幸福実現党を立ち上げるなど政治活動に力を注いだ。(撮影/藤倉義郎)

幸福の科学教祖(創始者兼総裁)の大川隆法氏が3月2日に亡くなった。

本稿執筆時点(3月11日)で、いまだ教団は教祖の死を公式にアナウンスしていないが、内部では「肉体的には亡くなった」として「復活の祈り」が行われている。

今後、この教団はどうなっていくのだろうか。

大川氏にまつわるいくつかの誤解

「大川隆法」といえば一般的には、さまざまな人物、神、宇宙人などの霊を呼び出して大量の書籍を販売している人というイメージが強いのではないだろうか。突拍子もない人物が登場するだけに「イタコ芸人」などという言葉もネット上にはある。しかし、死者の遺族の個別ニーズに応えるイタコと、大川氏が決めた霊を呼び出し不特定多数の信者や部外者に向けて教義や教団の方針等を示す霊言とは、根本的に性格が異なる。

大川氏を「金目当ての新興宗教の教祖」と見る人もいるかもしれない。ここは人によって解釈が分かれるところだろうが、少なくとも、13年間、幸福の科学を取材してきた筆者の印象は違う。

幸福の科学は、後述の政治活動や教育授業に、信者から集めたお金を湯水のごとく投入している。自分の懐にお金を集めたがる教祖だったら、こうはならないだろう。

教団内の不採算部門の担当者に対して厳しいなど、大川氏が金にうるさい人物であることを示すエピソードを関係者から聞くことはある。しかし私腹を肥やすというよりも、教団の大型化や多角化によって企業経営者的な手腕を誇示したいがための態度・言動といった印象だ。

霊言についても、大川氏が自身の能力を本気で信じていたと思える節がある。家族だけのプライベートな会話でも大川氏が霊を呼び出して霊言を続けていたとする、近親者の証言がある。亡くなった直後に発刊された書籍には、死の9日前の日付で大川氏の言葉が残されている部分がある。高熱と呼吸困難に見舞われながら、白石麻衣や柴咲コウといった女優の守護霊を自分の体内に入れると一時的に発作が治まったとする文章だ。

「優れた経営手腕を持つ、霊能力者」。大川氏は、最期までそんな自己像を貫いていたようだ。

教団の立宗から拡大の時代へ

1956年に徳島県で生まれた大川氏は、東京大学法学部の卒業間際に、「イイシラセ」という内容の霊界からの通信を受信し、霊能力に目覚める。大手商社のトーメン(現豊田通商)に就職するが、在職中の1985年に初の単行本『日蓮聖人の霊言』(善川三朗編、潮文社)を出す。大川氏、父の善川、兄の富山誠(いずれも故人)との共著だ。善川は、GLA教祖の高橋信次や生長の家教祖の谷口雅春の影響も受けており、幸福の科学の霊言や教義にもそれがうかがえる。

大川氏が商社を退職し「幸福の科学」を設立したのは1986年。当初は宗教団体ではなく、大川氏を霊媒として語られる霊人たちの言葉(霊言)から霊界の仕組みや人生について学ぶ「勉強会」のようなものだったという。大川氏の立場は神や再誕の仏陀ではなく、霊能力をもつ「先生」だった。

しかし1989年から自らを「仏陀の再誕」とも称するようになる。1991年初頭には、同年に100万人、1992年に300万人、1993年に1000万人という会員数目標を発表し、拡大路線を鮮明にする。この1991年に宗教法人の認証を受け、大川氏は講演会で自らを地球至高神「エル・カンターレ」であると宣言する。


『エル・カンターレ聖夜祭「ネオジャパニーズドリーム」』(1993年12月23日)から。

教団はこうした目標を次々「達成」した。その数字が実質的な信者数として正しいかどうかはともかく、この頃に信者数が伸びたことは確かなようだ。ある元職員は、こう証言する。

「目標値の大きさに加え、唐突に『必勝必達』期限が短縮されるなどして、信者たちは振り回された。結果、『光の楔』と呼ばれる無承諾伝道が横行した。当人の承諾を得ず、入信したものとして教団に申告するというものです。そのうち、入信手続きを経なくても『正心法語』という信者必携の経文を受け取った人は信者としてカウントするという方針転換もあったため、この経文があちこちにばら撒かれるようになりました」

私自身、13年間この教団を取材し、イベントに参加したり教団施設で信者と交流したりといったこともした。その中で、最近入信したという人に会った記憶がない。下手をしたら皆無かもしれない。信者の多くは、初期の拡大期に入信した人と、その子供たちだ。

社会との摩擦を厭わず

宗教法人化した1991年は、幸福の科学にとってトラブルの年でもあった。講談社が発行する週刊誌『フライデー』が、大川氏を「分裂病でうつ病」などとする内容を含む記事を連発し、教団側が講談社へのデモや抗議の電話、FAX攻勢に出た。いわゆる「講談社フライデー事件」だ。

当時一線で活躍していた作家の景山民夫(故人)や女優の小川知子などが、信者として抗議活動の最前線に立ったこともあり、ワイドショーなどでも大きく取り上げられた。

教団は講談社に対して複数の訴訟を起こし、信者を原告とする集団訴訟も全国で多数起こされた。記事の内容に関して教団が勝訴したものもあるが、信者を原告とした裁判は一部を除いて軒並み敗訴。中には判決で「訴権の濫用」とされたものもあった。

また1996年に元信者が教団に献金の返還を求める訴訟を起こすと、幸福の科学は名誉毀損を理由に元信者と代理人の山口広弁護士を提訴。8億円もの高額な賠償金を請求した。献金返還訴訟は元信者が敗訴したが、名誉毀損訴訟については教団が敗訴。判決で威嚇目的の訴訟とされ、教団が山口弁護士への100万円の損害賠償を命じられた。

鎮静期から政治活動、活動の多角化へ

それでも1990年代後半から2000年代にかけて、幸福の科学は1990年代初頭ほどの騒ぎを起こすことはなく、その間、全国での施設建設が進む。その数は2017年までに、ウェブサイトで所在が公開されていたものだけでも500近くにのぼった。

表立った活動を再び活発化させたのは、2009年だ。同年5月に「幸福実現党」を結成した。


2009年からは政治活動を活発化させた。(撮影/藤倉義郎)

8月の衆院選に337人もの候補者を立てるも、大川氏自身も含め全員が落選。以後も政治活動を活発化させ、愛国、宗教立国、反共産主義、従軍慰安婦問題や南京虐殺を否定する「歴史戦」、日本の核武装、レズビアンやホモセクシャルの権利拡張反対など、宗教的・右派的な主張を展開してきた。ただし大川氏自身は、二度と立候補することはなかった。

2009年は、学校法人幸福の科学学園が設立された。翌年に栃木県に中学・高校を開校。2013年には滋賀県に関西校も開校された。2014年に大学設立の申請は文部科学省から不認可とされたが、無認可のまま「ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ」を開設し、中学・高校とともに現在も続いている。

ネット上で注目され続けてきた「霊言」

大川氏が霊を降ろして語る「霊言」は、一般向け書籍としての新作発表が1991年を最後に止まった。そして、新作発表が再開されたのは2009年。4月に『オバマ守護霊インタビュー』を刊行した。前述の幸福実現党結成の直前だ。以降、同年に『金正日守護霊の霊言』『明治天皇・昭和天皇の霊言』が発表される。

 2009年以降に発刊された霊言書籍は昨年までで611冊(筆者調べ、以下同じ)。呼び出された819人の霊のうち3割を超える259人が存命人物の「守護霊」だ。次いで、宇宙人の霊で79人。神・霊・悪魔・鬼・天使が計76人。職業などの属性の内訳は、こうだ。

政治家:211人(25.8%)
宇宙人:75人(9.2%)
宗教家:65人(7.9%)
芸能人:63人(7.7%)
神:61人(7.4%)

圧倒的に政治家の霊が多く、教団の政治活動と連動していることがわかる。

幸福の科学の「実力」

霊言は、教団に批判的な人物や敵対する人物への非難にも用いられた。

その矛先になったのが、2012年に離婚が成立した、きょう子氏、離婚騒動に際して暴露記事を掲載した『週刊文春』『週刊新潮』の編集長や発行元社長、『週刊新潮』誌上で幸福の科学学園の教育実態についてリポートした筆者(藤倉善郎)、離反した元職員、幸福の科学大学を不認可とした当時の下村博文・文部科学相や大学設置・学校法人審議会メンバー、教団から離脱しYouTubeで教団批判を繰り返す、大川氏の長男・宏洋氏などである。

その中で、きょう子氏が離婚騒動のさなかに暴露した教団の内情は、現在でも参考になる。きょう子氏によれば、当時、教団に布施等のお金を出している活動的な信者は3万人程度。離婚騒動により教団の支部に通う信者が「半減した」「3分の1になった」とする信者の証言もあることから、現在はさらに少ない可能性もある。

離婚騒動時に『週刊新潮』が掲載した、きょう子氏のインタビューでは、資産額は不明だが、教団の布施収入は年間約300億円とされた。当時きょう子氏は、書籍販売は広告費等が多額のため、あまり儲かっていないという趣旨の証言もしている。また『週刊文春』のインタビューでは、大川氏の個人収入は年間8億円ほどで、数百万円から2000万円もする高級腕時計を計30本以上保有しているともされた。


大川隆法氏の自宅「大悟館」。(撮影/藤倉義郎)

教団側はウェブサイトで、高級腕時計は「宝物」であって大川氏の私物ではないとし、大川氏が印税収入の全額を教団に寄付している旨を掲載した。大川氏の自宅(港区白金にある大悟館)も教団名義だ。大川氏にはきょう子氏との間に5人の子供がいるが、子供や現在の妻が相続できる遺産(大川氏の個人資産)は限られそうだ。次期総裁として教団を受け継ぐ者が、大川氏が遺した財産の多くを実質的に管理することになるのだろう。

親族を排斥し続けた人生

後継者の最有力候補は妻である紫央(しお)氏と目されている。従来は長女・咲也加氏が次期総裁として発表されていたが、大川氏が死の直前、霊言に基づく咲也加氏の過去世が事実上「降格」され、教団の公式サイトから咲也加氏のプロフィールページが消えた。

ただし、次期総裁の指名を外すという明確なアナウンスまではないまま、大川氏は死去した。従来、紫央氏は総裁補佐の役職にあったとはいえ、次期総裁だった咲也加氏をしのぐほどのカリスマ性や霊能力を示したわけでもない。今後、咲也加氏の復権や抵抗も、ないとは言い切れない。

教団内部では大川氏の復活を願う祈りが行われている。筆者が取材したかぎりでは、信者たちは復活を信じているのか、喪に服するような様子は感じられない。しかし「復活」が具体的に何を指すのか、現時点では不明だ。

大川氏が死去直前に遺した言葉や霊言が、3月5日から教団内で信者に向けて順次発表されている。とはいえ、現時点では、大川氏の死や後継者について教団の方針が明示されているわけでもないようだ。今後の教団が進む方向は、現時点ではまったく予測できない。

一方で、大川氏の死に際して1つ、確実にいえることがある。幸福の科学を立宗してからの彼の人生は、親族の排斥を繰り返す一生だったということだ。


親族の排斥を繰り返す一生だった。(撮影/藤倉義郎)

宗教法人化後の1992年。大川氏は、初期の教団を支えてきた父・善川を教団運営から実質的に排除。影響力を失った善川は徳島在住のまま2003年に死去した。2011年には妻・きょう子氏を永久追放し、2012年に離婚成立。2018年には長男・宏洋氏が教団を離脱し、翌年付で教団が懲戒免職。次男、三男は過去世を降格され幹部の役職を解かれた。次女も教団を去っている。5人の子供のうち、最後に残っていた長女・咲也加氏は前述のとおり、大川氏の死の直前に降格された。

少なくとも大川氏自身は、自分の肉親たちと和解することはもうできない。

(藤倉 善郎 : ジャーナリスト)