣』(細野ひで晃監督)で腹黒いブリッ子キャラ、映画『悪夢のエレベーター』(堀部圭亮監督)では自殺願望をもったゴスロリ少女を演じた。
次回はその撮影エピソード、『最後から二番目の恋』、映画『ヒメアノ〜ル』(吉田恵輔監督)の撮影についても紹介。(津島令子)
ヘアメイク:杉村理恵子
スタイリスト:稲葉江梨