松尾汐恩〜Catch The New Era 第7回

 ちょうど1年前、ドラフト会議を直前に控えていた横浜DeNAベイスターズの松尾汐恩は、どんな思いで日々を過ごしていたのだろうか。

「不安な思いが大きかったです。昨年のドラフトは、たくさんの球団が1位指名を公言していて、自分は無理なのかなって......。上位指名へのこだわりですか? 自分のなかにはありました。やっぱり1位で(プロに)行きたいなと思っていたので」

 昨年のドラフト会議は開催前日までに、DeNA、阪神、ロッテを除く9球団が1位指名を公表するといった過去にない状況だったが、そのなかに大阪桐蔭高の松尾の名前はなかった。報道では、将来性豊かな捕手を求めていたDeNAが松尾を1位指名するのでは......と伝えられていたが、当の本人はその情報をどのように思っていたのだろうか。


DeNAから1位指名を受け、笑顔の松尾汐恩(写真左)と西谷浩一監督

【プロで勝負したいです】

「正直、あまり信じられないというか、参考にしてはいませんでしたね。こればかりはわからないことですから」

 そう言うと松尾は苦笑した。自分の野球人生を天命に委ねる運命の日。プロ志望届を提出してからの日々は、不安を抱えながらも瞬く間に過ぎていったという。

 そもそも松尾が"プロ一本"の覚悟を決めたのは、いつのことだったのだろうか。

「夏の大会のあと進路面談があって『自分はプロで勝負したいです』と伝えました」

 大阪桐蔭高の西谷浩一監督からは、早い段階で「大学ないし社会人を経てからプロに行ったほうがいいんじゃないか」と言われていたが、松尾の意思は固かった。

「まったく迷いはありませんでした。小さい頃から目指していた場所でしたし、行けるのであれば早くそこで勝負したいという気持ちは強かったですからね」

 高校通算38本塁打を放ったパンチ力、そして走攻守揃った新時代の捕手。各球団の評価は高く、上位指名が確実視されていた。松尾は早々にプロ志望届を提出すると、下級生にまざり毎日のようにグラウンドで汗を流した。これからプロの舞台で戦うために、そして心の不安を振り払うかのようにトレーニングに打ち込んだ。

 そして運命の日となった10月20日、松尾はいつものように学校に登校した。「本当に指名されるのだろうか......」という不安な思いは消えなかったが、そんな気持ちを落ちつかせてくれたのが、学校の先生や友人たちだった。

「いろいろな人に『頑張れよ』って言ってもらったり、仲間たちからはいじられたりして、和やかな気持ちにさせてもらったのを覚えています。本当にありがたかったですね」

 まだ18歳。自分の人生がかかった大一番を前に平常心でいられるはずもないが、ここまできたら腹をくくるしかなかった。

 授業を終えると夕方から始まるドラフト会議のために、校内の会見場へ移動した。松尾は「会場に入ってからソワソワしました」と、その時のことを振り返る。おぼろげだった自分の未来が明確になるまであとわずか、気持ちは自然と昂った。

【名前を呼ばれた瞬間、松尾は...】

 ドラフト会議が始まると、早速、粛々と1位指名の名前が読み上げられていく。そしてDeNAの順番が来ると『松尾汐恩 大阪桐蔭高校』と呼ばれた。

 その瞬間、松尾は少し驚いたような表情を浮かべた。

「正直、呼ばれるか呼ばれないか自分でもわからなかったので、『おっ!』て感じでしたね。あとでその時の映像を見たら、『じ、自分や!』みたいな感じで顔が引きつっていました」

 懐かしそうに松尾はそう言うと、笑顔を見せた。

「次の瞬間、指名していただいて感謝の気持ちが湧いてきました。正直プレッシャーもありましたし、やっぱりホッとした気持ちが強かったのを覚えています。ようやく不安から解き放たれたって」

 その後、仲間たちに胴上げをされ、松尾の周囲は歓喜に包まれた。宙を舞っている時、胸の内からうれしさがこみ上げてきた。

「あれが一番のいい思い出ですね」

 自分が野球をすることで、応援してくれる人が喜んでくれたり、笑顔になってもらえるのが、松尾は好きだった。年に12名しか選ばれないドラフト1位という栄誉。祝福をしてくれた家族をはじめ、たくさんの人に恩返しができて、松尾は安堵した。

 しかし喜びもつかの間、これから進んでいく世界を思うと気持ちが引き締まった。

「上位で行けると思っていなかったなかで、ドラフト会議後、西谷監督からは『やったな!』と声をかけていただきました。うれしかったですね。そして『これから頑張っていこう!』と言っていただいた時、『よし、やるぞ!』と、すぐに切り替えることができたんです。今後は、これまで以上に危機感を持って進んでいかなければいけない。ですから西谷監督には本当に感謝したいですね」

 指名されたことでプロへの門戸は開いたが、あくまでもスタートラインに立ったにすぎない。これから待ち受ける戦いに向けて、恩師の言葉を胸に、松尾は邁進していく。

【プロの厳しさを実感】

 ところで、松尾がプロになったなと実感したのはどのタイミングだったのだろうか。

「やっぱりファンフェスティバル(2022年11月26日)の時ですかね。横浜スタジアムでファンのみなさんの前で挨拶をさせてもらい、あと首脳陣の方々やチームの先輩方とお会いして、ああプロになったんだなって思いましたね」

 翌年になるとすぐに入寮し、新人合同自主トレからプロ生活がスタートした。

「あっという間の1年でしたね。野球漬けの毎日は、身体の疲労もありましたが、好きな野球をやらせていただいているという喜びを忘れないように過ごす日々でもありました」

 プロの世界を肌で知り、向上心を持って過ごした1年間。未来への可能性を見た一方で、初めてプロの世界を去っていく選手たちの現実も見た。

 10月1日のロッテとのファーム最終戦(横須賀スタジアム)では、ベテランの田中健二朗や平田真吾、そして年齢の近い若手選手たちのDeNA最後のプレーを見守った。

「本当に厳しい世界だと思いました」

 松尾は少し重い口調で、そう言った。

「先輩の健二朗さんや平田さんからは、キャッチャーとしていろんな経験をさせていただきました。たくさんの会話も含め、いい影響を受けたので、先輩方の姿を忘れることなく、今後の自分の糧にしていきたいと思います」

 そして9月27日には、松尾が少年時代に出会い、プロへ進むきっかけをつくってくれた藤田一也の引退セレモニーが横浜スタジアムで開催された。

「セレモニーを見てすごく感動しました」

 交錯する運命。松尾は感慨深い表情を見せた。

「小学生の時に一緒に練習させてもらって、プロになってからは1年間、チームで一緒に過ごすことができました。自分からいろんなことを聞いて、それを受け入れてくれた大先輩。本当にご縁があったと思いますし、自分にとって一也さんと一緒にいられた時間は、本当にプラスになりました。これからも話す機会があればどんどん聞いていきたいですね」

 そう言うと、ひと呼吸おき、松尾は覚悟を決めたようにつづけた。

「自分も一也さんのように一日でも長く、プロとしてプレーして行きたいと思います」

 かけがえのない時間を過ごすことができたドラフト会議からのこの1年。今しか得ることのできない出会いや経験により、プロとして確実に成長した松尾。その目線は常に高く、光り輝く未来を見つめている──。