コーチとして羽生結弦を2006年から2012年まで指導した【写真:Getty Images】

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阿部奈々美コーチ・振付師「仙台とフィギュアスケート」前編、羽生結弦との出会い

 コーチ・振付師として、20年以上にわたり仙台のフィギュアスケート界を牽引してきた阿部奈々美氏。選手時代は名コーチ・長久保裕氏に師事し、コーチとしては2006年から2012年まで、のちに冬季五輪2大会連続王者となる羽生結弦を指導した。現在も仙台の地で選手育成の第一線に立つ阿部の、かけがえのない「出会い」を取材した。(取材・文=川浪 康太郎)

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 1988年、仙台市泉区に「オレンジワン泉」として現在のアイスリンク仙台が開場した。同年、千葉・新松戸から拠点を移した長久保がこのリンクで指導を開始。長久保の教えを受けようと、県内外から多くの有望選手が集まり、1998年の長野五輪には本田武史、田村岳斗、荒川静香、荒井万里絵と4人の教え子が出場を果たした。

 リンクが一時閉鎖する2004年12月まで数々の名選手を育て上げた長久保の、「選手第1号」が阿部だった。高校1年から競技を引退する大学4年まで師事し、その間に2度、全日本選手権に出場。現役引退後は約7年間、海外でディズニー・オン・アイスに出演する傍ら、長久保のアシスタントとして指導や振付を行った。

「でかくて、怖い」。そんな第一印象だったと笑うが、「自分をここまで導いてくれた、なくてはならない存在」と話すように、阿部の原点は長久保と過ごした日々にある。

 音楽好きの父のもとで育ち、小学校低学年の頃にはレコードからカセットテープに録音し編集する技術を身につけていた。スケートの大会で使用する曲として当時のコーチに提案するも、採用とはならず。「自分の好きな曲でやってみたいのに……」ともどかしさを感じながら、与えられたプログラムを演じていた。

「使いたい曲はないのか?」

 長久保の問いかけに対し、阿部は「明るい曲がいいです」と答えた。長久保は大まかな回答に戸惑いながらも、リクエストに沿った曲を提案。さらに阿部が「使いたい」と言ったパートをつなぎ合わせて曲を編集し、一方で振付は阿部に一任することで、選手自身が心から滑りたいと思えるプログラムを完成させた。

仙台のリンクに還元されている羽生結弦の活躍

 大学生になってからは編曲も自身で行うようになり、長久保の教え子である小学生の振付を任されることもあった。

「聞いて良い曲だと思っても、曲を使う選手の滑っている姿が見えないようでは合致しない。振付に関しては、とにかく自分の感性を大切にしている」

 長久保と出会い、選手時代から感性を磨いてきたからこそ、そんな信念を貫きながら振付の仕事を続けることができている。

 指導する立場になってからも、得がたい出会いがいくつもあった。その中の一つが、羽生結弦との出会いだ。

 出会った当初の羽生は「元気がよく、負けず嫌いな普通の小学生」だった。しかしコーチとして接するなかで、「何かを持っている」特別なスケーターだと気づかされた。

「ゆづの場合、練習で調子が悪い姿を見ても、『試合ではやるだろうな』と感じさせてくれた。他の選手の練習を見て『良いジャンプが続いているけど、次はミスするだろうな』などと予感することはあったけど、そこまで『大丈夫だろう』と感じさせてくれるのはゆづだけだった」

 長年のコーチ経験がある阿部にとっても「不思議な感情」だったというが、「試合に向けて必死に、一生懸命にスケートと向き合い、練習を積み上げてきた姿が私の頭の中に蓄積されていた」ことが、他にはない感情を生み出した要因ではないかと分析する。

「決して長くない人生の中で、これだけの時間をゆづと共有できたことに、ものすごく感謝している」

 世界に羽ばたくスケーターの成長過程を支えた経験は、今の財産となっている。

「感謝」の理由は一つではない。羽生の影響を受けスケートを始める人の多さを、肌で感じている。羽生に憧れを抱く子供から、羽生きっかけでスケートに興味を持った大人まで、老若男女の受講者が、阿部が専属インストラクターを務めるアイスリンク仙台でスケートを学んでいるという。「ゆづの活躍が、リンクにも還元される流れができている」と阿部は話す。

「楽しく、長く続けてもらう」ことが最大の目標

 羽生は昨年7月にプロスケーターへの転向を表明して以降、地元・仙台でも精力的に活動している。アイスリンク仙台での練習の様子をライブ配信したほか、昨年12月には同リンクで開催された地方競技会にサプライズ登場。また今年3月には、宮城県利府町でのアイスショーを予定している。

「ゆづのスケートを見て、スケートを好きになる人がもっと増えたら嬉しい。選手のモチベーションにもつながるはず」

 この先も羽生が仙台のフィギュアスケート界を形づくっていくと、信じてやまない。

「とにかくスケートを好きになってほしい」

 阿部の指導者としての思いは、至ってシンプルだ。

 全日本や五輪を目指すトップスケーター、学業を優先し年に数回の大会出場に照準を合わせる大学生スケーター、生涯スポーツとして氷の上に乗ることを楽しむ大人スケーター……。阿部のもとには、多種多様なスケーターがいる。そのすべてのスケーターに「楽しく、長く続けてもらう」ことを最大の目標に掲げている。

 仙台の地で、偉大な恩師や教え子と接してきた阿部だからこそ、その思いは人一倍強い。(文中敬称略)

(川浪 康太郎 / Kotaro Kawanami)