アプリで出会った19歳上の男と温泉旅行に。ホテルでうち明けられた衝撃的な事実とは
29歳―。
それは、節目の30歳を目前に控え、誰もが焦りや葛藤を抱く年齢だ。
仕事や恋愛、結婚など、決断しなければならない場面が増えるにもかかわらず、考えれば考えるほど正解がわからなくなる。
白黒つけられず、グレーの中を彷徨っている彼らが、覚悟を決めて1歩を踏み出すとき、一体何が起こるのか…。
◆これまでのあらすじ
吉永悠梨は、職場の先輩の晴夏に勧められマッチングアプリを始める。年齢を気にしない悠梨は、48歳の会社経営者の和生と親しくなり、食事をする。彼は、初対面にもかかわらず息子の航基を同伴してきたが…。
愛の歪み【後編】
「晴夏さん、どう思います？普通、初対面で27歳の息子なんて紹介します？」
昼休み、悠梨は先輩の晴夏を誘ってランチに出た。
丸の内仲通りにある『ガーブ東京』に入り、ここまでの和生との経緯を愚痴まじりに話して聞かせる。
「それは…。吉永ちゃんに家族を紹介して、誠意を見せたかったんじゃない？」
晴夏がランチメニューのパスタを口に運びながら、フォローを入れる。
「でも、クルージングにもついてきたんですよ…？」
先週末に和生の会社が所有するクルーザーに乗せてもらったのだが、そこも航基が一緒だった。
「どうも、27歳の航基っていう息子のほうを私にくっ付けようとしているように感じるんですよね…」
そう考えると、初対面のときに和生がしきりに年齢差を引き合いに出し、「付き合うなら年齢が近いほうがいいのでは」と提案してきたのも合点がいく。
「いやぁ。でも、息子のほうだって、自分の相手は自分で決めたいでしょう…」
「そういうことができるタイプじゃなさそうなんですよね。女性慣れしてないというか…」
過保護に育てられたせいなのか、航基のコミュニケーション能力に難を感じた。
事実、和生を抜きで息子と会話をすることはない。
そしてもうひとつ、悠梨には気掛かりな点があった。
和生がやけに、悠梨の健康面を気にしていたことだ。
何か意図があって、健康面に探りを入れているような気がしてならない。
「せっかくいい感じかと思ったのに、変な三角関係になっちゃって…。吉永ちゃんもついてないね」
晴夏の指摘する通り、親と子に挟まれた“歪な三角関係”に、悠梨は頭を悩ませる。
◆
週末、悠梨は和生の運転する車の助手席に座っていた。
「急に温泉旅行なんて…迷惑ではありませんでしたか？」
「いえ、ちょうど予定が空いていたので。声をかけて頂いて嬉しいです」
「そうですか。いやぁ、お誘いして良かった！」
和生が上機嫌でハンドルを切る。
週の初めに和生から連絡が届き、温泉リゾートホテルに誘われたのだ。なんでも、オーナーが和生の会社の顧客らしく、招待を受けたとのこと。
ただ、2人きりというわけではないが…。
「なあ、航基。良かったな！」
和生が、後部座席に座る息子に同意を求める。
航基はスマホゲームに精を出しながら、「うん」と頷いた。
― 2人きりじゃないのはちょっと残念だけど。楽しみだなぁ。
航基が一緒であることは予想がついていた。
ただ、オーナーからの招待となれば、かなりの好待遇が予想される。航基の同伴を差し引いても、楽しい時間が過ごせるだろうと算段して了承したのだ。
「悠梨さん、あそこです」
和生が指先を向けたほうに、大きな建物が見える。
白を基調にした神殿風の外観が青空の下で鮮やかに映え、存在感を放つ。
「うわぁ〜。素敵〜」
和生から、「朝食をとらないで来てほしい」と言われていることからも、これから待ち受けているご馳走に期待が膨らんだ。
正面入り口付近で、車を止めて降りる。ドアマンにキーを預け、歩いてエントランスを抜ける。
自動ドアを通る際、壁面に書かれたホテル名が悠梨の目に留まる。
― メディカル…リゾートホテル…？ちょっと変わった名前ね。
光沢のある白い大理石の敷き詰められたロビーを進み、和生がフロントでチェックインの手続きをおこなう。
悠梨は、フロント脇にある大型液晶モニターに目を向けた。
― へぇ〜、フィットネスジムとか瞑想室もあるんだぁ。あとで覗いてみよ〜。
モニターにはフロアガイドが表示されていて、タッチパネルで各階にある施設が把握できた。
― んん…？この検診スペース…っていうのは何かしら…。
拡大して見てみると、フロア内に診察室や採血室などの部屋が設けられている。
― 健康診断ができるホテルってこと…？
そこで、悠梨の脳裏にある光景が浮かぶ。
和生との初対面の際、やけに健康面を気にしていたシーンだ。
そのときの会話の内容と、現在の状況が、どこか結びついたように感じ、胸にざわつきをおぼえる。
「悠梨さん。これがルームキーです」
チェックインを済ませた和生がカードキーを差し出す。
「あ、はい。どうも…」
「いったん部屋に行って、着替えて待ち合わせましょうか。それで、検診を受けに行きましょう」
「え…。検診…ですか？」
「はい。あれ…。お伝えして、いませんでしたっけ？」
和生の口調にしらじらしさが漂う。
「ここは医療施設の併設されたリゾートホテルで、温泉を楽しみながら健康チェックができるんですよ」
悠梨はそこで、ホテル名にあった“メディカル”の意味を理解した。
「私も受けないと…ダメですよね？」
「そんなに構える必要はないですよ。簡単な健康チェックですから。終わったらみんなで美味しいものを食べましょう！」
悠梨はどうも一杯食わされたような、腑に落ちない気分で、部屋に向かった。
◆
― 私をここに連れてきたのは、やっぱり健康状態を確かめるためだよねぇ。
和生の本心に思いを巡らせながら、悠梨は健康チェックのルートを回り始める。
フロアは女性専用になっていて、男性の目も気にならない。案内に従って、淡々と進めていく。
― 健康かどうかが大事ってことは、やっぱり結婚を見越してるってことだよね…。
しかし、悠梨に対して和生は自分とではなく、息子の航基と交際してもらいたいと思っているのは間違いない。
― ってことは、航基の結婚相手に相応しいかどうかを調べているかってことか。それで、ちゃんと子どもを作れる体なのかどうかまでチェックしてるってこと…？
コミュ障の息子のために、代わりに婚活をするという親心なのかもしれないが、どうも真意を測りかねる。
― やっぱり、和生さんとちゃんと話そう。
せっかく温泉付きリゾートホテルに来たというのに、わだかまりを抱えてしまったままではもったいない。
解消するためには腹を割っての話し合いが必要だと、悠梨は露天風呂からの景色に身を委ねながら、気持ちを新たにするのだった。
夕食を終えたあと、悠梨は和生の部屋を訪ねた。
悠梨は、素直に自分の気持ちを伝え、和生の意思を尋ねた。
そこで、和生が勧めようとしているのが、悠梨と航基の交際であるという認識が、間違いでないことを確認した。
「私が好意を持っているのは和生さんなんです。だから、航基さんを勧められても、困るというか…」
和生はしばらく押し黙り、口を開く。
「どうしても…ダメですか？」
和生もまた、静かな口調で本音を語り始める。
「私としては、悠梨さんには航基と結婚してもらって、子どもを産んでいただきたかった…」
悠梨が、「どうして…」とポツリと呟く。
「航基さんじゃなくても…。子どもが欲しいなら、和生さんだってまだ…」
悠梨の言葉に、和生が首を横に振る。
「私…ではダメなんです…」
「どうして…？年齢だって48歳だし、体だってまだまだ…。それに、私も問題はありません…」
そこで、悠梨の思いを断ち切るように、和生が冷ややかに言う。
「私とあなたとでは、妻の血が入っていません」
悠梨は一瞬、時が止まったような感覚をおぼえた。
― そういうことだったの…！
悠梨の頭に、クルーザーの船体に刻まれた『MANAMI』の文字がよぎる。
「私は、今でも妻を愛しています」
様々な感情のこもった、重い言葉だった。
妻との死別により悲嘆に暮れた日々を彷彿させ、やりきれない思いが滲み出ている。
「私は、妻の血を引いた子どもに会いたい。妻の血を引いた、孫が欲しいんです…」
だが、悠梨のなかにも、和生の思いを正当には評価できないある感情が湧きあがる。
「でも、それだと私の幸せを…。女性の幸せを、ないがしろにしているじゃないですか…」
悠梨の指摘に、和生は口もとを歪めながら答える。
「ならば…。それでもいいと、言ってくれる女性を探すしかありません」
2人のあいだに重苦しい空気が流れる。
「私は、無理です…。ごめんなさい」
悠梨はこれまで自分に対して時間を割いてくれたことへの礼を丁寧に述べ、部屋をあとにした。
◆
翌日、悠梨は早朝にホテルを出て、タクシーで近くの駅に向かった。
これまでの和生たちとのやり取りを思い返しながら帰っていると、あっという間に自宅に着いていた。
― かわいそうな人たちなのかもしれないな…。
昨夜、和生の告白にショックを受けたものの、一夜明けると冷静さを取り戻し、逆に親子への同情の念が湧きあがっていた。
妻に先立たれ、今でも悲しみを引きずっている和生。父親の意向に翻弄される航基。
いつまでその状態が続くのか。
ネガティブな感情の渦に巻き込まれ、迷走し続ける親子が、今は不憫に感じる。
― 結婚って、家族って、なんだろうな…。
するとふと、両親のことが気になった。
日曜日だから家にいるだろうと、実家に電話をかけてみる。
「悠梨？どうしたの？電話なんて珍しいじゃない」
母親が受話器を取った。
「うん、なんとなく。元気かなと思って」
「元気は元気だけど…。お父さんがね、健康診断の結果があんまり良くなかったのよ。高血圧は前からだけど、肝機能の数値にも問題あったみたいで、珍しく落ち込んでるわよ」
「そっか。お父さん、けっこうお酒飲むもんね」
「そっちはどうなの？」
「私は大丈夫だよ。超健康だから」
― 検診の結果、聞いてくればよかったかな…。
「健康もそうだけど…。結婚とかもよ。あんたももうじき30歳でしょう？いい人いないの？」
「うん…。まだね…」
「まあ、家も近いんだから。たまには顔を見せなさいよ」
悠梨は、「分かった」と伝え、電話を切る。
― お父さんの歳だと、何かしら病気をしてもおかしくはないもんな…。
悠梨自身、30代に差しかかるとはいえ、年齢に対する意識は低かった。
結婚もまだ先でいいと、悠長に構えていた。
しかし、自分は良くても、親は何があってもおかしくない年齢が迫ってきている。
― やっぱ結婚て、私だけの問題じゃないんだよね…。
悠梨は、スマートフォンを見つめ、アルバムを開く。
まだ未掲載だった、マッチングアプリのプロフィール写真を選び始めた。
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