伊藤みどり(フィギュアスケート) インタビュー後編

●フィギュアスケートの今と昔

 日本フィギュアスケートの歴史に名を刻む伊藤みどりさんの目に、現在の競技の姿はどう映っているのだろうか。

「すごいなと思う反面、大変だなと思うこともあります。ルールも複雑化して、試合もたくさん。技術一つひとつに詳細な得点がつくようになったり、プログラムの密度も濃い。私は昔の時代でよかったなと思いますよ。

 今の時代だったら出られない(笑)。私たちの時代は美しさやジャンプなど、何か武器があればそれを評価してもらえたのですが、今は全体的なアベレージが高くないとトップには行けませんから。

 そう思うと、今はまずレベルをとるためにしなければいけないことが多すぎて、個性を出す部分が少ないことが寂しく感じたりもします。個性を活かしつつ、プログラムをつくるのはすごく難しいんだろうなと思いながら見ています」


伊藤みどりさん。53歳で今年5月の国際大会に出場する

 現役時代、大きな期待を一身に背負っていた伊藤さんは2度の五輪に出場。

「メダルを獲りたいとか、どうしてもトリプルアクセルを跳びたいという欲が出てきた」という1992年アルベールビル五輪のフリーでは、冒頭のトリプルアクセルで転倒。しかし、後半にもう一度跳んで成功させるという伝説を残した。


トリプルアクセルを成功させ銀メダルを獲得した1992年アルベールビル五輪 photo by Kyodo News

●伝説のトリプルアクセルの裏側

 女子選手でトリプルアクセルを跳ぶ選手は出てきたが、いまだ演技後半に組み込む選手はいない。それほどとんでもない決断を、アルベールビル五輪ではどの段階で決めたのかずっと気になっていた。

「(跳ぶ)直前ですね。練習の時からミスした時のリカバリーをどうするか考えていましたし、それは今の選手もしていることだと思います。

 ただ、あの時はふたつミスをしていたので、どっちをリカバリーしてもよかったんですよ。(ミスをしたトリプル)アクセルでもいいし、(3回転)ルッツでもよかった。でも、アクセルを選択して成功させたことはすごく......よかったなぁー!と思いました。

 成功したから言えるんですけど、やってみないとわからないじゃないですか。ああいうところで負けず嫌いの性格とか、自分が見せたいもの、やりたいものは何かがとっさに出てくるんだろうな、と。今は本当に、成功してよかったとしか言えないですけど(笑)」

 練習ではいろんなパターンで練習していたため、「(山田)満知子先生も跳ぶ直前の軌道に入るまで、どれをリカバリーしてくるのか予測できていなかったんじゃないかな」と伊藤さんは笑う。

「アクセルの軌道に入った時、先生も『そっち行くの?!』と思っていたと思います。それは無理だろうって。

 世界中も驚いたと思いますけど、成功させて一番驚いたのは私(笑)。同じ試合に出ていたスケーターたちもびっくりして『すごい!』と言ってくれました」

●セカンドキャリアで築いたアイスショーの礎

 トリプルアクセルを武器に数々の輝かしい功績を残した伊藤さん。日本のみならずアジアの女子選手が世界のトップで戦えることを証明し、フィギュアスケートの新時代の扉を開けた。

 その後引退し、プロになってからは滑ることが仕事に。伊藤さんのセカンドキャリアについては、山田満知子コーチから3つの選択肢を提案されたそう。

「プロスケーターの道もあるし、結婚してもいい、プリンスホテルに所属していたので働いてもいいよ、と。まず自分にやれることはプロになってショーに出ることかなとは思ったんですけど、すでにプロになるように導かれていたんですよ(笑)。

 アイスショーは今でこそ海外からメダリストが来てくれて華やかですけど、当時はまだまだ。『プリンスアイスワールドって何?』『アイスショーって何?』という時代でした。それを広めていくこともやりがいがある仕事でしたね。

 当時は北海道から九州まで公演していたので、知ってもらうために一年かけて全国を回っていました。いろんな人に見ていただくために、ガチャピンとムックと共演したり、『ファイナルファンタジー』(のプログラム)をやったりして試行錯誤していました。

 そういう礎を築いてこられたことは、やってきてよかったことのひとつです。32歳までトリプルアクセルを跳び、プロを引退。少しお休みしてからアダルトスケーターに。今は自分が楽しむことをしていこうという気持ちです」

●「趣味はフィギュアスケートって素敵」

 自分が楽しむと同時に、大人がスケートを趣味として、生涯スポーツとして楽しむ世界を夢見ている。

「もっともっとフィギュアスケートが浸透して、子どもだけじゃなく大人も含めて身近なものになればいいな。見る人は増えたけど、自分でもやってみることでスケートの楽しさや難しさがもっとわかるようになると思うんです。

 やっぱりフィギュアスケートって習い事としてはとっつきにくい部分があるけれど、それがもっと身近になって、気軽にトライしてみようかなと思えるようになっていけばいいなと思います。

『趣味は何ですか?』と聞かれた時に、フィギュアスケートですって言えたら素敵じゃないですか。そんな時代が来たらいいですよね」


41歳で初めて出場した国際アダルトフィギュアスケート選手権 photo by Noguchi Yoshie

 最後に、これからのフィギュアスケートに思うことを聞いてみた。

「今、日本の選手たちはすごくレベルが高いですよね。日本で勝ったら世界で活躍できるというくらいすばらしいスケーターがたくさんいて、みんなライバルなんだけど仲良しで。

 競技ではあるんだけれども、みんなで切磋琢磨してこれからもフィギュアスケートが盛り上がっていけばいいなと思いますね」

インタビュー前編<天才ジャンパー伊藤みどりが53歳で国際大会出場へ「ダブルアクセルが跳べなくても氷の上なら人生を語れる」>

【プロフィール】
伊藤みどり いとう・みどり 
1969年、愛知県生まれ。6歳からフィギュアスケートの競技会への参加を開始し、小学4年の時、全日本ジュニア選手権で優勝し、シニアの全日本選手権で3位。1985年の全日本選手権で初優勝し、以後8連覇。1988年カルガリー五輪で5位入賞。同年には女子選手として初めてトリプルアクセルを成功させる。1989年、世界選手権で日本人初の金メダルを獲得。1992年アルベールビル五輪で銀メダルを獲得後、プロスケーターに転向。その後、アマチュアに復帰し1996年の全日本選手権で9回目の優勝を果たしたのち引退。現在は、指導や普及に努めている。