「日本代表への招集を辞退」はあり? 欧州では珍しくない大物選手「招集辞退」の数々
W杯アジア2次予選を戦う日本代表のメンバーが欧州各地から続々と帰国した。欧州のカップ戦など過密日程のなかでプレーを続けている選手を、格下との対戦に呼ぶ必要があるのかという議論もあったが、結果はベストメンバーの招集。選手たちからも、それについて不満めいた声は聞こえてこない。
基本的に、代表チームに招集された選手は、FIFA(国際サッカー連盟)が定める代表活動期間(インターナショナルマッチデイ)や大陸王者決定戦などの公式国際大会であれば、その招集に応じる権利が与えられている。
その選手に給料を支払っている所属クラブは、招集された選手をリリースしなければいけないというFIFAの規定(Principle 1.1.)が存在するからだ。
ただし、このルールはあくまでもクラブに課されたものであって、選手が代表チームの招集に応じるか否かを決めるための権利と自由を奪うものではない。
社会的にも代表チームのステイタスが飛び抜けて高い日本においては、選手が代表チームの招集を拒否するケースは皆無に等しいのでピンとこない話かもしれないが、世界を見渡すと、選手の意思によって、代表監督が必ずしも思いどおりのチーム編成を行なえない例も存在するのが実情だ。
W杯予選ミャンマー戦に向けて合宿を行なう日本代表の選手たち photo by Kyodo News
最近でも、今夏リバプールに移籍したオランダ人MFライアン・フラーフェンベルフ(21歳)が、9月にU−21オランダ代表の招集を拒絶。新天地リバプールでのプレーに集中し、順応することを優先したいというのがその理由だった。
しかし、オランダサッカー協会およびA代表監督のロナルド・クーマンは、フラーフェンベルフが下した決断に不満を表明した。すでに監督と本人は電話で話し合って関係は修復されたとされるが、今回の11月のA代表への招集は見送られている。
最近のプレーぶりからすれば、A代表に招集されても不思議ではない選手なだけに、フラーフェンベルフにとっても周囲にネガティブな印象を与える格好となってしまったが、ここにきてリバプールでの出場時間を増やしていることを考えれば、選手としては決して間違った決断だったとは言いきれないのも事実だ。フラーフェンベルフは、代表チームの招集を拒否する権利を有効に行使したと言えるのかもしれない。
【W杯出場を拒否した大物選手たち】
過去を振り返っても、実はこのように選手が何らかの理由で代表チームでのプレーを拒否する例は少なくない。
大物選手の例としては、オランダ代表のレジェンドでもある故ヨハン・クライフが1978年W杯アルゼンチン大会を前に代表参加を拒否。表向きには家族との時間を大切にしたいというのがその理由で、王室からの出場要請にも翻意しなかった。結局、エース抜きで本番に臨んだオランダ代表は、2大会連続の準優勝で大会を終えることとなった。
同じくオランダでは、1994年アメリカW杯で英雄ルート・フリットが大会を前に代表チームを離脱したことがあった。
当時のフリットは、マルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトとともにトリオを形成し、1988年ヨーロッパ選手権(ユーロ)の初優勝の立役者となるなど、当時のオランダを代表する世界的ビッグネームだった。
94年W杯はフリットにとっても最後のW杯とも言われて注目を浴びていたのだが、当時のディック・アドフォカート監督の戦術を受け入れられないとして、自身の考え方を貫いて代表を離れる決断を下している。
他にも、日本でもプレーした点取り屋ラモン・ディアスが1990年イタリアW杯のアルゼンチン代表メンバー入りを拒絶。当時はモナコでプレーしていたディアスだったが、それ以前には長くイタリアで活躍していただけに、チームにとっては大打撃とされた。故ディエゴ・マラドーナとの不仲がその理由だったことは有名な話だ。
直近のカタールW杯前には、モロッコ代表で騒動があった。日本代表監督の経験もあるヴァイッド・ハリルホジッチ監督と主力選手数名の間に生まれた軋轢が、その原因だ。
規律を重んじるハリルホジッチ監督は、ハキム・ツィエク、ヌサイル・マズラウィ、アミーヌ・アリ、ユネス・ベランダといった主力選手が、合流に遅れるなどしてチームの規律を乱したとして代表チームから追放。2022年1月のアフリカ選手権やW杯アフリカ予選の代表から外す決断を下した。
【90年代以降は勤続疲労の問題が顕在化】
すると、これに怒り心頭の選手が公に監督批判を展開し、ツィエクは代表引退を発表するという騒動に発展。事態はモロッコが本大会出場を決めた後も泥沼化し、ついにモロッコサッカー連盟は大会直前に主力選手たちとの関係を修復できない指揮官を解任するに至った。
この連盟の判断が正しかったのかどうかは別として、彼ら主力が復帰したモロッコ代表がカタールW杯で初のベスト4入りを果たしたことは周知の通りである。
このような選手の代表招集拒否または辞退といった例は、何も人間関係が原因によるものだけではない。
たとえばイングランド代表では、2021年にユーロに臨むメンバー候補として当時マンチェスター・ユナイテッドで活躍していたメイソン・グリーンウッド(現ヘタフェ)を招集したが、本人はリハビリを理由に辞退。まったくプレーができない状態ではなかったものの、クラブを通して、これ以上の大会への出場は彼にとってのプラスにならないため、今回はケガの完治を優先して代表招集を辞退することを発表した。
現在レアル・マドリードのジュード・ベリンガムも、2021年10月にイングランド代表の招集を辞退したことがある。当時ドルトムントでプレーしていたベリンガムが辞退した理由は、過密日程による疲労を考慮し、休養を優先したいというものだった。
とりわけ試合数が急増し始めた90年代以降は、ベリンガムのように選手の勤続疲労の問題が顕在化している。
もちろん、代表でプレーすることは選手にとっても名誉なこと。無理が効く若手選手などは、疲労を感じないまま試合に出続けてしまい、思わぬケガに悩まされることも多くなっている。ユーロと東京五輪に続けて出場したスペイン代表のペドリ(バルセロナ)などは、その典型と言っていいだろう。
出場枠と試合数が増加する次大会以降のW杯をはじめ、来シーズンからのチャンピオンズリーグやヨーロッパカップなど、公式戦の試合数は増加の一途を辿る。そんな環境の変化に対し、代表チームの首脳陣と選手たちがウィン・ウィンの関係をどのようにして構築していけばいいのか。日本に限らず、この問題は今後ますます難しくなっていきそうだ。