パリ世代では数少ないA代表経験者が、久しぶりにU−22日本代表に帰ってきた。

「(U−22代表招集は)昨年の11月以来なので、ほぼ1年ぶり。その間、ケガがあったり、A代表に招集されたりとかいろいろあって、なかなか関わっていないなかで、このチームがヨーロッパですごくいい相手といい試合をしているのは、試合も見ていたので知っていました。そこにプラスアルファーで何をもたらせられるかが自分に課されていることだと思うので、自分の特徴である攻撃のところはガツガツ出していきたいと思います」

 U−22代表から遠ざかっていた時間を取り戻すべく、そう語っていたのはバングーナガンデ佳史扶。

 自らが不在だった間のチームについては、「自分が目指すべき場所なので、もちろん気になっていました。FC東京には(松木)玖生、(木村)誠二、(野沢)大志(ブランドン)とコンスタントに(U−22代表に)呼ばれている選手がいるので、日頃から話を聞いていました」と言う。

「どういう試合だったのか、どういうサッカーをしているのかっていうのは、やっぱり(U−22代表に選ばれている)チームメイトがいなかったら、ここに来ないと知れないことなので。それを(日常的に)知れるのは、すごくありがたかったです」


アメリカ遠征を実施したU−22日本代表で久しぶりにプレーしたバングーナガンデ佳史扶

 今季開幕からFC東京で優れたパフォーマンスを見せていたバングーナガンデは、それが認められて今年3月、A代表に初選出。昨年のワールドカップが終わって以来、"新生・日本代表"が初めて活動を行なうとあって大きな注目を集めるなか、22歳(当時21歳)の左サイドバックはコロンビア戦でA代表デビューも果たした。

 ところが、晴れの舞台に意気盛んだった期待の新鋭は、せっかくのデビュー戦で右ヒザにケガを負ってしまう。しかも、そのケガからは1カ月ほどで復帰するも、5月末のルヴァンカップの試合でまた、右足首を負傷。その後、3カ月以上も公式戦から遠ざかることになった。

「最初のケガの時の1カ月のリハビリは、A代表でいい刺激をもらえたので焦りというか、早くやりたい気持ちが出すぎた。正直、体の準備ができていないのに、明らかに気持ちが先行して無理をしてしまったので、(2回目は)なるべくしてなったケガだったなと思います」

 だが、「A代表というすごいところに呼んでもらえて、たくさんの課題が見つかった。そこへ冷静に目を向けて、復帰した時にはそこを克服できるようにと考えて、自分の体と向き合えた(2度目の復帰までの)3カ月だった」と語るバングーナガンデは、「復帰した今は、本当にいい状態を保てているので、あの3カ月は無駄ではなかったと思います」と続け、笑顔をのぞかせる。

 およそ1年ぶりのU−22代表復帰となった今回のアメリカ遠征では、1戦目のメキシコ戦(4○1)では途中出場で後半のみプレー。2戦目のアメリカ戦(1●4)では先発出場し、前半のみプレーした。

 メキシコ戦は、チームメイトから逐一情報を収集していた成果か、「チームとして作り上げてきている(戦い方の)ベースとなる部分は、みんなと練習からすり合わせをしてうまくできました」。

 しかし、途中交代でピッチに立った後半開始の時点で2−0とリードしていたこともあり、「個人的には攻撃のところ(でのよさ)があまり出せなかった」とバングーナガンデ。「アメリカ戦では、そこによりこだわってやっていきたい」と話していたものの、アメリカ戦もまた、「判断を誤って(ロングボールで背後をとられて)2失点目に直結するミスをしてしまった」と、反省の弁が口を衝いて出る結果となった。

 バングーナガンデが苦々しげに続ける。

「A代表でも、U−22代表でも、選ばれて戦う以上は自分の経験より、結果が絶対条件。久々にこのチームの一員としてサッカーをやって、結果を出さなきゃいけないのに、2試合目で勝てなかったのが今は一番悔しいです」

 とはいえ、まずは敗戦の無念を口にはしたものの、久しぶりの国際試合にもかかわらず、「いつもやっている環境とは(プレーの)強度が違うとか、そういうことはなく、感覚的には違和感なく入れた」と、手応えを感じた様子もうかがわせた。

 A代表初選出、そして長期戦線離脱と、浮き沈みの激しいシーズンを送ってきたバングーナガンデにとっては、この遠征に参加できたこと自体が一歩前進と言ってもいいのかもしれない。

 パリ五輪アジア最終予選を兼ねる、U−23アジアカップも来春に迫ってきた。そこを勝ち抜かなければ、パリ五輪出場も、メダル獲得もなし得ない。バングーナガンデが「ここ(U−22代表)に来る以上、そこ(最終予選)も意識している」のは、当然のことだろう。

 だが、「コンディションはすごく上がってきている」と話す22歳は、続けて「今、(U−22代表と)同時並行で活動しているA代表も、もちろん意識している」と付け加えるのを忘れなかった。

「パリ五輪は、"目標のひとつ"という表現が正しいんじゃないかなと思います。個人としての(最終的な)目標はもっと先にあるので、そこへ行くためにはパリ五輪で結果を残すことを通過点にしなきゃいけない」

 そして、落ち着いた表情で、きっぱりとこうも言いきる。

「でも、あまり先のことを考えても仕方がないかなって。目の前のことを100%やっていれば、その先が見えてくると思っています」

 FC東京の先輩でもある長友佑都の後継者として、A代表での活躍も期待される気鋭のレフティが、ようやく国際舞台に戻ってきた。