13年のダイオライト記念を制したオースミイチバン(写真右、撮影:高橋正和)

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 2月いっぱいで引退した川島信二騎手は、オースミハルカとの名コンビで知られるが、その産駒のオースミイチバンでも活躍した。とりわけ印象的なのが13年のダイオライト記念。圧倒的1番人気のハタノヴァンクールを下した一戦を振り返りたい。

 オースミイチバンは父アグネスタキオン、母オースミハルカ、母の父フサイチコンコルドの血統。重賞4勝を挙げた母の3番仔だった。デビュー当初は苦戦が続いたが、4戦目の未勝利で川島騎手と初コンビを組むと、11番人気ながら2秒0差の圧勝。続く500万下、さらには兵庫CSも制し、一気に重賞ウイナーと上り詰めた。

 その後もユニコーンSで2着、名古屋グランプリで3着と健闘したが、勝利には手が届かず。気づけば7連敗となって迎えたのが、13年のダイオライト記念だった。前走の川崎記念を制したハタノヴァンクールが、単勝1.2倍の圧倒的1番人気。以下、ソリタリーキング、クラシカルノヴァと続いて、オースミイチバンは単勝45.9倍の6番人気だった。

 しかし、この日のオースミイチバンは一味も二味も違った。川島騎手に促されて、デビュー以来初めてとなる逃げを打つと、道中はマイペース。4角手前でハタノヴァンクールが接近してきたが、ここからもうひと踏ん張り。大本命の追い上げをクビ差凌ぎ、2つ目の重賞タイトルを獲得したのだった。

 結果的にこのレースが最後の勝利となったオースミイチバン。14年5月に引退し、一度は北海道の白井牧場で乗馬となったものの、16年春にホッカイドウ競馬で現役復帰。6戦を走り、同年秋に2回目の引退となった。現在は三重県名張市のRiding Club CARECAで余生を過ごしている。